枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

庭の乾きも・・・

2021年04月29日 | Weblog
 天気であれば水遣りも欠かせないが、天水の有難さはどうだろう。地球を潤おす役割にも、自然の摂理の大切さは否応もない。木々の新しい葉を繁らせて、落ちている種を発芽させ育んでいく。人間のように好みではなくあらゆる凡ての命に注ぎ、誕生を寿ぐ素晴らしさに感謝するばかり。月の満ち欠けにも大きく拘りを促せる。

 昨日、珈琲を取りに来た友人が、枇杷葉に袋が掛かっているのを見て仰天していた。幾つあるか言ってみてと謎かけをしたら、300位かな?と答えてくる。冗談に、手伝いに来てくれないから脚立から落ちそうになったと数字を云えばぽかんとなる。昨年には手伝うって聞いた気がするが、すっかり忘れてか社交辞令だったのか。

 わたくしのブログを訪問の方で、日々お邪魔に上がり写真を観させて貰っている。其処には言葉よりも胸に迫る魂が籠っていて、器具や腕もあるだろうが被写体への慈しみが感じられる。綺麗に美しくというのよりも、一つの命として捉えているのか?そういう被写体に遭遇してしまうと、惹きこまれて動けなくなってしまうが。

 まあ、個人の感想で皆にでもないので単なる好みでもある。最近、大勢の訪問者にたじたじとなりながらも、やはり丁寧に読んでボタンを押したい。文章の長短はあったり、書かれていることの意味が理解し難かったりもする。それでも皆さん個々の思いで記載されているのを無視もできない。それはわたくしのでも言えること。

 雨が降っているのと弁当配達がないので、今朝は二度寝を決め込んでAM8:30分に目覚める。その後図書館で借りている萩尾望都さんの大学での講義集を開いた。作品はどれも好きだが、初期の11人いるやスター・レッドは格別。光瀬龍氏の百億の昼と千億の夜、にもあの阿修羅王に魅せられた。原作は哲学的要素が濃くある。

 わたくしの場合に関しては、ジャンルの幅は広いと思うのだが作者への拘りが強い。作品の内容にも左右されるが、自分の体験が少なからずで其処に触れてくるので迷い込む。ラビリンス・迷宮・螺旋階段と出口を探しに彷徨う。従ってトンネルを貫ければ雪国にはならず、霧の帳をあてもなく歩き走り停まらずに進むばかりだ。

 人生ってのは、そういうところがあるんだろうなぁ。親も兄妹も子ども等でさえも居ない独りなのだと思え、現世でも来世でもなく前世の経緯を悔いても始まらぬことか。今を生きることが、何に通じているかや何が起きるかも不明でも逝くしかない。それが神の指示であり、命への賛歌と使命に依ることなのかもと想えもする。

 庭の薔薇が開花している。深紅の色が雨に打たれて瑞々しいばかり、谷卯木もうれしそうに微風に揺れている。クリスマスローズの苗も移植したのが付くかな?ユキノシタもペットボトルに乗せてみた。ドイツスズランとの競い合いで、間引いてしまったが捨てられない。天麩羅にもしているが、物凄い繁殖力なので持て余して。

 
コメント (2)
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