枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

朧月夜は・・・

2011年03月20日 | Weblog

 今夜は満月。しかしながら雨です。昨夜は、丸さが僅かに欠けた月が、東天に昇っていたのに、矢張り午後から天気が崩れた。暖かな天気に恵まれ、春雨に花木がうれしそう。球根の芽が、ずいぶん育っています。一時は雪と霜に、どうなるのか心配でしたが、復活したようです。安堵しました。

 東側の枇杷葉に、寒冷紗をかけていたのが、強風に煽られて外れていた。ヒヨドリの来てはいたのが、何と枇杷葉の葉を食べてしまっている。1枚もない。花芽だけが残っている。何てこった!でもなあ・・・、餌がないんだよ。ヒヨドリばかりが悪いのではない。みかんを置いてやらなかった、こちらにも責任がある。

 鳶は、鼠を狙っている。自分の食い物だから、眼力を飛ばして襲い掛かる。自然界の掟は厳しいですね。人間は、何処かで誰かが援けてくれる。と言う期待があるのかもしれない。最も、自力での限度もあるのです。自然界での、知恵や工夫といった、生きていくための考える力が欠如しているよ。

 寒さや暑さへの対処法には、ガスや電気でなく、自然の恵みを分けて頂く方法がある。ロケットストーブは、熱効率のよい薪ストーブで、しかも大量の薪を必要としないらしい。冷え性や、寒がりの私には、持って来いの暖房ですが、今の住まいでは無理かな?夏の暑さは凌げるのだが。

 お彼岸に、墓参りに行き、母や祖母、ご先祖様に、お萩団子と花を供えた。居合わせた兄は、猪が出ると文句を言うが、餌を探すのが野生の本性。筍を採って食べたければ、藪にたっぷり生ゴミを入れておかないからだ。筍だけを食べようとは、勝手すぎる。そりゃ猪も怒るわ。故郷を捨てておいて、今更何を言うのだろう。

 昨年のシクラメン。今年は、未だ咲かない。寒かったからかなぁ・・・

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

お彼岸

2011年03月19日 | Weblog

 今日は、とても暖かな日で、暖房を停めているのに、汗ばむ気温です。梅の花に、沈丁花の香りが漂っていました。芹や三つ葉も新芽が出、薺の花が咲いて、陽炎が立つようです。帰宅路には、うっすらと闇が迫っていて、夜空には霞がかかっている。

 オリオン、シリウス、リゲルの冬の大三角は、西の宇宙に傾いで、おとめ座のスピカが観えている。不安定な天気ではあるが、春の季節になっているんだ。たんぽぽも、首を竦めるようにして咲いている。辛夷や木蓮の咲くのも、もう直ぐだろう。

 朝が早く明けだしたので、雀の声が喧しい。ヒヨドリは雀の餌を横取りする。そのけたたましいこと。うるさ~い!と思いつつ、弁当を作っている。枇杷葉に来て、花芽をせっせと啄ばんでいる。ヒヨドリは体もでかいが、態度も大きい。

 風邪を引いて、鼻水が出るのを、あまり咬み過ぎると皮が剥ける。ティッシュのいいのを使っても剥ける。洟を咬まなければならぬので困る。それでも、枇杷葉の花芽茶を飲んでいて、これくらいで治まっている。そうでなければ、鼻は爛れてしまう。

 我が家の孫たちは、小学校に上がってしまうので、ちょっと距離が開く。この頃は、1歳児の成長が楽しい。この時期の幼児は、母親から離れようとしない。それをあの手この手で、こちらに向かす。食べ物では、その時だけなので、他の物した。折り紙に母親が飛びつく。

 それにしても最近の親は、負んぶをしなくなった。両手が空いて、ずいぶんと楽なようにも思うが、田畑がある訳ではなし、対面育児が増え、室内で過ごすことが多いからか。小さい子どもも減っている。孫の入学式は4人です。まあ、全校で60人居ませんからね。

 クリスマスローズ。これは昨年から咲いている。花が咲くまで、3年待った。今年は2本咲いている。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

限りある資源

2011年03月18日 | Weblog

 日本は、島国で、生産はしれている。その中で、自国の食べ物の供給を行い、蓄えておかなばならない。それなのに、山を田を放棄して、食べ物は、お金を払えばいいという考えは、どこかしら間違っている。打ち出の小槌ではないのだ。資源には限りがある。自然の恵みに依って生かされていることに気づかなければ。

