枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

葉月・白露・中潮

2022年09月08日 | Weblog
 二十四節気 白露 朝夕、涼しくなり、草木の葉に宿る露が、白く光る。という意味で、白露と云う。毎年、九月八日頃である。台風で放置していた鉢も、そろそろ限をと思い残りを室内に取り込み出窓に並べた。すばるがこれからは日向ぼっこするので大いに危険はあり、騒動が巻き起こるのは必須なのだが如何せん。

 枇杷葉茶を飲用し始め、既に20年近くなってきた為か体調の変化が良く分かる。然し乍ら、以前には頭痛がしたり腹痛に七転八倒もならずだった。それが嘘のように症状改善され、枇杷葉での手当も何等支障がない。他の薬草にも効果は多々あるが、枇杷葉はその頂点にあるので百薬王樹の別名が付けられて重宝してる。

 医者嫌いの理由には、薬さえ出せば儲けが大きいのでという考えに引いてしまう。患者の立場であれば、診察すれば判るのが医者ではないか。PCの画面を観て患者を見もせず、然程の症状でもないのに薬をどっさり。これで気分から病に罹り、以後通院の運びとなる仕組みであろう。そこに行く気力と時間が勿体ない。

 川柳にもあったわ、元気な時には医者廻りって感じだ。不要不急の外出なので、性格の悪さを除けば至って健康で年齢的な衰えは甘んじる。そりゃ、若い時には今の自分を思ってもみなかった。還暦を迎えて、医者にばかり依存しての生活では陰気で仕方ない。血圧も測らなければ、仕事を辞めてから定期検診も無視。

 命は一つしかないのだから、死ぬ時には終える。輪廻転生で生まれ変わったら、新しい人生を歩めばいい。その時が来なければ未知の範囲を憂うつには無理があり、現時点では決められぬ。今ある幸せに気づかぬ者には、神は試練を与え覚醒させ使命を果たせと啓告。生かされていることの愛には、苦しみが伴うとも。
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする