枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

宇宙の摂理に訓えられること

2024年12月22日 | Weblog

 シックスセンス・第六感は、自らの意思に拘わらず鮮明な画像で視えてくる。有り得ない?事象が今までにも何回もあり、その都度次元がずれてしまい難を逃れた者もいる。本人の前で、危ない!と叫び空間が歪んで失せた。

 先日、とある方の危険が分かり気をつけるよう記載した。文章の流れや、字の間に隠れている画像を視てしまうのだ。自然からの訓えには畏怖への気持ちがあり、まやかしは通じない。但し、忠告しても聴く気のない者有り。

 人生の岐路に立った時、誰も頼りにはならないし充てにはできない。心を落ち着かせる刻が必要であるのも確か、森羅万象へ祈る。生命体産まれ生きれば、必ず命を終える。心は波立ち渦を巻くも、果てのない宇宙へと還る。

 一日を足掻くこともあり、また愉しむ刻とすることも心構え次第。書いた文字も、発した言葉に魂が宿り育まれていく。運気も上昇だけではないが、自らの気持ちを戒め清めることを惜しまずとしたい。自然への祈り感謝。

 今年は、枇杷葉の花芽が殊更に匂いを放つ。庭に居て偲ぶ人の姿も視え、シンクロニシティ頻回に起きること疑わず。愛の形は様々に、産まれし者と逝く人分ける為り。地球と云う惑星の神秘さにも、気づける歓びとも。

 自らを糺せること適わぬも、抗わず・急かず・不平不満を云わずと心得て過ごす。他人の真似も情報に惑わされることなく、律しての覚悟にて。若輩者所以と迷い少なからずあり、訓え心に留め於きて務める日々とする。

 車検の為、代車あるものの動かず事故回避。前世・現世・来世での廻り遇い、不可思議な現象が視える。得意体質なれど気力喪失為り。

コメント (2)
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