三隣亡である。暦を見ていると、実に多々なる物忌みが出て来る。古の人々は、陰陽師の見立てに素直に行動して、方違えと称して、方角を替えたり、何処にも出掛けず、家に籠っていたりした。夜間には、周りは闇で包まれるので、魔物が徘徊すると信じていて、明け方を待っていた。賢い選択。
電気が通じて、快適で綺麗な生活に転じて来ると、これは不便極まりない。機械を当てにするので、使えないとなると死に至る。それを想定外等と言うのからして可笑しいが、それだけ依存している証拠だ。原発での汚染水を海に流す、って人類の生活を終わらせる手立てだ。人間でさえなければ。
でも。結果的には、海に流した汚染水が、其処に棲む生き物に影響するのだから、人類への間接的な繋がりだ。東電も、福島への保証が済まぬのに、よくもまあ問題が噴き出すことか。原発依存の時代が、日本を世界を、退いては人類への滅亡へと近づく。責任転嫁のうやむやさで、押し切れない。
何だかんだと悩みは深い。これもこの世での修業かも知れないが、ご先祖さまへのご無沙汰にもあるかな。前回の時、来られなくなるよ、とは伝えているので、夢にたつことはないが、墓掃除に行けないのが気にかかる。足が痛くなったのも、そういったことが原因かも知れないな。反省の日々だ。
祖母も両親も、墓守が居なくなるとは思わなかったろう。跡継ぎが居るから、きちんとしてくれると信じていたろう。そういう楽観でいるから、草ぼうぼうにするんです。路は愚か、墓までの辿りさえ覚束ない有り様で、わたくしも独りでは行けない。そこに棲んでいても、手入れができないもの。
今朝は、何だか身体がだるいのだが、仕事に行かねばならずで、やっとこ起きた。明日の献立の準備もあり、介護の業務以外にすることが多い。然しながら、それをきちんとしておかねば、明日の昼食は成り立たない。その場しのぎで出来ることでもなく、準備が必要なのだ。手際も大切になるよ。
沢田研二大研究。読み終えて、深い感動に浸る。ファンの支持にも由ろうが、本人の歌への情熱が、沢田研二さんを創っているとしか思えない。無論の事、お芝居や映画と多々なることにもあるが、歌手は歌が命だ。そのひたむきさに、純粋さに俄かファンは驚く。ジュリーより今の沢田研二さん。
延々と続くパレード。これって何時まで続くの?夜は就寝タイムでしょう?疲れ果ててしまった。