枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

社日・葉月

2019年09月18日 | Weblog

 社日 土地の神、五穀の神を祀り祝う日で、春分・秋分に最も近い戊(つちのえ)の日を云う。この日土の神を祀って、春は穀物の生育を祈り、秋は実りの収穫について五穀の神を祀る。常に自然への畏怖を忘れずに、感謝と祈りを行っていた古人は、天への祝福を心に刻んでいたもの。今は、天に唾を吐く。

 台風での被災地には、未だ電気も復旧せず、雨漏りの修繕も成らず、という所もあるようで、文明や化学の進歩はあっても、何等意味の無い事と思えてしまう。人間、いざという時の潔さや、決断・判断の思い切りには、他人任せの事も多い。不自由さに我慢するにも、便利で快適な生活では、無理があろう。

 個人的には、仕事を辞めたら車は手放し、携帯も持たない。連絡方法がないと言う者も居るが、訪ねて来てくれれば済む。それに然したる用事がある訳でもなし、図書館には出向くので、そこを連絡場所にすればいい。毎日とはいかぬが、歩いて行ける距離でもあり、締っていなければ行くので急がないこと。

 晴耕雨読の暮しで、夜はDVDを観たり、宙への散策が出来るので、それさえあれば充分である。蔵書は床が落ちるくらいあるので、忘れている内容を思い出し、本の整理も兼ねて、することもたくさんある。食事は、日に二回で身体を慣らし、贅沢はせず、質素倹約の健康を保つ。医者には罹らないことに決。

 枇杷葉生活であれば、これに加えて塩や醤油は必要だが、常時も非常時も賄える。燃料費も倹約したい。電気の節約で、夜は9時の消灯にしよう。そういったけじめをつけることで、何とか凌げるものではないか。他人に頼ってはいけない。金が無ければ、誰も助けてくれない。介護での世話にもなりません。

 退屈で詰まらない老後だけは厭だ。自分で納得しての暮しで、こと切れればそれでいいとしよう。医者に罹らないのだから、延命措置も必要なくていい。葬式もしなくていいし、墓も要らない。先ず化けて出ることも無い。死んだ後の世界に興味があるから、現世に舞い戻る気も無い。この世の春 注文する。

 ブラタモリで観ていて、一度は行ってみたかった場所だ。最近は、品川で降りることが多い。

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