枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

方位を変えたら

2010年05月20日 | Weblog
 Aさんの体調が思わしくなくて、鉢物の移動を試みた。効果があったのか、夕方寄ると顔色がいい。本人も、首を傾げる変化です。第六感が働いてくれてよかった。とつくづく思います。こういう場合は、極少の範囲で行うことと、素早く動くことです。時を逃すと、取り返しが就きません。万葉の歌にもあるように、風や月の流れを捉まえるチャンスを、じっと待つことが大切ですね。

 勤務先に枇杷を持って行く。皆に食べてもらって、種を持ち帰った。ジャムの瓶に焼酎を入れて、漬けこんだ。無論、枇杷の種は、焼酎でちゃんと洗っています。うふ♥1年後が愉しみ。今年の天候不順で、甘さも果汁も足りません。長崎の茂木ですが、この程度なのが淋しいです。糠を入れてるのかな?熟す前に採るからかな?佐藤錦も、甘味がなかった。寒中の管理ができてないような気がします。

 新聞紙上に、言葉による虐待の記事があったが、あれは何処の施設でもある。そういった言葉を、自分で意識して使わないようにすればいいのを、わざとかどうか、最近は頻繁に聴く。言葉に鈍感になってしまって、それらの持つ意味がわかっていない。まあ、それにしても私語の何と多いことか。感心してしまう。これでは、満遍なく眼が行き届かない。

 今日は一日、湿度の高い、汗ばむ不快な日でした。こういった日には、そうでなくても退屈している者には、耐えられないことなのかも。しかもお互いの症状がわかっていないのですから、其々が相手を見下して物言う。でもこれには、意外とスタッフの心が、反映していることが多いのです。以心伝心と言いますが、何事も謙虚に勤務していなくては、争いが絶えません。

 枇杷茶で飲んだ後の葉を、ぼかしにしようと集めている。新しい鉢の中にも入れます。土の保存状態がいいですね。化学肥料等の、人工的な物は要りません。自然の恵みをふんだんに使った堆肥には、土を甦らせる力もあります。そういった意味では、我が家の枇杷葉自体が、甘くて美味しいのかもしれません。加えて井戸水がいいのでしょう。分けて頂けることはほんとうに感謝です。

 今年の野菜や果物の作柄は、自然の力を借りた状態なら、まずまずだろうが、農薬を使ったりする、自然に反するやり方では、収穫がかなり怪しいようです。実際、いざという時の踏ん張りが効きません。本来の逞しさがない。見た目がいいのは、確かに商品価値がありますが、食べる段になったら、美味しい物がいい。と思いますが、調味料で誤魔化すのかな?

 旬の物を、素材を生かして頂く。そういった簡単なようで、人手間かけた料理は、最近見かけなくなりました。無農薬の珈琲のカスを、牛の床に入れたりすると、臭いがしなくなったり、乳の出がいいようですね。枇杷葉にも同じ効果があります。柿にもあります。私が子どもの頃には、田を耕すのに牛が居ました。祖母は、床を返るとき、押切で柿の枝を切って入れたり、柴や枇杷葉の枝も切っていました。

 牛も、人間も同じ屋根の下です。臭いは無い方がいいに決まっています。そういった植物には、体臭を消したり、殺菌作用のある物を用いていたようです。まさに生活の知恵だったのですね。牛は、とても綺麗好きで、自分の糞尿の上には寝ません。従って、寝床が汚くなると、詮木を外す勢いで、体当たりをしていました。祖母は、日にちを予め決め、雨で無い限りはしていた。

 北向きの枇杷苗。3年物です。1年物も育っていますが、未だ10cmくらいから大きくなりません。品種が違うと育たないようです。
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ウイルスの猛威

2010年05月19日 | Weblog
 『地球は、1億4700万キロ離れた太陽の周期を、約365日かかって1周しています。そして38万キロ離れた軌道を回る月を連れています。つまり地球は、公転速度秒速29.4キロというスピードで、地軸を23.4度南北にぐらつかせながら、宇宙を飛んでいることになります』と、松村賢治さんの『旧暦と暮す』に明記してある。その地軸がチリ地震で、わずかにずれたことがわかった。

 こういった変化には、必ず自然が反応する。それが今回の、牛や豚に山羊等の病気を誘発した。加えて、月の満ち欠けが大きく関わってくる。風の方向や、水の温度や、普通なら徐々に暖かくなってくる筈の季節が、昨日と今日、或いは急激な変化を見せるのには、異変が起きる予測を孕んでいるのだ。そういった微妙な違いに、第六感で気づかなければならないが、人工の温度に慣れ、細菌やウイルスを失くすことばかり考えて、自然の恵みを忘れていては被害が大きくなるだけだ。

 自然は、そのまんまを知らせていたんだよ。今更、どんな手を尽くしても遅い。自然との共存とは何かを、もう一度考え直す必要があるようです。人間だけではなく、命のあるもの全てに、抗体や免疫が備わるように、自然の中で生きていかなくちゃ。そういったことが見据えられるよう、学ぶことが肝心ですね。人間の都合勝手は、今回通用しないような気もします。作戦Bでいくためには、数年かかります。

 出会いがある分だけ、別れがありますが、どんなに誠意を尽くしても、親子の情は断ち切れません。他人には入り込めない心情があります。以前は、これだけをしているのだから、という態度でしたが、最近は、命を受け渡してもらって、地球の未来のために、新しい命を育む役目を使わされている。と考えられるようになりました。強ち誰のためでもない。自分のことでもあるのです。各々が未来へとつなげていくのですから。

 リエさんの出版記念会に行こうと決めたのも、何か強い力が働いて、私を呼んでいる。そんな気がしてならない。わかっているのは、それが覇気だということです。勤務を代わってもらった方の厚意もありますが、他の人では行けなくなっていた。タイミングと言うのか、ほんとうに感謝すべきなことです。また、車中を一緒に行く同伴者を、夢で視たことも不思議なことです。

 災い転じて福となるように、時間の針を回しておきましょう。そういったことはあって当然。無くて偶然なのです。難を転じましょう。でも、1週間後には逢えるんだね。リエさんやサンタさん、AIちゃんにAIちゃんのお祖母ちゃんとも。リエさんの父上さま、伯母上さまにも。ちゃんと行けるかな?迷子にならないようにしなくちゃ。ちょっと前途多難。

 我が家の枇杷葉が、霜で枯れたもの。とてもいい匂いがしたので、捨てるに忍びなく、お茶にして飲んでいます。とても美味しいです。
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卯の花の匂う垣根に・・・

2010年05月18日 | Weblog
 白い花が田の石垣を覆うように垂れている。蜜蜂が忙しげに飛んでいる。祖母や、両親が草刈をしたり、畦を直して、水を入れるように鍬を振るう。朝夕の涼しい時間に、出てすればいいのにと思っていた。よりに依って、汗が流れる日中に、何がうれしくて働くのだ。木陰を求めて、移動する私に、祖母は気づかぬように傍に近づき、百足や蝮の居ないことを確かめる。今思うと、自然を侮っていたのです。

 庭の水遣りをしていたら、近所の小母さん連中が通りかかって、枇杷のことを尋ねる。枇杷がいいというのは知っているが、どうすればいいのか?と問われる。お茶で飲んでください。と言うと、新芽かなぁ?と、新茶の連想で聞く。枇杷葉の場合は違うこと。古い葉で、ごわごわしたのです。お茶は、薬缶に入れて煎じ、焼酎なら、寒中の葉を漬けておき、湿布したり、切り傷や、擦り傷に効きます。と話すとひどく感心してくれた。

 枇杷の実は食べれるン?と言うので、これは、市販の枇杷の実の種を植えて、何年かしたら、実が生ったんですよ。これまた感心してくれる。何だかほしそうにしておられたが、珍しいのかな?田舎ゆえ、何処にでも生っています。我が家が、道路沿いで、袋をかけているので目立つのだ。他人の物はよく見えます。私は自分で作った方がいい。と思いますが、苦労しないで食べようと思うのでしょう。

