枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

綺麗で快適な生活・・・

2021年03月11日 | Weblog
 時代の寵児で、様々な手立てを打ち立てていった渋沢栄一。庶民の感覚での良かれと思えた事にも、悪用しようとすれば其処には儲けが絡む。江戸幕府が転覆し、悲惨な状況は庶民を路頭に迷わせた。今でこそ、商工会の立場とあらゆる分野に於ける保険も彼の発案になるそうだ。庶民の暮らしを守る意味である当初の目的とはかけ離れて、悪人の巣窟になっている。

 閣僚の給料には庶民の血税が当てられている、それを何千万との退職金と言うから顎が外れた。定年間近でありどうせ辞めるのだから更迭止む無し?それはないでしょう。払う処の問題ではなく返金を願いたい。保釈金を払うことが可能なら、税金の無駄使いは止めよう。決定権はトップであり、忖度もお目こぼしも自由気儘では誰の政治なの?復興など口先だけね。

 水戸黄門は漫遊には行かなかったが、もしこの時代で印籠の効果があるなら瞼をこじ開けて填めてやりたい。庶民のそれも最低限度の生活を余儀なくされている者には、偏見と差別で凝り固まって困っていても見て見ぬふり。寄付にしろ援助の方法もボランテェアを募り、わが手は汚さない。だって、汚染区域には入りたくないのだ。原発さえなかったら、と想うよ。

 福島の第一原発事故が起きなかったら、原発は増え続けていただろう。神の裁断であったかも知れず、或いは起こるべき事態としてやってきたものか。広島と長崎に原子爆弾投下で消えた命への悼みはない、自分のことではないからの意識が多い。昨夜・明け方だが、三途の川を渡る寸前だった。あの苦しみも嘆きにもわたくしは感じるだけであるが、意識は混沌と。

 今朝の新聞を読むにつけ、紙面が見えなくなるばかりで漂う想い。今なら、未だ引き返せるのかもしれない。地球の命は、其処に棲む森羅万象凡てできている。霊長類と呼ばれる人類は自ずと何も作れず、多くの生きとし生ける生命に援けられていることに気づこう。多少の不便さは厭わず、生かされていることへの感謝を忘れずいたい。自然への祈りと命の賛歌。

 わたくしの想いには、宝石も余分な金も要らないから地球から原発を失くしたい。メンケル首相の決断は素晴しい!アメリカもロシアも中国も、諍いをしている時ではないとコロナが示しているのを気づかない。人類が地球を壊したら何処に棲むのか、恒星にも惑星や他の宇宙でさえ行き着くことは不可能。原発の核燃料は、この先何十年も消えることは無いのだ。

 今後に地震が起き津波が襲い、核燃料が破壊されれば居場所は消える。それを想定しての話し合いをしていかないと、人類は一瞬に滅びる。未来少年コナンでは、少なくとも棲む場所はあったがそれは物語。生き延びていく者は権力と金の亡者しか居ない現状で、子孫が繁栄など愚かしいばかりだ。悲惨な想定も然りで、今からの暮らしを見極めて可能な選択を…。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 枇杷葉での繋がりに・・・ | トップ | 奈良・東大寺二月堂・お水取り »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

Weblog」カテゴリの最新記事