枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

雨音が聴こえる

2010年05月10日 | Weblog
 勤務先に着いた途端に、雨脚が激しくなった。昼からの仕事だったが、気温がグンと冷え込んで寒い一日でした。暖房はつかませんでしたが、体にはしっかり着込んでいました。なかなか枇杷葉の湿布が離せません。帰宅して、セーターに着替えました。この気温の変化についていけない。日本の四季が危ういです。人工的なことにばかり慣れて、自然の中での生活が出来にくい体になっていっている。ある意味怖いなぁ・・・。

 先日、亡くなられた家族の方がお見えになりました。ふと視ると、傍にちゃんと居る。でも何という幸せな笑顔だろう。生きている時には、苦しかったり、辛かったりしたことも、今は何も思い煩わなくていいのだ。心置きなく傍に居る。よかったね♪家族の方には、私の言うことが通じたらしく、信用されたらしい。真実を語れてほっとしました。

 見えないものが視えたり、聞こえない声が聴こえるというのは、話す内容にも依るが、先ずは信じてもらえない。次が半信半疑の状態。そうしてやっと信用してもらえる。わかることが凄いのではなく、言っていることの真実を見抜けなければ、全てが水泡に帰す。Aさんに言ったことの殆どが当たり、事実となった経緯は、計り知れない。

 私に、何故解るのかはわからない。お告げのように、頭に閃く。私でさえ、不思議なのだから、他の人は然も有らん。なんだってこんな能力があるのだろうか。こういった能力が意味を持つのは、自白の信用性。私の前に来ると、喋らざるを得ないのだ。手など触ろうものなら、恐怖にあらぬことを口走る。心が読めてしまう。って、とても厭な時だ。

 私が今日あるのも、前世で何がしかの行いができなかったから。現世でそれだけを果たさなければ、来世に逝くことができない。そういった一連の修行もここまで来て、やっと納得した。神さまは、遅ればせながらも、気がつくように視ておられる。我慢強い諭しと、忍耐の限度を越えたものを感じる。最近は、以前ほど激怒することが少なくなった。

 何よりも、腹が立つようにしない。我が身を反省しても、他人の世話までやかない。やっとこ頭の蝿がおえている。というのに、人のことどころではない。Bさんに話しながらも、気弱になっている自分を発見。もしかして・・・、ひょっとして・・・。とあれやこれや迷うことばかり。ため息をつきつつ、模索しつつの仕事である。難儀なことに、心底厭になるよ。でも、これが人間なのだ。面白さでもある。

 旧暦と暮す。というのには、祖母の言っていたことが、様々に書かれてある。祖母は、学校に通って学んだ訳でも、誰かに教えを乞うたのでもない。月を観察し風の音を聴き、雲の様を観て、日々の生活に生かしてきた。身近な薬草を活用し、自分なりの工夫を凝らし、失敗の中から、うまくいったことを覚えていった。それらは自分の体が経験したから、わかったことであろう。

 私が、一番に悔やんでいるのは、もっともっと、祖母と話をしておけば。小学校の低学年では、然程覚えていることも、限定される。私が二十歳の時に、祖母は83歳で亡くなった。昨日の、母に日に、孫が手紙をくれた。大大大ーすき。とあって、私が一番大きく書かれ、傍にあや、ふみな。とうちゃん、かあちゃんの人文字がある。

 極めつけの手紙には、おばあちゃんは1回、<おばあちゃんにはだれもありがとうをゆうてくれん。>てっ言ったよね。この手紙にはありがとうのきもちをこめてかくよ。いつも本当に本当にありがとう♥ふみなより。とあった。下書きをしないで、そのまま書いたらしく間違った字の上には、鉛筆で黒丸がしてある。ありがとう♥、は赤字で書いてあった。

 幼稚園の妹と、しょっちゅう喧嘩をしているが、1年毎に成長の兆しがみえる。微笑ましいし、楽しみでもある。先日久しぶりに負んぶをしたが、重くなっていた。ずしりとした重みに支える手が痺れてしまった。伯母さんや伯父さんに囲まれて、うれしそうな孫の顔を見ながら、これほどの幸せは無いと感謝した。

 昨年生った、猿梨です。甘くて美味しかった。最初に買った時点では生らなくて、もう1本買ったら生った。
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袋かけの前に

2010年05月09日 | Weblog
 今日は、娘と息子との誕生日で、母の日だった。一番うれしいのは孫たちで、手紙を書いてくれていたり、プレゼントを渡す役をしているのだが、下の子は、自分の誕生日が早く来ないか。としょげている。いつもならここで何がしかの物が出るのだが、きちんと話してわかるのを、闇雲に与えるのはどうかな?ということになった。小さいから我慢ができない。でなく、小さくともわかるようにすることが大切である。