 Bさんは、謙虚で効率よく動く。今日も汗びっしょりになって、心配りをしていた。自分がしんどいとか、楽をしようとかは考えてもいない。めんどくさい思いもない。私は自分のできる範囲しか動けない。つまりは、Bさんが素早く気づいて動く。ほとんど人の倍は仕事をしている。Bさんと勤務をしていると、手抜きをしない分、仕事が捗るのだ。Bさん、ありがとう。いつも足手纏ばかりでごめんなさい。

 Bさんの凄いところは、いつも相手のことを考えていること。誰に対しても、どんな時でも、自分のことは後回しです。こちらの想いを無駄にしない。感謝の心と態度が常で、かといって、決して威張ったりはしません。喧嘩をしない。思慮深い。冗談が通じないこともありますが、小母さんギャグなので、きっと困惑してしまうのでしょう。

 そんなBさんに、私は考え違いをしていました。深く反省するところがあります。何よりも私は、そういった仕事上の迷惑を、これでもかとかけていました。きっと、Bさんは呆れて沈黙していたのでしょうね。それをわからせてくれたことを感謝します。明日からは、小母さん根性を捨てなくちゃ。言葉の持つ意味を理解して、話すということに気をつけよう。

 明日と明後日の勤務をしたら、休憩が入ります。近くにバラ園があるので、友人と行くのです。弥二喜多道中になるようです。管理している人たちは、70歳以上の方ですが、生きいきとして働いておられます。昔取った杵柄なのでしょう。趣味の範囲で楽しめるのはいいですね。バラは、咲いているときだけをみるのではなく、1年を通じてポイントを押えていなければ、綺麗には咲きません。どんな物も、自然に対しては同じですね。

 生協の枇杷を買ったのですが、ハウス物かな。美味しくないですね。最も、木で熟すまでは待ちませんから、仕方のないことですが、甘味も果汁も少ない。我が家の枇杷は、頬っぺたが落ちるくらいに、甘酸っぱくて美味しいです。この写真は、生りはじめて3年目の豊作です。チャボの卵くらいですが、甘さは別格でした。蟻んこが剥いた皮に群がってきて、あっという間に運んでいきましたね。
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各々の役割

2010年05月17日 | Weblog
 昨日今日の暑さには、何となく対応できた。前回のことがあるので、水分補給をして、勤務を続行する。然しながら、鼻水・クシャミはある。困るのであるがしかたない。今週は、木曜日まで休みがない。自分のこともだが、この暑さに花木がげんなり、ぐったりしてしまっている。孫が水遣りをしてくれた。夕方の風に、湿り気があった。近い内に雨が降る。蛙の合唱隊も応援している。

 水遣りをしながら枇杷葉を見ると、むき出しの実の、3粒ばかり袋がかかってない。親指大のが残っている。急いで袋をかけました。後、1ヶ月半が楽しみです。市販の枇杷の実は未だ、ハウス物のようです。価格はかなり落ちましたが、甘味は少ないですね。枇杷は、種が多かったり、食べる部分がないように思えますが、バナナと比べると、枇杷の実の方が、果肉は多いのだそうです。

 我が家の庭に、ここまで育った枇杷葉が、実まで生らせてくれるとは思えず、本当にびっくりしました。恩恵を分けてもらえる幸運に、感謝しつつ、せっせと焼酎に漬けたり、お茶にしたりと重宝しています。枇杷葉には、邪気を祓い、覇気を呼び込むのかもしれません。我ながら、最近の第六感の感じ方には、一種の神々しさがあって、自分でも驚くばかり。Aさんにも不思議がられる。こ・困ったよぉ。とても説明できるものでは・・・。

 今朝のこと。携帯を目覚まし代わりにしているのが、時刻を見て仰天した。え~!!嘘だろう?8時前じゃない!!!朝食も食べないで、車に飛び乗ったら、あれれ???1時間違うじゃない。あ!いかん。そういえば、昨夜。時刻の調整をしようとして、挫折したっけ。しかし機能がわからないので、嫁に聞こうと夕方までそのままに。まあ、勤務先には、無事間に合ってほっとした。

