枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

弥生、朔・大潮

2021年04月12日 | Weblog
 午前中は塩換えをしてテーブルクロスや敷シーツ等の洗濯に追われ、明日は雨になるとの耳予報にちょっとフェンスの向こうに出る。これが失敗だった。リナリアの咲いているのを移そうとして、つい草が気になるわ枇杷葉も枯れた葉をと遣っていたら、2時間弱経っていた次第。植えたら水を遣っておくのは道理、明日雨が降ってもと汗だくで。

 疲れちゃったよ。枇杷葉の実へ袋も掛けねばならず、昨日の夕方少しは足したが追いつかない。ヘロヘロになったので止めたものの、三分の一位だからここからが勝負でもある。脚立が要るのもあるので気が抜けないし、丁寧に掛けていかねば青い実が落ちるのだ。枝も余り強く引いたら折れる。一昨年には700近く掛けたから、それを思えばな。

 ご飯も食べていなかったので直ぐに出来る素麺にした。買い置きをしていてよかった。ブログへの訪問も午前中のは済ませているので、自分の更新に取り掛かる。数日、枇杷葉の生葉を炙って軽く擦り合わせて患部に貼るのを続けているが、調子がいいので有難い。蒟蒻もだが毒素を排出してくれるので、身体が軽くなっているが年齢は隠せない。

 薬草の生えている場所や環境の差で、味が微妙に違うことにびっくりした。自然の中に自生している物には、季節によって甘みや苦み等違うらしいの。言われてみれば新鮮ではあるが、堅いという感触もして生えている状態の違和感は見ただけでは分らない。我が家の枇杷葉は自分では見当もつかないが、飲まれた方の感想では美味しいのかな。

 枇杷葉に与える肥料は塩と糠だけで、後は枇杷湯まで使った物を乾かせ入れている。消毒には、農薬は使わずでお酢を水で薄めたのを散布しているのみ。これは庭中の物に掛けているので、薬草等への影響にも及ばない。草は潮の移りで抜き、塩を掛けるので余り増えない。水遣りをし始めたので、これからは不明だが鎌で刈るので手早く済むの。

 草原には虫の棲まいなので、多少の残しをしておかなければ花に来る。先日は揚羽蝶が飛んでいたが、きっと卵を産み付けたのだろうな。蝶道があるので決まった時間に同じ所を通過していく。毎年その発見には心が躍る。蝶はなぜ飛ぶか、羽があるからではないようで写真集は役立った。自然から多くの学びがあることに感謝し祈る幸せだね。

 フェンスの向こうに木香バラを下げているのだが、どっちかと言えば目隠し状態で放置状態。ここにその年の台風の状況次第で、足長蜂が巣をかける。普通の高さだと回数は少なくて、下の方だったり軒下の風を防ぐ場所だと数回来るし大荒れとなる。自然から教わることの何と多くだろうか、そういうことに気づける者でありたいと願う日々を。

 毎日の更新であり、書くことは何ということもなく自然体の文章や思ったことを記している。可能な限りの正しい日本語に個人的な拘わりがあるので、他所さまにお邪魔した時違和感も多く有る。えっ、そんなにおを付けなくても、という場面はしょっちゅうありボタンが押せない。いいねも続きも希望できないので、殊更に困惑して暫し考える。

 写真の場合には、自分好みで押しているので悪しからず。写す角度や被写体への目線も異なるのだろう、シャッターチャンスも有で楽しい。猫を写したのにも多々あって、観た瞬間顎が外れかけたりする面白いのも。余りにも笑い過ぎてコメントが書けなくなり、腹もよじれて治すのに苦慮する。花はいずれも野に生える全てがきれいであること。

 

コメント (12)
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