 その度に渡していたら、一体何時が誕生日かわからなくなるし、ぐずれば何でももらえるとなる。それはおかしいのです。我が家ではそういった馴れ合いはしない。それでも、一線でご活躍の作家さんが、著作にサインを入れて送ってくれたりするのですから、随分と幸せな環境です。そういうことは誰でもがしてもらえる訳ではなく、ほんとうに感謝に耐えません。リエさんの本も、これから売れていくといいね。

 お天気が続けば、水遣りをしなくてはならず、布団を終った後、ホースを持つ。何時もなら携帯は置いているのだが、何か心が急いて手にしていた。Aさんからであった。突然娘さんに代わるので慌てる。何事かあったのだ。悪い予感的中する。予測はしていたことだが、やはり逝かれた。しかしながら、自然な形で逝かれたのだ。お顔も苦しんだ形跡が、露ほどもなく、お元気な顔のまま、休まれているようだった。

 昨日の3時頃だと云われる。ちょうどその時間、何故か急に眠たくなって、瞼が重くなり数秒意識がなかった。類似体験だ。娘さんの方も、昨日は、急に気分が悪くなって、嘔吐を繰り返し、ぐったりしていたらしい。今朝の始発で帰宅されていた。私も、虫の知らせがあり、安珍・清姫の、安珍のように鐘の中に入れられて、突かれた感じの衝撃が、ずっと鳴り響いていた。それと何も受け付けなくなった。という話を聴いてはいたので、そういった想いもあったのでしょう。

 密葬と言われるので、そっと行かせてもらいました。帰宅して、水遣りの続きをした。木香バラに、屋敷は乗っ取られています。孫が明日、学校に持って行く。と言うので、川の方を切って持たせました。嫁に水揚げの方法を教えておきました。息子達は、早くに来るかと期待していたが、持参品があって遅かった。料理をしていたらしい。私は、手巻き寿しの用意をして、掃除をしながら待っていた。

 掃除は、枇杷葉茶でします。床の艶が出るし、殺菌・除菌してくれる。娘たちも揃って、枇杷葉茶で乾杯した。母の日って、とても忙しい。銀河もほっとして、足元に来ています。日中は暑くても、朝夕はやはり冷えます。お腹の腹巻は放せません。腰にも、枇杷葉の焼酎漬けを当てています。寒さが冷房で応えます。懐炉では汗疹が出ます。選択肢の難しいところです。

 1昨年の枇杷の実。この年、300粒はありました。粒は小さかったのですが、品質も、甘さも一級品でした。農家の方に誉めていただきました。
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懐かしの友に

2010年05月08日 | Weblog
 中学校の同級生は、50人近く居て、7クラスあった。同じ組になった友も居れば、3年間で一度もならなかった友も居る。そしてまた、卒業して遇う人も居れば、音沙汰無き人となっても居た。偶然というのか、勤務先で、同級生の数人に会った。姿は変わっているが、その面差しは少しも違わない。中学校の教室で、ざわめきあった思いの中に還る。懐かしい思いの中には、両親が健在であった、その頃の自分に遭いたいからか?

 年齢を経ての再会には、懐かしさの他はない。彼女にはこれから農作業があるので、一段落したら会うことになった。途端に、中学生になって、急に大人になれたような嬉しさや、勉強が難しくなって、辟易したことを思い出した。国語と社会は好きだったが、理数系はさっぱりで、そういった世界がなければいいなど、思っていたものだ。アシモフの『我はロボット』の中の、子守ロボット・ロビィは、鮮烈な小説だった。

 ロボットも、自分で考えて、行動できるんだ。ロボット法三原則に従ってだが。そこで単純な脳細胞は叫んだ。私もロボットがほしい。友人、家族、その誰もに却下されました。奈落の底まで往きながら、何時かロボットと暮せる日が来るんだ。と思いつつ・・・。21世紀に向かう時代の中で、素晴しい科学の進歩があった。喋る犬や猫。それらの全てがロボットでした。近年は、子どもの姿をしてもいる。

 そういう中学生でした。変人でしたね。授業が厭だったり退屈すると、図書室か、保健室に逃げ込んでいました。先生は、気がつかなかったのか?一度も探しに来なかったよ。まあのんびりとした、穏やかな時代でしたから。緩やかな時が止まったような、そういった時代でした。貧困の差もあって、友人の持っているボールペンに、ひどく憧れました。高校に通うようになって、祖母は祝に、万年筆を買ってくれました。

 あの有名な、♪僕の日記プラチナ・・・とかいう宣伝のです。18金の万年筆が極上の宝物でしたね。今は、自分で買った、パーカーの万年筆がありますが、手紙を書かなくなって、使っていませんね。亡くなったSさんが文具店をされていて、24金がいいというのを、プラチナのペン先にしてもらった。原稿も最初はこれで書いていたんだが、パソコンを使い出して、出番が少ないよね。いかんなぁ・・・。