 携帯は、話せて連絡がつけば、それで充分です。私には、他の機能は複雑で、使いきれません。写真撮影は要りますが、写せて保存できればいい。ムービーは要りません。充電が直ぐなくなるから。何れにせよ自分で考えて、しなければできない機能です。心で思ったりしても、ちゃんと感知して、実行してくれる機能はないかしら?賢い機能がオプションでつかないかな。

 昨年、立ち寄った花苗店で、運よく見つけた。冬場には、屋内での管理です。何とか1鉢は無事ですが、寒さに弱いので管理が難しい。小さな紫の花の密集状態と、匂いに魅せられてしまいました。
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感能力?

2010年05月16日 | Weblog
 人間持っている五感の他に、どういう訳か、第六感が働くことがある。例えば、親の死に目を知らす。或いは、危険を知らせて回避さす。大抵の人は、これに気づくのですが、軌道修正できないときがある。つまり、そこの磁場につかまってしまうのだ。五角の力に加え、覇気が強い場合には、何等問題はない。反対の時、逃げ切れない。一瞬の迷いが、動けなくして、呑みこんでしまうのだ。

 生死を分ける。というのです。日常的なことでも、自分の勝手都合ばかりを言っていると必ず報いがきます。自分に与えらた仕事は、如何なる理由があっても、責任があります。それができないなら辞めなきゃ。何のために役があって、それを実行すべく、給料をもらっているのか、考えましょう。こういう人は、わかんないんだろうなぁ。同じスタッフとして、信頼もなければ、協力する気持ちも失せました。

 勤務を終えての帰り道。駐車場までの宇宙には、金星と三日月が観えて、その美しい輝きに思わずシャッターを押した。金星に生物が棲んでいないのは周知のこと。同じ惑星でも地球には、あらゆる生物が生存している。だが、近い将来、滅亡の日が訪れるだろう。今のところ、誰一人として消滅することすら考えていない。まあその、痛くも痒くもないものね。

 枇杷葉の実を食べた後、焼酎の中に漬けておいた種が、先日取り出したら芳香がした。杏仁の香りだが、熟成しているので、何とも形容し難い。無農薬で自然の種だが、得も云えぬ香りがする。数年前までは、人口の香りでも、どうということはなかった。ところが杏仁の匂いに触れて、自分の探していたものだと直感した。心に惹きつけられ、虜になった。仁の中には、核があり、命の発生するところに当たる。

 枇杷や梅、杏に李、桃などの種の中には必ずある。其々の特性を持っているので、用途や薬効も違うが、枇杷の場合は、万病に効く。特に、体調の変化が、枇杷葉のお茶で現れる。私には、体内にある臭気が感じられるのです。だからこそ、そういった変化を見逃さないでいて、注意を促してあげられる。100人中、5人くらいが信じてくれるかな?

 枇杷葉の、今頃の様子かな。昨年のものですが、丁度親指くらいになっています。これくらいになってから、袋かけに取り掛かる。出荷しないので、あまり必要もないのですが、野鳥が狙ってくるので、予防にしている。効果が何処まであるのかは、期待できない。孫達が枇杷狩りをするときに、袋から取り出す顔が楽しみです。それにしても、今日の暑かったことです。頭がいかれたかもしれない。

 
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仕事への責任感

2010年05月15日 | Weblog
 勤務先の仕事も、その日の勤務内容で異なる。けれども、基本は同じで変わりません。最近、気になっているのが、自分の仕事をしないで、楽な仕事ばかりを選んで、命令口調で言うことです。主任やリーダーは、そういう言い方はされません。能力も資格もない人に限って、それらを主張する。莫迦馬鹿しいので、相手にしないのですが、向こうはどうしても威張りたいらしく、威圧的に物を言う。気の毒なことこの上ありません。

 私には、超能力がある訳でもなく、同時に人並みはずれた才能があるのでもない。神の存在を信じるから、傍に居てちょいと援けてくれる。力を貸してくれるのです。素直な心がありさえすれば、神さまは視えます。窮地に立った時、力を貸してくれるのですよ。神は、聖書の中に居られるのでも、教会の中に存在するのでもない。人間の心の在り方に添っていてくださるのです。

