旧暦での暮らしをしていると、朔日に合わせての身体の動きになり草木にも心が向く。仕事を辞めたからでもあるのだが、急ぐことはしなくなりそれまででもゆっくりであったのが更に輪をかける。現代農業の4月号を読みながら考えに差がないことにも納得した。作物は、月の満ち欠けで発芽し育ち実を結び収穫できる。花もまた同じようなサイクル。
草刈りも自分の都合に合わせてだと直ぐに刈らねばならず、そういう知識があれば成程と思える。肥料を与えるのも書かれていることで納得。自然を相手にすることなので、自分都合は二の次が良いようだ。暦を見ながら作付けや発芽状態を記録しておき、失敗を繰り返さない。他人が遣っていてできたからと真似ても続かないし、其処に工夫が大切。
木村秋則さんが百姓は地球を救う という本を書かれているが、百姓とは100のことが理解できることとある。実に奥が深い職業である。自然に教えて貰うことも多く、其処から工夫をしたり立ち止って考えていくことも大切なこと。利害関係だけでは成功はしないし続かないようにも思える。枇杷葉を見ながら何と言うことも無く、暫し佇んでいた。
数年前になるが、枇杷葉の実を購入していた時だった。わたくしは薬効も知っているし、民間療法ではあるが行ってもいたので大量に買っていた。まあ、買い占めて他の人が無いでしょう。癌に効くの?だったらわたしも買わなくちゃ。あなた来週は遠慮してねとのたまった。事細かに枇杷葉の効力の話しを伝え、何度も言わなくてもわかったわ!と。
その挙句にどうなったか?死にかけて救急搬送されたとのこと。アミグダリンのことも、猛毒であるから生では注意することを言ったのに、あなたのせいで死にかけた。婆さんそりゃないわ、一度に生の種を20個以上も口にして呼吸困難にならぬ方が可笑しい。だから危険ですよと申しました。聞いてなかった。言え証人もいるのにぬけぬけと嘘を吐。
そういう事態を思ったからこそ、念入りに話したのを聴いていなかったようだ。わたくしの浅学程度では、民間療法の微量も語れません。ネット検索だけでは解らないことも多々あって、少しづつ試してみたりをした上での記載を心がけている。それでも時間には不安に陥ることにもあり、薬効優れた枇杷葉が仇のように思われるのは可なり辛いこと。
枇杷葉が心から信じて貰っての使用であって欲しい。其々に症状が異なるし個人差も大きいこともあるので、くれぐれも大事に至らないようにして貰いたい。薬は毒に、毒は薬になることも心に留め於く。わたくしも施行していく中でだったり、手当の段階でこれは可笑しいとの違和感を常に持っている。自分の命と引き換えになるかも知れずなので。
人間の心の中までは窺い知れぬが、時々はっとする写真であったり文章に眼が留まることがある。励ましも慰めもしないが、決して頑張れとも云わない。わたくしがそうであったから、言葉で幾ら励まして貰っても聴けなかった。自分を全否定されているようで何度命を絶ちたかったか、逃げて殻に閉籠って顔も上げられず現世からの逃避ばかりだった。
枇杷葉を信じていても人間での付き合いはしなけばならず、心の行き場がなかった。仕事を辞めえて収入は無くなったが、心は却って豊かに保てる気がしている。中には通じ合わないこともあり、もどかしい想いに駆られることも多々ある。でも、精一杯に頑張ろうとしなくもいい、と考えられるし想えもする。やさしい方数人に廻り遇えた歓びでも。
草刈りも自分の都合に合わせてだと直ぐに刈らねばならず、そういう知識があれば成程と思える。肥料を与えるのも書かれていることで納得。自然を相手にすることなので、自分都合は二の次が良いようだ。暦を見ながら作付けや発芽状態を記録しておき、失敗を繰り返さない。他人が遣っていてできたからと真似ても続かないし、其処に工夫が大切。
木村秋則さんが百姓は地球を救う という本を書かれているが、百姓とは100のことが理解できることとある。実に奥が深い職業である。自然に教えて貰うことも多く、其処から工夫をしたり立ち止って考えていくことも大切なこと。利害関係だけでは成功はしないし続かないようにも思える。枇杷葉を見ながら何と言うことも無く、暫し佇んでいた。
数年前になるが、枇杷葉の実を購入していた時だった。わたくしは薬効も知っているし、民間療法ではあるが行ってもいたので大量に買っていた。まあ、買い占めて他の人が無いでしょう。癌に効くの?だったらわたしも買わなくちゃ。あなた来週は遠慮してねとのたまった。事細かに枇杷葉の効力の話しを伝え、何度も言わなくてもわかったわ!と。
その挙句にどうなったか?死にかけて救急搬送されたとのこと。アミグダリンのことも、猛毒であるから生では注意することを言ったのに、あなたのせいで死にかけた。婆さんそりゃないわ、一度に生の種を20個以上も口にして呼吸困難にならぬ方が可笑しい。だから危険ですよと申しました。聞いてなかった。言え証人もいるのにぬけぬけと嘘を吐。
そういう事態を思ったからこそ、念入りに話したのを聴いていなかったようだ。わたくしの浅学程度では、民間療法の微量も語れません。ネット検索だけでは解らないことも多々あって、少しづつ試してみたりをした上での記載を心がけている。それでも時間には不安に陥ることにもあり、薬効優れた枇杷葉が仇のように思われるのは可なり辛いこと。
枇杷葉が心から信じて貰っての使用であって欲しい。其々に症状が異なるし個人差も大きいこともあるので、くれぐれも大事に至らないようにして貰いたい。薬は毒に、毒は薬になることも心に留め於く。わたくしも施行していく中でだったり、手当の段階でこれは可笑しいとの違和感を常に持っている。自分の命と引き換えになるかも知れずなので。
人間の心の中までは窺い知れぬが、時々はっとする写真であったり文章に眼が留まることがある。励ましも慰めもしないが、決して頑張れとも云わない。わたくしがそうであったから、言葉で幾ら励まして貰っても聴けなかった。自分を全否定されているようで何度命を絶ちたかったか、逃げて殻に閉籠って顔も上げられず現世からの逃避ばかりだった。
枇杷葉を信じていても人間での付き合いはしなけばならず、心の行き場がなかった。仕事を辞めえて収入は無くなったが、心は却って豊かに保てる気がしている。中には通じ合わないこともあり、もどかしい想いに駆られることも多々ある。でも、精一杯に頑張ろうとしなくもいい、と考えられるし想えもする。やさしい方数人に廻り遇えた歓びでも。