毎月の満月の度に大騒ぎをやらかす人間に、月の嫦娥姫は天帝との逢瀬もままならない。宇宙に関心を持ち観てくれるのは好いとしても、ここまでの騒動には気分を害するだろうなぁ。コロナでの自粛でそれ位はいいじゃない、って思いであろうがそこのところどうなんだろう。わたくしなら厭です。月に遣って来るのもお断りです。
本来は、月の満ち欠けも潮の満干潮も農時期での欠かせないもの。そのことを蔑ろにしておいての勝手な時だけでは如何せん、人類の繁栄の為にはという目論見には賛成し兼ねる。原発も、40年を基準にしての稼働も更に延長とは、大事に至れば犠牲になるのは庶民で経営者や国でもないのに。判断を委ねるにも人間相手ではないか。
オリンピックも、何故に中止をしないのかは莫大な儲けが絡むからだが、日本の為ではない。況してやコロナでの対策等何も具体的には決めていなくて、選手の安全や保証等どうするんだ?誰が責任を取ることかも不明だし、そういった一連のことには記載もなければ話し合いも皆無。聖火ランナーも、これ見よがしの人選に呆れる。
昨夜からのお湿りであるが降りようが足らない。薔薇の深紅のが咲きだしてきたが、雨の具合で元気になるかな?昨年には数輪だったのが、今年は酢を薄めての散布が効いて沢山の蕾が見えるのもうれしい。薔薇の花弁を食用に使うので農薬は掛けていない、独特の香りが消えてしまい臭くて閉口する。木村方式は何にでも使える。
薔薇化粧水も、薔薇酒にも出来るので仄かな匂いが香しい。一時期大量に作ってしまい、リエさんの所に送ったが残っている。花弁が風に舞うのは圧巻だったが、咲き過ぎて翌年には新芽を誘引していたら折れて枯れた。差し芽が付いて鉢で管理して咲いている。初夏に蕾さえなかった白薔薇が、酢の散布で見えているのも感謝だ。
玄関の入り口の左にドイツスズランが密集しているのが咲きだし、菖蒲も蕾を覗けてきた。枇杷葉の根元では谷卯木の白やチェリーセージの赤も彩を差し、ビオラが花殻を摘むので健気に咲く。クリスマスローズも、今更ですがと蕾を見せての奮闘。今年は、昨年の種が零れたのか30芽程が発芽していて、鉢に移植したのも有難い。
自然に委ねること任せることには、人間の損得も欲も捨てなければならないと思える。どうしても適えて欲しい願いなら、赦しを請い祈ることかもしれない。誰しも自分が可愛いのであって、他人のことを考えたり想っているのは案外に見せ掛けかも。神さま、わたくしの命をあの方に差し上げてください。わが命にも換えてもと。
平岩弓枝さんの嘘かまことか、を読み終えて返却に行った。著作の数々は読破してはいるが、作家の日常までは興味を持たなかったな。佐藤愛子さんのような怒濤の人生ではないにせよ、其々に胸に秘めている事柄はあるものと思えた。庶民には嘆いている間も悲しいと泣いていては暮らせない事情もあり、周りも見えていなかった。
仕事を辞めて1年が来ようとしているが、清貧の暮らしが合っているのだろう。コロナであろうとなかろうと出不精であるので困らない。ブログ訪問と更新での愉しみは増えたし、枇杷葉に援けられての暮らしを堪能している。気楽でも不自由でもなく、今のあるが儘を受け入れるしか術もない。枇杷葉で繋がっていけば心も通じる。
とても気にかかっていた方に、わたくしの想いが通じますようにと願っていた。よかった!神さま援けてくださって感謝いたします。
本来は、月の満ち欠けも潮の満干潮も農時期での欠かせないもの。そのことを蔑ろにしておいての勝手な時だけでは如何せん、人類の繁栄の為にはという目論見には賛成し兼ねる。原発も、40年を基準にしての稼働も更に延長とは、大事に至れば犠牲になるのは庶民で経営者や国でもないのに。判断を委ねるにも人間相手ではないか。
オリンピックも、何故に中止をしないのかは莫大な儲けが絡むからだが、日本の為ではない。況してやコロナでの対策等何も具体的には決めていなくて、選手の安全や保証等どうするんだ?誰が責任を取ることかも不明だし、そういった一連のことには記載もなければ話し合いも皆無。聖火ランナーも、これ見よがしの人選に呆れる。
昨夜からのお湿りであるが降りようが足らない。薔薇の深紅のが咲きだしてきたが、雨の具合で元気になるかな?昨年には数輪だったのが、今年は酢を薄めての散布が効いて沢山の蕾が見えるのもうれしい。薔薇の花弁を食用に使うので農薬は掛けていない、独特の香りが消えてしまい臭くて閉口する。木村方式は何にでも使える。
薔薇化粧水も、薔薇酒にも出来るので仄かな匂いが香しい。一時期大量に作ってしまい、リエさんの所に送ったが残っている。花弁が風に舞うのは圧巻だったが、咲き過ぎて翌年には新芽を誘引していたら折れて枯れた。差し芽が付いて鉢で管理して咲いている。初夏に蕾さえなかった白薔薇が、酢の散布で見えているのも感謝だ。
玄関の入り口の左にドイツスズランが密集しているのが咲きだし、菖蒲も蕾を覗けてきた。枇杷葉の根元では谷卯木の白やチェリーセージの赤も彩を差し、ビオラが花殻を摘むので健気に咲く。クリスマスローズも、今更ですがと蕾を見せての奮闘。今年は、昨年の種が零れたのか30芽程が発芽していて、鉢に移植したのも有難い。
自然に委ねること任せることには、人間の損得も欲も捨てなければならないと思える。どうしても適えて欲しい願いなら、赦しを請い祈ることかもしれない。誰しも自分が可愛いのであって、他人のことを考えたり想っているのは案外に見せ掛けかも。神さま、わたくしの命をあの方に差し上げてください。わが命にも換えてもと。
平岩弓枝さんの嘘かまことか、を読み終えて返却に行った。著作の数々は読破してはいるが、作家の日常までは興味を持たなかったな。佐藤愛子さんのような怒濤の人生ではないにせよ、其々に胸に秘めている事柄はあるものと思えた。庶民には嘆いている間も悲しいと泣いていては暮らせない事情もあり、周りも見えていなかった。
仕事を辞めて1年が来ようとしているが、清貧の暮らしが合っているのだろう。コロナであろうとなかろうと出不精であるので困らない。ブログ訪問と更新での愉しみは増えたし、枇杷葉に援けられての暮らしを堪能している。気楽でも不自由でもなく、今のあるが儘を受け入れるしか術もない。枇杷葉で繋がっていけば心も通じる。
とても気にかかっていた方に、わたくしの想いが通じますようにと願っていた。よかった!神さま援けてくださって感謝いたします。