 お釈迦さまにしても、菩薩さまも同じで、お守りの中などには居ません。その仏さまには心が入っていないからです。真実の神や仏は、魂と共におわします。大量生産でなく、一体を一心不乱に彫っているなら、誰に言わずとも視えます。それがわからなければ、何等価値はありません。このところ、そういった超常現象が頻繁に起きて、背筋が凍りつきました。我が身が望まなくても、教えを乞うのでしょうね。

 例えば、森の中に、樹齢何百年の御神木があっても、その気を感じ取れる人は、何人居るでしょうか。自然の中に、じっと目を凝らしたり、風の音を聴き分けたり、雲の様が見て取れるにも、人間の慢心があればできません。自然と一体して、溶け込めなければ、判らないのだと思う。言葉に出して判るのでなく、感じ取れなくては判らないのです。これだけは体験しないと説明できない。

 Aさんは、ひょんなことからそれがわかったのです。また、その周りに居て、今まで変化の見られなかった方が、信じないかも・・・と話されたそうです。その時までは、半信半疑だったAさんも、私の言っていた全てがやっと判り、こういうことだったのか。と頷かれました。悟り、とはそういったことではないかしら。いくらお経を唱えても、形から入っていくから、その本質が見えなくなる。あまりにも素晴らしい!と光に顔を向けるから、闇に包まれてしまうのです。

 闇に眼を凝らせば、光は視えます。闇に居て己を失わなければ、光への移動は自由です。邪悪な心は見破れます。そうしたら近づかなければいいのです。類は友を呼ぶ。と言いますが、そちらには決して往ってはなりません。病気なったり、怪我をしたりします。神の御心のままにして、自分を磨くことに専念しましょう。ノアになるのは、私ではありませんが、自分の使命は果たしたい。

 某新聞に、宮本輝氏の連載が載っている。今朝の文中に、横着はすまい。と主人公が思う件があったよ。何をするのも、大儀がらずにする。文句を言ってもするのなら、最初から黙ってすることだ。或いは、他の人がしていたら、援けたり、動き易くしてあげよう。自分は楽ができた。とおしゃべりをしているのでは、人間としての成長がない。最も、そんな人は気づかないだろうけれども。

 枇杷葉の下。南側の鉢です。チューリップ、紫ラン、クリスマスローズ、こごめ花、バラの挿し木、レースフラワー等の鉢がある。この一帯が咲いていた時には、初夏の陽射しでした。
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自然への回帰

2010年05月14日 | Weblog
 朝夕の寒さは、彼岸前後の気温です。湯たんぽが離せない。突然、夏になったのが、また春先に逆戻りである。思わずセーターを出しました。この年になると、恰好ではありませんね。風邪を引いたら命取りでです。日中はお天気になって、気温は上がるものの、24℃くらいです。ひんやりとしている。鶯も、ホトトギス、燕も、戸惑っておろおろしている。おまけに燕など、巣をかけようとしては落とされるので、半ばヤケクソであろう。気の毒です。

 竹取物語の中で、かぐや姫に求婚する相手への難題に、ツバメの子安貝があるが、実際には何だったのだろうか?古来の人のユーモアには、ありもしない物ばかりとは思えない。燕の習性や、軒下に巣をかけて、子育てをする様を見て、人々は何を感じたのだろう。人間に通じたりする要因があって、それらを上手く利用したに違いない。

 最近の新聞記事を読みながら、日本の国の乱れ方に唖然とするばかり。電車での化粧に始まって、車を運転しながらの食事・化粧、着替えている人も見かけた。この地球に、その人が一人なら、何をしようが、どんな結果になろうが、知ったことではない。生活形態が変わってきたのだから、時間を有効に使えばいい。でも相手がいます。気に入らない人間は、無視すればいい。そうかも知れません。

