枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

陽は射すものの

2023年02月16日 | Weblog
 今朝も天気ではあるが気温は低く、重装備のいで立ち。食事も和食が好みなので、味噌汁に豆腐や葱・じゃが芋を容れ作る。先月の現代農業には、じゃが芋の特集が出ており新品種もある。用途では拘りはなく、キタアカリや出島が多くメークインは買わない。外国産のもあり、黄・赤・紫とあるようで味が楽しみ。

 枇杷葉の花芽が咲いて、あらっという雰囲気に心が落ち着いて来る。独りで生きることには、それなりの覚悟もしているが気持ちが揺れる。視えたり聴こえたりするのも善し悪しで、説明のつかぬ事象がある。30代の頃から煩雑に現れての風景が、何故今になって?現実に見えて来るのか判るならとも想うばかりで。

 以前職場でのことに、事前に起きることを言い当てて臍を噛んだ。今ではなくて、数年後のことが視えたのにも背筋が凍り付いた。選べるならとも思うし、避けて通れるならそれに越したことはない。聖と魔なのかも?唯、その時には意味にも気づかず生きることに精一杯。心にゆとりの欠片もなく無い物強請りに。

 枇杷葉を祖母に知らされての白龍との出遭いが、生き方を換えた。他人からみれば、架空のことだと思われるし信じてもくれないが。自然を甘んじれば理解できることに気づけ、祈りと感謝の日々を送れることが何よりも大きく有難い。他人には其々に使命があり、それを果たさねば逝くことはできないのも確か。

 旧暦での暮らしにも、月の満ち欠けが身体にどう拘るかが判り過ごし易い。一般的なカレンダーでは気持ちがざわついて、気分が常にブルー状態。青い彩ばかりだと、ともすれば奈落に転じて上がれなくなる。好きな色や似あう色は青系が多くて、宇宙への高みに繋がるものの冷たく暗闇から下界を静観しているよ。
コメント (6)
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