気温の不安定さにたじろぎつつ、塩を換えておく。何時もの事であるが、先月の塩を半紙に包んでいたのを燃やす。その時の燃え方で、異変が分る。夢見も良くなかったが、胸騒ぎがしてくる。それが鮮明に視えているのに、説明がつかないのは何故だろう。不安が胸の中に広がる。災い転じて福となるよう祈るばかり。
通草が、いつの間にか実に生っていたのには、驚かされたが、花の咲いたのさえ気づかなかった。自然の掟には、一体何があるというのか?人智では計り知れぬ条件であろう。幾ら科学が進歩しても、解明できない物事はある。わたくしが知らなかったのか、人間の及ぶところではないのか。それにしても待つことに。
来月の勤務を間違えてしまった。暦での休日にしているので、繰ってはいたのだが、四連休にしているなっている。上司の都合もあるらしいが、四連勤の日があるので、調整しないと倒れる。10年前に出来ていたことが、身体が拒否するのに困る。運動をするしないに関らずで、指令が伝わらない。無理をしないことだ。
棋士の加藤一二三さんが、クリスチャンと言うのを忘れていたが、本田るつ子さんは、聖書からだというのは明白。名前をつけるのは、流行でなく、その子の将来への配慮も欠かせないように思える。名は体を表すとも言い、納得することも多い。同じ字でも、読み方で違ってくることもあるので、印象でも異なるもの。
枇杷葉が日に日に硬くなっていく。加えて中心の所が膨らんできている。今月の終わりから、来月にかけて、苞が見えてきて咲くことだろう。それを待つ間の、何となく心うきうきの気分はとても楽しいもの。テーブルの敷物を替えたり、トイレの掃除も終えて、寛いでいたら、すばるが机から滑り落ちた。何してんの?
猫も木から落ちる。厭々、それはないよ。自分を猫と思っていない?やっていることを見ていると、猫離れしていて人間に近い。泣きべそをかいているので抱き上げる。体は大きくなったがやんちゃ坊主そのもの。可笑しくて笑ったら、拗ねてしまった。息子の小さい時にそっくりなのだ。飼い主に似ているのであろうか。
数日の留守に、娘夫婦に餌だけは頼んでいたが、ご機嫌は斜めになっていた。甘えて餌をねだる。