 誰かが見ているから、仕事をする。見ていなければ、何をしてもいい。自分の命令に従わなかったら、無視すればいい。してやっているんだ。自分こそ誰よりも仕事ができて、偉いんだ。なのに格上げをしてくれない。その結果、自分の働いている勤務先を悪く言って憂さ晴らしをする。そのために勤務先全体が悪く言われることなど、考えもしないのだ。迷惑など顧みない。私は、この中に入らないように、神さまに守られているような気がしている。

 枇杷葉の実が次第に大きくなっているので、昨日今日の両日で、袋かけをした。孫も手伝ってくれた。何とか100粒はある様子です。孫たちと枇杷狩りができます。リエさんにも送れます。りささんやサンタさんにも、少し贈れるかな?あんまり当てにしないで、待っていて。気温が上がらないので、上手く熟すか心配なのです。収穫は、6月の末か、7月の頃になりそうです。青い実が色つくまでが、我慢の為所です。

 茂木の枇杷の実を買って食べ、その実を鉢に植えた。芽が出てきているのは知っていた。そこから、ちょっとほったらかしで、数年が経っていた。孫が3歳の誕生日に、花が咲いている写真がある。こんなに早く、実が生るとは知らなくて、鴉に食べられた。翌年には、淡路まで枇杷狩りに行き、収穫の時期や、方法を教えてもらった。鈴生りでの枇杷狩りをし、孫たちは大喜び。食べた実の種を植えてみた。

 この苗は、その時の種から発芽したもの。普通の苗より、一回り小さい。それでもどうにか成長している。この時期には、たくさんの苗を、近所の人にあげた。その殆どが枯らしたり、そのまま放置して捨てたらしい。枇杷葉には何等罪はない。人間の身勝手さに呆れてもいない。けれども、その行いはその人に還るのです。自分で言ったことも、同じではないかしら?気をつけましょう。自分に言い聴かせています。
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常識、って?

2010年05月13日 | Weblog
 非常識とか、常識がないと言う人に限って、言葉の使い方がいい加減だったり、自分こそ優れていると勘違いしていることが多い。そういったことは、決して自分では言いません。自然と成し得たことで、風の便りに聴くものです。或いは、当たり前のことを、誰もができないからこそ、言ってもらえるのです。まさに、言うは易く行いは難し。なのですよ。また自分より他の人を、陰や小声で罵倒しているような人には、意識や価値観の違いがあって、同じレベルではありません。

 真の常識とは、自分もそうかもしれないとか、ひよっとしたら気づかずにいたかも、とか己を反省しつつ行いを正せる人のことです。難しいことは、噛んで含めるように、どんな言葉もその意味を理解していて、話せることではないかしらん?言葉のもつ真意を熟知して、簡単には口から出さないことです。決して特別なことでなく、当たり前のことです。それが常識というもので、無闇に言うものではありません。

 自然を知っており、風流を解せることでもある。そういう人は、他人を小ばかにしませんよ。地位や財力を自慢しません。そうする必要もないのです。自然が味方であり、守ってもくれる。風に雲に、雨に雷さえも自由に操れる。妬み、嫉みや疑い、無い物強請りをして、邪気を呼んでしまう。私には視えるが、誰でもに解る訳ではない。今に災いがやって来るでしょう。桑原、桑原・・・。拘りはもちたくありません。

 リエさん。ちゃんと切符は手配できました。同伴者も京都から、同席してそちらに向かいます。車中と着いてからの待ち時間も、二人ですからね。迷子にならないように、慌てないで行きます。愉しみにしています。AIちゃんのお祖母ちゃん。枇杷葉のこと、どんな質問も受けます。あ・答えられなかったらどうしよう。お土産はありませんが、枇杷葉の話ならできますからね。って、違うか?