 昨日は、息子のところで、蝮が出たそうです。毒蛇は、壁に登らないと思っていましたが意外に、1mくらいを上がったそうです。そこから飛び掛ってくるつもりだったのかな?取り押さえて鰻にしました。体調は30cmほどだったそうです。毒蛇は、尻尾が長くないですからね。ちょうど私が、蟻んこと格闘していて、孫を送って行くのが送れ、難を逃れたらしい。嫁は、家の周りをうろうろしていたらしいのですが、咬まれなかったようです。息子は、ダンボールを除けようとして、壁を登っている蝮を見つけたらしい。

 百足や蝮は、木酢で駆除できます。どうもこの臭いは、苦手なようです。木酢は、アブラ虫にも効きます。天然の自然のものは、地球にやさしいですからね。農薬を使わないようにしましょう。乳酸菌で、夜盗虫が駆除できるのも、以外です。人間にはどうということはない物も、そういった物には、効くというのも不思議です。これが自然の摂理なのでしょうかね。旧暦を活用しての、種蒔や植え付けも、知ってすればどうということもなく、自然のもたらす作用が、地球にやさしい。っていいことですよね。

 満開の海棠。桜よりも少し艶やかな色がいい。花の、風に揺れる様が妖艶です。我が家の庭では、その殆どが白い花で、赤、紫、青が多い。薄桃色は、芍薬と椿です。
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花芽茶は甘くて美味しい?

2010年05月07日 | Weblog
 帰宅して、何やら異様な雰囲気がする。ふと、気になる方角を見て、叫んだ!蟻だぁ!!なんということであろうか。蟻が行列を作っての行進。枇杷葉の花芽茶の袋に続いている。えらいこっちゃぁ・・・!!!慌てて、紙袋を逆さまにしてみれば、いるわ、いるわのありがとう?え~っ!我が家の枇杷葉の花芽茶には、無数においでになる。今までこんなことってなかったんですが。甘くて美味しいのかな?お忍びで来るなんてずるいわよ。

 サンタさんが取り扱っている紅茶も、寸極美味しい。Aさんの飲み方には、ちょっとびびる。惜しげもなく入れて、カップに淹れるのだ。そりゃ三日と持ちません。いえ、一緒に飲みました。止める間もあらばこそ。ドバっと袋を傾ける。先日は、とらやの羊羹を頂きましたので、何も申せません。って、言ってるけど。あれは誰にでもできる、やり方ではありませんです。私には勇気がありません。しかし豪快な淹れ方には、一種の羨ましさがありますね。

 Aさんは、この紅茶が甚くお気に入りで、注文してちょうだい。と言われる。明日にでも要る勢いです。サンタさんに、至急メールを入れました。ご親切なサンタさんは、要望を聞いてくださいました。こういう時には、時空配達があればいいですね。まあ、その内に開設されていたりする?そんな訳ないかぁ~?今日は、娘の誕生日です。娘は、カスミ草の花束を、向うが見えないくらいもらってみたい。と言うので、植えていますが・・・・・。

 カスミ草は、今やっと茎が伸びているところです。小手毬や木香バラは満開。鈴蘭も群れています。もうちょっとでレースフラワーも咲きます。鉈豆の種を蒔くのも、新月になってからがいいね。芍薬の蕾もかなり大きくなりました。枇杷葉の実も、親指大のがたくさんあります。まだ袋かけはしていません。これも新月になってからにしよう。毎朝、眺めて頬が弛んでいくのです。とってもうれしいですね。

 枇杷葉のお茶は、癖がなくて飲み易いです。喉越しが爽やかです。花粉症でお悩み、お困りの方、止めないで飲まれていますか?また、飲まなくてもいいですから、嗽や手洗いに使いましょう。殺菌・漂白作用があって、しかも無味無臭ですから、ペットボトルで持っていても、誰にもわかりませんよ。同時に何時でも何処でも使えますね。自動販売機で売っているかもしれませんが、いないかもしれません。枇杷茶だけのものはないでしょう?

