台風の中心気圧を言うのか、この言葉に慣れてしまうと、またかとも思ってしまい、適当にしてしまう。そこに落とし穴があるのに気づかない。暗闇では慎重に動くのも、明るいと見えるだけに、用心を怠るものか。人間の深部のところは不可解なもので、自分にすら分からないこともある。然し、地震が来れば、当然津波は予測できる。
備えあれば憂いなし。で当然のことながら、その対策を怠る企業では困る。要は、地震の規模であり、起きた時点での潮の変化が、時刻と重なるかどうかでもある。想定外と言うが、科学者足る者には、地球の変動を知っていた筈で、裁判官にも判ろう。政府寄りの見解としか思えない。わたくしのような素人でさえ、もしかしたら懸念。
人類が延命治療を受け、命を長らえるのが悪いとは思わないが、そこまで生きてどうするのか?それに意味があるのだろうか。それよりも、もっとしていくこと、しなければならないことがあるよ。沖縄辺野古の問題にも、自国の農産物等を守り、外国の物を輸入する前に、経済の発展を揺るぎないものにすることこそ、重要ではないの。
自国民を犠牲にしてまでも、アメリカの言い成りになるとは、厭きれてしまう。支持率が上がったからとご満悦であろうが、それは企業に由って異なる。自腹は切りたくないのが心情であり、自分以外であれば、自殺しようが、倒産しようが、勝手にしろという態度だ。人類の未来は明るいと、噓八百を並べる。いい加減にしてくれない?
最近の新聞も、ある程度予測した記事で、哀しい思いが増えていくばかりだ。自分以外の者に、嫉妬し、妬み、足を引っ張る。仕事をしないでいても、給料はもらえるが、それでは価値はないだろう。ちょっとした工夫をし、昨日の失敗を繰り返さず、何か一つでもいいから、きちんと出来るよう努力をしたい。お金は貯まらないが幸せ。
小さなすばる。娘夫婦がどんなに呼んでも、姿を見せなかったようで、帰宅すると啼いていた。