 明日が新月です。このところ大潮ですから、枇杷葉の袋かけをしました。昨年よりは少し多いようです。それでも、5月になって、雪が降ったり、冷え込みがあるのには、充分な注意が必要ですね。旧暦を参照して、されるのもいいですよ。我が家の場合は、第六感でしています。何だかね、神がかりになっているの。願いが成就していくみたいで怖い。私の人生はこれからが始まりかもしれない。

 自分を知っておく。というのも、今日までの努力を怠らなかったから?いいえ、これからが始まりというのには、学ぶことをやっと許してもらえたようなもの。基本は、全て自分を知ること。壮大な宇宙の摂理、倫理には無駄がない。其処に至る時間さえ、瞬きする間のように心に伝わる。背筋がピシッと伸び、心を添わせて翔けさせる。とても不思議な時間の共有です。

 枇杷葉の実が、親指大になっているのと、小指大くらいのと、いろいろあります。大抵は1枝に1ヶです。中には、8ヶくらい生っているのもある。縁起がいいなぁ。苗の方はせっせと新芽を出して、背比べをしている。毎朝、庭に出て見る度にうれしい。顔が閉まりなく笑う。何だかね、自分の子どものような想いがするんです。ですから、苗を上げる時には、本当に大切にしてくれる方に、差し上げたいものです。
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百害あって、一利なし

2010年05月12日 | Weblog

 農薬を撒けば、草だけでなく、害虫だけでなく、その地下にまで及んで被害が広がる。だがそういったことには、敢えて気づこうとしないで、効き目がないと更に撒く。土の中には微生物が居る。農薬はそれらをも、駆除してしまうのだ。浅はかとしか言いようがない。人間に対してはそう言えば済むが、土壌の状態は元に戻らない。或いは、非常に長い年月がかかるのです。

 沖縄の基地はいらない。徳之島にも、岩国にも。何処まで沖縄の人々を苦しめるのだろうか。灰谷健次郎の『太陽の子』を読んで!NHKのドラマでは、お父さんを井川日佐志、お母さんを中村玉緒が演じていた。主人公のふうちゃん。名前を忘れた。灰谷さん、死ぬのが早すぎましたね。握手をしてくださった、あの大きくて温かな手のぬくもりを、私は忘れません。哀しくもないのに、灰谷さんの顔を見て、涙が止まりませんでした。

 小学校の娘の教科書に『ろくべえ、まってろよ』が載っていて、担任の先生に貸してもらった『太陽の子』は、一睡もしないで読みました。以来、著作の殆どを買いました。灰谷さんには、2回遇えましたね。そのどちらも、澄んだ眼差しを向けてくれました。灰谷さんは私の道標です。師は光瀬龍です。お二人とも、今は宇宙にいて、行く末を視ておられます。私は、そういったことを感じることはできます。

 昨日、今日は奈良の薪御能です。今年は、いつもの南大門が工事中とかで、止めました。雨の場合は、屋内で演じるのだそうです。でも、篝火を焚いての、舞には、荘厳な迫力がありますし、広い舞台に通じる宇宙との共演は、実に見事です。御覧になられた方にはわかると思うのですが、ピシッとした空気の張り、能面をつけ、舞われる方からは、気迫が感じられますね。頭上には星が瞬き、眼前では舞と篝火が揺れていました。

 羽衣、翁、高砂、土蜘蛛。大三島まで出かけて観た船弁慶。一度は観たい葵の上。郷土でもあるのですが、観世流だけです。奈良の興福寺での、観世、金春、宝生、金剛の4座混合はありません。況してや、狂言もあるのです。こういったことに時間をかけられるのは、とても幸せなことですね。野外ならではの開放感と、自分の想像を豊かにしてくれます。

 ロイズのチョコ、お・おいしい~ぃ♥。太るから止めておこう、という理性のセーブが利かない。1ヶ、また1ヶ。またまた1ヶを食べてしまう。あ~っ!!半分がない。とか言っている間に、1箱が空になる・・・。生チョコオーレ、いけますねぇ。仕事のストレス解消を優先するか、メタボを優先するか?それが問題ですね。

 今回の上京は、リエさんの出版記念会が目的です。何と、宿泊先が、モンスターホテルみたいなんだって?!何処かで聞いたことがあるよ。え?そういうタイトルの本がなかった?未来が視えることってあるんだね。リエさんの伯母さんの、神がかりにも、何だかそういった要因がみえる。デジカメで写真を撮っておいてね。きっと不思議な現象が写るかも。

 聴こえるんだ。その雰囲気のざわめきが、わかるんだ。伝わってくるんだよ、説明できないけれど。逢えばきっと、謎が解けていくよ。そういう意味でも、今回はいろんな人が集まって来るね。お互いが相手を引寄せるんだ。しかも満月。満潮時になるよ。何が起きても不思議はないと思う。本物のサンタさんが現れるかな?