 枇杷葉茶の中には、余分な脂肪を付かせない働きもあって、綺麗に食べて、自然にすんなりと痩せれます。また美白効果もあります。私は、帽子がきらいで、農作業以外には被りません。それが何と、シミとソバカスが消えてしまった。枇杷葉茶には、痩せるというより、綺麗に太る。と言った方がいいかもしれません。余分な物は削いでしまうが、必要な物は奪いません。しかも血液はさらさらになっていきます。

 アネモネ三姉妹。あまりに可愛らしかったので、ポーズを取っているところをカシャ!北東向きなので、寒いです。ここに置いてある枇杷葉は、なかなか育ちません。
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爽やかな季節の中で

2010年05月06日 | Weblog
 爽やかな?というより、汗ばむのですが、着ている物での調節で、暑さが凌げるのはいいですね。どうにも機械をつけるのは苦手です。まあ我が家では有り得ません。冷暖房がないのですから。しかし勤務先では、そうもいきません。困ったことに、私以外の者は、割合無頓着ですから、自分の都合で、暑いだの寒いだのを言う。衣類を調整したりすることは、考えてもいません。考え方の基本が違っているのです。

 高齢者になればなるほど、自分での体温調節は難しく、特に急激な暑さや、寒さには耐えられません。それなのに待たせる。という事はどうでしょう。命の危険にさえも及びます。そういった配慮に欠けていては、資格があっても、人間としては疑問です。お粗末なこと由々しきことです。また、介護に当たっては、金品の授与は受け取らないのが基本です。ところが職員が平気で受け取っており、更に自分たちだけで食べればいい。とまで言うのですから情けない。

 長年の勤続で、常態化したり、慣れてしまっていて、介護の基本をすっかり忘れている。口でどんなにきれいごとを言っても、している実態がこうでは、申し開きはできない。源氏物語や、更級日記、奥の細道。日本の古典も佳い。どういった本であれ、心理的な描写を読み取れれば、それらが役に立つこと請け合いですね。自分自身を育てる意味でも、本を読むことは大切です。サンタさんの本を読む前に、『現代農業』の4月号に、乳酸菌のことが載っていて、夜盗虫に効くとはびっくりです。

 知識は一つのことに集中するのも佳し。また広く浅くもいいのです。どうあればいいという決まりはありません。同時に、覚えた知識を教えてあげられれば、自分で納得できた筈ですから、身につくというものです。芸は身を助ける。と言いますが真実ですね。私は、虎の巻きを手元に置いていて、忘れたら読み返します。因みに、『藤井旭の天文年鑑』、『四季の星座』。リエさんが贈ってくれた、『日本の薬草』は必見書です。

 星座関係の本では、藤井旭さんや、日下英明さん。野尻抱影さんの話には、其々の特徴があって、瞬時に引き込まれてしまいます。私の文章は、いつも気儘な自分勝手なもので、脱線しながらほくそ笑んでいる。すっかり横道に逸れ切って、恒星間移動してしまう。ワープを幾度も繰り返すと、ブラックホールに突入になる。あ・如何。また進路不透明になった。

 リエさん。切符の購入には、得割が利きました。期日がわかっているので、随分お得になります。電話で話した物も、とてもいい物が手に入りました。ちゃんとした目利きがしてくれましたので、当日待っていてくださいね。サンタさんも、迎えのことを随分心配してくださっていました。不慣れな方向オンチで、心痛や余りあることだったのでしょう。皆さんにお会いできるだけで、すっかり舞い上がっているわたくしには、ちょっとばかり耳が痛かったです。

 AIちゃんのお祖母ちゃん。おいでになられるのですね。必ず会えると思っていましたよ。不躾者ですが、お話ができるといいです。ほんとうに楽しみです。リエさんの叔母さまが神がかりになっている。とか言われておられますが、実は、背筋が寒くなるような、体験をしました。先日のことですが、いつも水を頂きにあがるAさん処に、小引き出しがあって、それが何やら話しかけてくるのです。連れて行って、帰りたい。暗い、狭いとか呟く。

 それの解決法として、誰かにもらってもらう手筈をしまして、4段ある一番下の引き出しに、手紙が詰まっていたそうです。その小引き出しを作った方のでした。材料も最高なら作り手の心も半端ではなく、精魂込めた作品だったらしい。百万は下らない品です。小引き出しが喋ったというのも、引き出しの中にあった手紙が原因ですが、何故それが私に聴こえたのか?全くいい加減なことを言っているようで、嘘でない証明をしてしまった。

 真実、ここまで当たるとは思わなかったのです。聞こえない声が聴ける。という不思議な体験には、私自身が最も驚きました。私くらいの能力は、きっと誰にでもあるのだと、思うのです。目が見えないとか、耳が聴こえないとかいう以前に、何か本能で知る。教えてもらえるのです。但し、そういった一連のことに敏感でなかったり、見逃してしまっていると、俗世の通り一遍のことにしか、想いが至らない感覚に陥るのです。

 何よりも、自然の中に身を置いて、逆らうことなく、流れに任せることもいいのではないかしら?現実逃避になるのでしょうか。それでもいいように思えます。心を病んでしまうより、自分をしっかり持っていられることは、それだけで凄いことですね。誰でもない、自分であることが大切ではないかしら?私の言うことを半信半疑で聴きながらも、信じてくれたAさんには、感謝の言葉以外ありません。
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月の影響

2010年05月05日 | Weblog
 月が下弦での遠出には、充分な注意をしましょう。といっても、個々の吉方位は其々に違いますから、事故に遭うとは限りません。私の場合は、何かしら用事ができて、定刻に出かけられなくなったとか。何だか行きたくなくなって、中止にしたりする。で、後で通過してみrば、事故があったらしい。ということが間々あるのだ。先日も、寸でのところで、衝突するのを、後ろに引っ張られるような感じがした。一瞬車が動かない。というか、止まってしまう。車が自分の意思を、持っていたのだろうか?

