天気なのも、気候が良くなってくると、水遣りに執着しなくてもいいが、乾いていれば遣らなくてはならない。自然への感謝の気持ちも籠めて。諸外国の発展国程、民主主義であり、国民の反対が通るのを、日本はアメリカの言い成りで、沖縄辺野古への基地建設を止めようとしない。民意も何も否。
電車事故の様子が、テレビで伝わってきて、報道される内容に戦慄を覚える。此処に何故、侵入して来たのか、左折を諦め右折をしてまで通過するのに、そこに招かれたような気が湧いた。まるで死者への道に往くようで、震えが止まらなかった。或いは、不可思議な空間が開いたのかもしれないが。
手塚治虫氏の作品の中には、この世では起きないようなことが、描かれていることも多い。漫画であるから描けるというのでもないが、可能性とすれば、科学的な根拠からは離れる。でも。あり得る。日航機の墜落事故の時に、経験した不可思議なことも、理由が解らないものの、鮮烈な記憶である。
人間の心理状態が、どういった時に起こるのかが、解明出来れば好いのかも知れない。事故が起きてしまった時点で、空気圧の働きが作動し、物体を感知して止まる装置が電車に設置してあれば、避けられたのかも。自動運転の車を発明したり、時速を上げる乗り物を造る前に、回避する装置が先。
ロボットも、アシモフが考えた時点では、誰もが造ることは不可能と思いつつ、研究を重ねて可能にした。でも、掃除機にしろ、洗濯機や炊飯器等、形は人間からは遠いが、それなりにロボットなのだ。声帯を、電子頭脳の配置次第と言うところ。パソコンに至っては、可なりのものだろう。スマホも。
あらゆる物が、進化を遂げていき、人間は退化する。使われたり、役に立つことで形が変わっていくので、忘れ去れば用も無くなる。廃棄物は増える一方で、核の塵も増え続ける。人間の都合勝手には、金さえ出せばの意志しか存在しない。これこそ地球が壊れていく。宙も海も地上さえ棲めなくなる。
アナキン役、ナタリー・ポートマンの演技。どれもが眼も瞠る物語であった。DVDで揃える。