 昨年の枇杷苗1年もの。これは鉢が拙かった。今年の冬には植え替えよう。植物の殆どが冬場、或いは寒中の仕事です。旧暦を参照してします。新暦だと、間違いが多く、被害が大きくなりますね。

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偶然が重なって・・・

2010年05月11日 | Weblog
 此のところ、大気が不安定になっている。下弦から新月に向かう時には、亡くなられることが多い。満干潮も影響するが、単なる偶然ではない。また、新月から満月になっていく過程では、新しい命が誕生する。これは、古来から言われ、伝えられてきたことです。不思議な縁の話も、此処に紛れ込んだら、覚えているのかもしれません。

 Aさんの義母様が亡くなられたのも、偶然が重なったようにみえて、決まっていたことです。けれども、人間の生死は、なまじ誰にでも話せることでなく、最も言ったとしても、信じてはもらえません。そのAさんが、日頃から私が、聞こえない声が聴こえる。という超常現象を体験されて、話してくださった。

 お葬式の時の、読経に混じって、何とも清々しい鈴の音がした。と言われる。耳というのではなく、頭に直接聴こえたらしい。もう一つは、お坊様が戒名をつけられるのに、悩んでおられ、1回目の戒名には、拒否の反応が大きく響いた。と話され、2回目の戒名では、それでいいというようにチリチリと音がした。と故人の前で語らって居た時、Aさんは、義母らしい。とつい言われたのだそう。

 すると腕をやんわりと引っ張られた。と言うのです。で、隣の甥御さんに、引っ張った?と言えば、違うと返事され、その息子か?と聞けば、そこまで手が届かないでしょ。と不信がられたのだそう。じゃあ誰が・・・。義母しかこういういたずらはしない。ということになったそうです。その話をお聴きしながら、茶目っ気のある故人に、何となく笑みを誘われました。

 人は亡くなって、肉体を離れても、7日間は身内の周りに居るのだそう。故人を悪しざまに言ったり、心の中から憎しみが消えなかったりしたら、取付くのだそうです。憑依と言いますが、特殊な力を持っていると、時々そういったことに、巻き込まれます。前世での行いにも依るようです。同時に、必ずしも憑依されるとは限りません。其処には余程の精神力が必要ですからね。

 枇杷葉の実が、かなり大きくなってきている。雨に打たれているのを見ていると、青いままでかじられている。半分ほどがない。昆虫だろうなぁ。蛙があちこちに見える。ほんとうに気持ちよく、寝そべっている。目を薄っすらと開けていて、その顔は安らいでいるのだ。話しかけてみると、五月蝿そうに見遣る。毛虫もあちこちにいるのだろう。糞がたくさん落ちている。

 作物に農薬をかけるのを、ちょっとくらいならいい。と言うが、できればかけないのが好ましい。地球の温暖化が進んだり、生態系が狂ってきているのも同じで、そういった一連の積み重ねが、破壊をしていることに気づかない。自分は、少しだけだから大丈夫。と思ってはいないだろうか?人間の好き勝手が、今日の環境を歪めて、地球の滅亡を早めている。

 昭和の時代。戦後から状況は著しく変わった。山では木を伐り、海は埋め立てられ、土はアスファルトになった。まるで厚化粧だ。呼吸できなくて、どんなにか苦しいだろうに、そういった思いには至らない。古人は自然を敬い、恐れ、其処に生かさせてもらえることを感謝していた。利口ではなかったが、自然というものを知っていた。

 枇杷葉を眺めながら、何だか遠い日に、私は宇宙を翔けてはいなかったか。そんな想いがしたよ。鉢に移植している、昨年の枇杷苗。木丈は、20cmほどです。
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