 見えないものが視えたり、聞こえない声が聴こえたりすると、気味が悪い。と言われるが何故だろう?だって、悪さも何もしないよ。ただただ生前の思いを訴えているだけです。私の知人は、入院していましたが、元気になって帰って来たら、電話をして。と娘さんに伝えていました。その時、余命半年でした。それを知らそうと、毎朝現れました。けれどもまさか、そんなことがあろうとは。信じれるものではありません。

 ジャックと豆の木の葉が枯れていたのを、精魂込めて水遣りをして、生き返らせました。或る日、見ると蕾がついていました。咲いては散り、咲いては散りを繰り返すこと、何と3回続けて、同じ季節に咲ききりました。その後のことはわかりません。きっと枯れてしまったのでしょう。その時に、とても綺麗な女性が、白い服(奈良時代の服装)を纏って、立っています。零れるような笑みを湛えて。

 それが一日なら、目の錯覚と思ったでしょうが、毎日続くのです。しかも、私以外の者には視えない。そんな!ほら、其処に立って居るでしょう!!そう言って振り向くと、消えていました。それが8月の中旬くらいで、ふっと掻き消えました。今度は、空にお釈迦さまを初めとする観音さま、如来さまが雲の上に乗っておいでになるのです。差し招くというか、私を見下ろされて、何やらにこやかに話されていました。

 楽器の音が聴こえて、香しい薫も漂っていました。時間にしたら、どのくらいだったのかでしょう。何だか止まっているようでした。スローモーションだったのです。そうかと思えば、天空からの光が満ち溢れて、その中に包み込まれたりしました。そして年末に、もしや、と虫が知らせて尋ねれば、母は亡くなったの。と娘さんの言葉でした。その後、月命日にはできる限り訪れ、お供えをしたり、草を抜いたりですが、逢いに行くのです。

 サンタさん。本が図書館から届いて、読んでいるところです。面白いです。文章も、テンポがいいですね。やさしくわかり易くて、楽しい本ですね。科学的なことも書いてあって、こんな本がどうして今まで、出なかったのかな?出版社の懐の大きさも感じます。ほんとうによかったですね。おめでとうございます。借りた本なので、期日までに払う条件があり、リエさんの本より早く読みました。

 枇杷葉の下においてある、クリスマスローズの鉢。枇杷葉の葉影で、夏は涼しく、冬は程好い条件らしい。株が増えて、今年はたくさんの花が咲いたよ。
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命を引き渡して・・・

2010年05月04日 | Weblog
 人間は、生きることばかり言うが、死ぬために時間をかけて辿っている。小さな時や、若い時には気づかないかもしれないけれど、神さまから与えられた命を、その使命と共に果たすよう地上に降ろされる。生まれて数時間の命もあれば、百歳を越えて尚、生かされている人も。然しながら、光の速度にすれば、一瞬のこと。小さな点にもなっていない。

 生かされていることの真の意味は何だろう?ある人は、その一生を研究に懸け、またある人は、生涯を祈りに捧ぐ。生きている中では、死にたくなることもある。親友と呼んでいた人に裏切られて、絶望の縁を彷徨うこともある。自分を見失って、心を閉ざしてしまうこともあろう。それでも生きているのには、希望があり、目標が視えてくるものです。

 誰も援けてはくれない?いいえ。傍に居て、あなたのことを見守っていませんか?気づこうとすれば、見えてくるのに、違う方向ばかりに気を取られて・・・。Bさんは、私の何気なく言ったことを、ちゃんと覚えていて、変化を見逃さない。他の人がいい加減すぎるのかもしれません。私には、言えないけれどもわかることを、どんなにかして伝えたい。遠まわしでも、どうか気づいてちょうだい。と話しておく。

 外で、ホトトギスが鳴いていたり、風の音色が聴こえたりする。それらを聴こうとしなければ、教えてあげてもわからない。心が添わないのです。そんな人たちに、いくら話していても通じない。Bさんにはそれがわかる。そういった些細なことがうれしいですね。空気でそういった感情が伝染して、雰囲気がガラリっと変わります。皆がみな、そうである必要はないのですが、せめて他人のすることが、相手に添えていないかどうかを、察することができたいものですね。

