枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

仕事の意義・・・

2019年09月15日 | Weblog

 今月の行事担当が不在で、敬老の集いはしなければならず、日勤者の顔触れにもよるが、咄嗟にどう動くかが分からないでいる。日曜日は、食事を作らねばならない。それも業務の内で、やらせの写真もいる。こういうのってどうなんだろう?何だかそぐわない思いが強くなる。時間ぎりぎりで遣り終える。

 子どもの使いではないので、用事があって行った場所に、必要な物があれば取ってくるのは必須。再度行くのは無駄足である。詰まらないお喋りはするが、肝心な事にはだんまりで、自分勝手に動こうとする。話し合いをしなければ、通じないのよ。それが最初に出来ていないからで、良し悪しではないの。

 勤務者にも依るが、パート等に言う必要はない。とばかりにする者も居る。自分の思うようにしたいのであれば、ご自由にどうぞとしか思えない。でも、それは職員の都合勝手であって、其々の気持ちを汲んだり、尊重してとは違うのだ。カメラに向かって、ピースサイン等、高齢者を莫迦にしている想い。

 介護の業務は、決して一人では出来ないので、協力し合ってのことになる。こちらは精一杯の労力でするのだが、あれもこれもそれもは出来ない。これまで遣って来たのを配慮して、若い者が動くことをしてほしい。10年間してきて、これ以上の労働には無理があるの。自分がその立場になったら分るのかな。

 男女平等であり、自由でもあるが、それには必ず責任が伴う。何もかもやりっ放しで、誰かに片付けさせるなら、それくらい楽なことはない。後始末・尻ぬぐいを、他人が気持ちよくしてくれのかしら?命令でさせるのは出来るが、我慢にも限度が起きて来る。介護の仕事は、若い者だけの考えでは出来ない。

 疲労困憊になって帰宅する。すばるが足元に甘えてくるが、餌がないので催促だ。枇杷葉茶も飲んでしまっている。パソコンの部屋が荒れている。ドナルドが吹っ飛んでいて、一人で遊んでいて落下したようだ。出窓の所で眠っていたらしい。カーテンがぐちょぐちょになっている。明日明後日は図書館休み。

 アラジンの、開けゴマに痺れ、利口な召使に感心した。千夜一夜物語。何度読んでも面白い。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする