枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

古典落語・睦月・望・大潮

2023年02月06日 | Weblog
 この処、再々度ではあるが志ん朝の古典落語を観ている。昨日は、居残り佐平治ともう半分。詐欺やペテンはいけないものの、度胸と機転での人生あっぱれと。もう半分には怪談の趣きに凍り付いた。厭・恐いんです。落語の噺家も、芸を磨いておればここまでのと感心もする。妙技だねぇ古今亭志ん朝は。

 創作も書かねばだが、気持ちがのって来ないこともあり粗筋は出来ているが筆が進まない。PCだから、指がキーボードを打たない。即ち、読み手の心も素通りかと思うのよ。原稿用紙に書くなら、恐らく訂正や直しの赤線書き込みになるとも。慌てず騒がずでの、書き手本意は気分次第と相成りまして候。

 今朝は薄曇り状態だが、布団を出してそのまま出かけて帰宅し春の匂いを閉じ込めた。昨夜にはふかふかで眠れ、身体も温かで起きれたのは誠に有難い。立春になると、気温は元より心の向きもやさしくなれて来るものだ。病は気から、或いは気の持ちようかもとこの時期を愉しみたく水遣りを忘れずです。

 庭のあちこちに、クリスマスローズを地植えにしたり鉢植えを置いているのが見事に。白は一番早くから、今は濃いのや薄い桃色が俯きながらも咲く。今冬の寒さに堪えて咲く様には頭が下がるものと、感謝の心でいたい。年金暮らしでも、倹約や節約方法は独自に違うと心得て工夫の相異性を考え愉しい。

 枇杷葉も、最初から上手くいった訳ではない。試行錯誤の時間は長く、二十数年が経つ。夏場の茶葉はしたことがなく、霜月からとは承知していたものの旧暦に気づき愕然。毎日新聞への連載・旧暦の暮らしは、大いに役立った。自然からの恩恵にも、何を意図するかが不明で何年も戸惑い漸く辿り着き感謝。
コメント (2)
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