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暦の季節感には、思わず頷く。今朝、庭に出たら、薄っすらと霜が降りていた。成程、二十四節気の大切さを実感する。若い人とか年配と言う区別ではなく、物事への関心度で違う。俳句には、季語が付きものだが、何故?とは思わないのか。
その癖、やたらと頂きますや、上げますを付ける。言葉の持つ意味さえ知らず、無茶苦茶な日本語を使う。猫や犬に、上げますは違うんだよ。最近は、教えを乞うた方なら、恩師であり、せんせいだが、これも矢鱈と乱発し、嫌悪感を抱くばかりだ。
そう言えば、生前に、灰谷健次郎さんが、教師であった時には、抵抗ないが、作家では面映いです。と、言われていた。苗字でお呼びするのが、一般的ではないのか。亦、呼ばれる方も、そういったことを、きちんと説明しないと気恥ずかしくなる。
リエさんが送ってくれた、ぎょうじの絵本には、新暦と旧暦の違いや、その季節にあった慣習等が、様々に説明してあるのが楽しい。花が咲く時期、行事の謂われ等を、丁寧に描いてあるのもいい。介護の仕事には、そういった季節感が大切だ。
枇杷葉の花芽の、何という芳しさであることか。暫し、佇んでから家に入った。仕事の疲れが消える訳ではないが、心の安寧が訪れる。蛙がじっとつぶらな目で見上げるのも、可笑しい。冬篭りの準備にも、暖かいと出てき、日向ぼっこをしている。
本は、知らないことを教えてくれる、知識の宝庫だ。或いは、知っているとしても、更に詳しく説いたりして、研究や疑問の答にもなる。また数行の字に、秘密の想いを抱いたりして、そこから深く考えることにもなる。ノーベル賞も近くで待機している。
どうしてだろう?なぜかしら?どこが違うの?あらゆる範囲の疑問には、自然からの教えが大きい。勘という特殊な力だけでは割り切れない。察するに余りある。予知能力とも言う?でも、何故分るのかは不明だ。当てるのではなく当ってしまうの。
林檎の花は咲くが、結実はしない。これもまた、十年後かな?と、気長に待つことにしている。枯れないでね。
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