 最近、可愛いという言葉が、妙に気になります。しかも上司が言うのですから、笑い話にもなりません。主任さんは、絶対に言われませんが、今は産休中です。言葉のもつ意味や、言われた方が人生の先輩であれば、当然言わないのが常識です。新聞でも問題になって、虐待になる。と職員に通達されているのに関わらず、今だ無神経に言い続ける理由がわかりません。言葉のもつ意味、重みを今一度考えてみたいものです。

 自分が主体であれば、当然厭であると思うのですが、そういった言葉に何等抵抗がなく、寧ろ言ってもらえるとうれしい。とまで臆面もなく言うのだ。唖然・愕然として、二の句が出ませんでした。プライベートの同世代なら、勤務以外で使うのは勝手ですけれど。なんだかなぁ・・・日本の行く末まで不安になったよ。子どもの出来が悪いのか、親のしつけができていないのか。幽霊より怖い想いです。

 枇杷葉を観ていると、その呟きが聴こえてくる。燦ざわめく光と風の中で、踊っている小さき者に、私は魅せられていく。あちこちに居ながらも、その姿が私以外には、視えないことにも驚く。ほんとうに不思議なんですが、其処に、此処に居るのです。誰にだって、視えることなのに、何故視ようとしないのかしら?願えばできることなのに・・・。

 毛虫にかじられた枇杷葉。一日でこれだけ、一気に食べたようです。新芽が丁度柔らかくて、美味しかったのでしょうね。
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夏日

2010年05月03日 | Weblog
 暑いですねぇ。今日の10時の温度が27℃でした。汗ばむ気温にもお、ぐったり・・・。先日までの寒さは何処に行ったの?謎が疑問の雲を呼んで、雪を降らせたのかなぁ。ほんとに立春から春分過ぎて、近間までの間の寒かったことといったら。その中ほどは急に温かくなって、すっかり体調を崩したもの。原因は睡眠不足からきたのです。

 睡眠不足は、胃腸をやられます。即ち、食べ物がほしくない。体が疲れ果てているのに眠れない。つまらないことばかり考える。でもその時には、一生懸命なので、そういった要因には気づかない。悪循環になっていくのですが、ぶっ倒れるまで張り詰めている。これが危ない。気づけば体力、気力の衰えに愕然としてしまう。

 いかんなぁ・・・。それでも枇杷葉茶を飲んでいたから、この程度で済んだのです。そうでなかったら再起不能ですね。で。思うのです。太陽は必ず昇って来る。とか、嵐や雪の日があっても、春は廻ってくるんだよね。って、考えてひたすらその日をじっと待つ。慌てず騒がず耐えている。内面では、感情を抑えていて、外面に至っては、笑顔で接するのです。しかし、これが疲れるの。我慢の限度を越えてしまう。

 枇杷葉の効き目は、実に様々な効果があって、その個人差も大きく分かれるのです。性格の違いもあります。知人の中には、重症のときだけに活用して、その後はとんと飲まない。とか言う。また、私をすっかり当てにして、材料をあげるから処理して。と言う友人もいまして。まあ、こっちも薬草を頂くので、無碍にもできませんので、やってあげます。この友人とは腐れ縁ですので、極たまに会って、何処かしらに行く。

 友人とは、趣味が全く違うので、コンサートに行くのでも、落語を聴きに行くのでもありません。況してや、図書館に行くなど期待はずれで、単に花が好きだけです。お互いの生活をしながら、チョイ悪道中を続けています。時々会うから、いいのでしょうね。以前は、毎日のように(仕事で)会っていました。私も友人も約束事は、プライバシーには踏み込まないのです。

 ホトトギスの鳴き声を聴きました。♪卯の花の匂う垣根にほととぎす早やも来鳴きて忍びね漏らす夏は来ぬ。田ごしらえをしながら、畦に石垣から垂れていた白い花は、とても佳い匂いがしました。吸い蔓の花の蜜を、蜂や蝶と吸いながら、遊んでいた頃に還っていくよ。野いちごの花も咲き始めて、緑と白のコントラストの見事さには、息を呑むような美しさがあった。両親に、手伝いをしないと怒られながら、イタドリを採り、駆け回っていた。

 あの頃には、何をするのも手作業だった。そしてしなければならないことが多く、多忙を極めていたのに、時間はたっぷりあったように思う。今は、特にすることはないのに、時間が限られ、気忙しいのは何故だろう。何かをしていると、あっという間に時が経つ。これは年を重ねてきたということか?そう言えば、体もゆっくりなように感じるよ。

 枇杷葉茶を沸かして、残っていたお茶で、冷蔵庫と床の掃除をした。汚れていないようでも、手垢がついているね。雑巾が黒くなって、びっくりしたよ。枇杷茶で掃除すると、手荒れがないし、艶が出てくるんだ。体の中も同じように、綺麗になっているのだと思える。枇杷葉茶の色が付いたら落ちないけど、染色にはいいらしい。ワイン色に染まるのだそうですよ。瀬戸内海の島で、そういった仕事をされている方もおいでかと。

 明日には咲きそうな海棠。ちょうどこの時、平岩弓枝氏の『南総里見八犬伝』を読んでいて、玉梓の様子は、海棠が雨に濡れている風情。とあった。美人の例えである。枇杷葉、梅と芍薬に次いで、この花が好きな理由です。
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皐月産まれの・・・

2010年05月02日 | Weblog
 娘と息子の誕生日は、中一日置いての同じ月だ。いつも水を分けて頂くAさんは、その中の日で、誕生日が続くのです。しかも、今年は母の日が重なっている。面倒なのでその日曜日に我が家に集まることにした。勤務の関係で、休みばかりは取れない。この日には、図書館で読み聞かせをしていた、当時小学生だった子が、大学を辞めて結婚すると言う。大学も親がやっていたのを、何に血迷ったのか、卒業しないで同棲し、社会人になったから。と宣のだ。

 一流ではないにせよ、親の期待もあったろうし、入ったからには目標を見つけて、ちゃんと卒業します。と宣言していたのが、いつの間にか自分を見失っていった。何という愚かな考えだろう。だがその子にとっては彼女こそ、全てだったのだろう。同時に、自分の金で行かなかったのは、親のありがたみや、他人の言ってくれる言葉の意味さえ、不明慮にした。それがわかるとは思わなかったが、後悔した時には遅い。結婚式の招待を受けたが、母親を知っているだけに、心が騒ぐ。

 枇杷葉のお茶と枇杷湯にした後を、乳酸菌と混ぜて使えば、夜盗虫の駆除になるらしい。と言うのも、茶葉でできることなら枇杷葉茶も同じです。鉈豆を根からやられるので、今年はこれでやってみよう。また、新月になるよりは、新月からがいいらしく、満月の満潮時にするのがいい。月の周期と、潮の満干潮には、とても不思議な関係があるのだ。旧暦の本を買ったが、解読して使いこなしたい。

 我が家の枇杷葉は、実が生っているのが茂木で、苗は白枇杷や白茂木、祝島の枇杷苗。淡路田中や房洲枇杷もある。其々に葉の形でしか、今はわからないが、似ているようで違っている。特長があれこれ出ていて愉しい。用途は略同じですが、効果が違うのです。基本が茂木の赤枇杷、と知っていればいいですよ。房洲枇杷は、比較的に寒い地方でも育つのでしょうか?茂木の場合は、花芽がつくものの結実しませんね。

 今年は、霜除けができませんでしたが、次回には挑戦してみます。花芽も摘み取りをしたり、いろいろ工夫をしてみるつもり。花木店で接木の物を購入すれば、簡単に実が生るのですが、種から育てていくほうが、様々なことに強い苗になり、自然に対しても、人間にとっても結果がよいと思えます。手間も時間もかかりますが、それなりに応えてくれます。

 枇杷茶を使って掃除すると、アレルギーが解消されます。洗濯に風呂の残り湯を使うと、洗濯機も洗濯物も、痒みを消します。冬場の肌の瘡つきは、ひどいと粉を噴きますね。これが自然に治まります。枇杷湯で洗髪すると、フケもなくなります。私は、冬場は1ヶ月程、洗髪しません。洗うのには、シャワーでなく枇杷湯で、パックスナチュロン社のボディソープで全身を洗います。頭から足先までなので、とても簡単です。

 朝の洗顔後に、枇杷酒のローションをつけて、角質を取り、美白効果をします。これだけでもいいのですが、ファンデーション(小豆粒大)を薄付けします。眉を整えリップを塗って完了。(何処かのCMみたいですが)これだけで充分なのです。自分の手(指)で付けるので、化粧落ちはしないし、しっとり馴染んでいますよ。枇杷化粧水の美白効果は凄い。風呂上りに全身にスプレーすれば、シミとソバカスを探すのに困る。黒子は消えません。

 枇杷茶とグリセリンで、化粧水を作ることもできます。但し、これは手間なのです。防腐剤や界面活性剤が入っていませんから、たちまちに腐ります。必要な容量だけを作って、使い切ってから、補充するのは些か面倒かもしれません。枇杷酒は焼酎が基本ですから、腐ることがありません。リエさん。今年は、種を植えないで、焼酎に漬けておいてくださいね。

 枇杷酒の分量は、きっちり守ってしてください。アミグダリンは熱処理には弱いですが、焼酎の場合はそのまま出ます。それらを知った上で作ってください。枇杷葉を使うのは、12月からです。何にでも旬があります。約束事は必ず守るようにしてくださいね。健康になるより、体が蝕まれては何もなりません。注意一秒、不健康一生です。

 我が家の淡路枇杷。4年目に突入しました。木の高さは3m弱くらい。軒下に届いていて、夏は暑さ避けになっています。

 
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方向オンチ

2010年05月01日 | Weblog
 方向オンチは、三半規管が弱いのだそう。これは枇杷葉茶の効き目はどうだろう?街は苦手で、大都会などは何処に居るのか見当もつかない。車も乗せてもらえば酔う。従って修学旅行は散々だった。誰彼の運転でも、気持ちが通い合えばいいのだが、自分勝手な運転には参ってしまう。都会には、行き慣れていない分、目印がわからない。ハチ公の銅像とか、西郷どんの銅像と言われても、はて?それが一体何処にあるのか???

 それなのにリエさんに会おうなど、まったくもって、未知との遭遇。時空の移動になればエネルギーは消耗するが、できなくもない。って、突如として会場に現れたら、他の皆さんが恐怖で固まるだろう。こういう離れ業は使ってはいけない。誰も見ていないところで、気づかれぬようにしなければ。サンタさんって、サンタクロースの娘なのかな?それとも息子の嫁さん。え?秘密ですか!やっぱりねぇ、CIAがチェックするものね。気をつけよう。

 休みの日には庭を見回るのだが、今日は鉢を動かした。春に咲いた花が終わったので、これから咲く花を日向に出した。ランタナの白を買って来た。枇杷葉の実が日に日に大きくなる。私の親指くらいになっているのもあって、びっくりしたよ。水遣りもしたよ。鉈豆の種を買って来た。連休明けの満潮時がいいのですが、下弦になるので暦をみてからにしよう。

 フェンスの外に、リナリアの種が零れて、咲き競っている。案外に芽が出るものだと感心した。青紫蘇に至っては、そこら中に芽が出ている。きっと緑の海になるだろう。バッタが飛び跳ねている。バラを始めとして、そこら中の芽を食べている。カメムシも枇杷葉の葉にしがみついていた。家の中にも出現して、銀河が追い掛け回している。まだ小さく5mm程度なので、捕まえられないらしい。

 藤の花は、匂いに酔いそうになる。桐の花は、色も控えめだし、匂いもあまりしない。ひっそりと咲いていて、その佇まいが気にいっている。今は、花水木の艶やかな姿が目を引いいている。我が家では、小手毬が咲き始めた。金魚草の苗も陽射しを浴びている。クリスマス・ローズは種を熟していて、気づいた時には苗が育っているよ。パンジーもビオラも、縁取りにはならないが、あちこちで咲いている。

 枇杷の実をじっと見ていると、やはり霜にやられている。被害は然程ではないが、こういうのは売り物にはならない。リエさん、安心してね。味には自信があるよ。りささんにも、サンタさんにも、たくさんではないけれど、送れそう。で、何に入れて送ったらいいかな?今から小さな箱を用意しておかなくっちゃね。愉しみだなぁ。持ち家なら、誰にも文句は言われないので、枇杷葉の種を植えてみませんか?

 枇杷葉の旬は、六月です。今の時期のはハウス物です。暖かいところなら、種を植えておいたら、芽が出るかもしれませんね。30cmの素焼きの鉢に、3粒を目安に植えます。霜にかからないように、夕方には室内に入れます。日中は野外に置き、また充分に水分をします。これが面倒くさい方は、軒下や霜にかからないようにしておくことです。水遣りは忘れないように。同時に芋虫が来ますから、種を食べられないようにします。

 人間の子どもでも、産まれたばかりだと、泣くばかりです。機嫌がいいと笑ってくれますが、始終泣くのが赤ん坊です。枇杷葉の種は、泣きはしませんが、笑いもしない。従って危険を知らせる手立てがない。人間が始終気をつけていて、その状態を回避してやらなくてはならない。人間より世話です。でも芽が出たり、育っていくのは、言葉にならない思いがある分、うれしいものです。

 我が家の枇杷葉は、種を植えたのもすっかり忘れ、幾つか植えた分の内、一つが芽ぶいたのです。鉢に植えたものですから、そこに置きっ放しで、いつの間にか根付いた。肥料もやらず、ほったらかしでした。3年目に幾つか花芽がついたのですが、どうすればいいかわからなくて、鴉に食べられました。4年目には、淡路島に行って、ポイントを聴いて帰り、そこから記録を付け出した。枇杷葉の実も鈴生りで、孫たちの枇杷狩りは賑やかでした。

 白い椿。エリノアと名づけています。
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