 人間だけが、食べ物を自由にしていいのでもない。地球上のあらゆる生物の存在があってこそ、成り立っていくのだから。命のあることを感謝しよう。そこから、原点に戻ってみよう。お金があっても、物がなければ買うことはできない。日本の国は、お互いが助け合ってきた戦後を忘れてしまったのだ。哀しいことです。

 私にできることといえば、いつものように、節約と倹約です。寒くても湯たんぽで眠り、風呂も10日に1度くらいしか換えません。枇杷湯ですから、臭わないし、体が温まるしで、一挙両得です。洗濯にも水遣りにも使います。自分のできる範囲での、地球に対する思いやりです。自然との共有は、人間だけの自由にはいきません。

 枇杷葉に援けてもらえることの感謝。日々の生活の中で、自然に対しての、心の添わせ方が、今を生きることへの想いに通じるのだ。と、感じています。このことを忘れないでいることも大切です。人間一人のできることは、とても小さなことです。でも、木村秋則さんの言われる、ハチドリのように、できることをすることも、大事なことに違いないのです。

 自然が泣いている。地球が窮地に立っている。宇宙に援けを求めている。私にできることを、できることから始めるのです。いえ、始めています。ありがとう枇杷葉。その力を信じ、少しづつ渡していこうと想うのです。神さまが、使命を与えてくれたことにも、感謝します。枇杷葉の力が、体に溢れてきます。頑張らないけれど、生きることを選びます。

 2月に降った雪。あっという間に積もった。翌日には、その殆どがとけた。淡雪でした。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

鶯の啼く・・・

2011年03月17日 | Weblog

 今朝、はっきりと聴こえた鶯の鳴き声。『ケチョ・・・』の声はもうずい分と前からしていたが、『ホーホケキョ』にはなっていなかった。鳴き声が近いので探すと、枇杷の木に来ていた。枇杷葉の濃い緑に溶け合うように止まっている。外に行くと驚いて飛び立った。

 蕗の薹も土の中から出て来ている。蓬も心細さそうに覗いて来た。星の瞳が田んぼの際に咲いている。仏の座も咲き出した。梅は満開になっている。マンサクが咲き、辛夷や木蓮が膨らんできている。水仙も寒さの中に咲き零れる。雪が時々舞っている。

 寒さが厳しい今年ですが、季節は廻ってくるのですね。人々の知恵と勇気を、神さまは試しているのでしょうか?昨夜は、何だか不思議な世界に往っていました。夢なのか、幻なのか、来るべき世界の予兆でしょうか。そこには誰も居ませんでした。深閑とした虚無な世界です。

 今年の枇杷葉は、その殆どの葉が、霜に焼けてしまい、赤くなってしまった。寒冷紗をかけている、長崎の茂木枇杷だけが無事です。20本近い枇杷葉を、冬の間だけ、室内に取り込むのは、地植や大きくなっているのもあって無理です。鉢植えも、場所を取るから全部は入らない。

 鉢植えを軒下に移動して、寒冷紗をかけておけばいいようにも思うが、洗濯物や布団が干せない。暖かで、雨量が程ほどにある土地がいい。そうなると私が難儀をする。引っ越さねばならない。生活の全てが変わる。夏への扉は、何処かにないものか。

 今日も、小雪がちらついて、寒い日になった。Aさんの手当てが済み、帰宅途中から、左の腰が痛み始めた。暫く、我慢していたが、明日の勤務を思い、枇杷葉温圧療法をしている。蒟蒻の程好い熱さが、体に入っていく。寒いと筋肉が痙攣を起こすのか?

 種から育てたパンジー。思いの外、いろんな色が咲いたよ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

不安定な気候

2011年03月16日 | Weblog

 今朝、お天気だった。風は少し吹いていた。布団を干したら、雪が降り出した。慌てて終う。その後は風が強くなって、枇杷葉にかけた寒冷紗が、膨らんでいた。雪の勢いも強くなり、仕事に向かう途中、遭難するかと思った。吹雪である。ほんとうにどうなっちゃっているんだか。

 寒いので、おかしいなと考えていたら、腹巻を忘れていた。お腹がスースーする。トイレが近くなる。腹巻はとても大事だと再認識する。仕事に集中できない。寒さ対策は、自分でしなければいけない。暖房に頼っていると、身の破滅だ。帰宅して、懐炉を貼った。自家発電?

 例年だと、枇杷葉の花は、その殆どが咲いてしまっているのに、木の傍に行くと、とてもいい匂いがしてくる。花が咲いているのだ。寒冷紗のためか?東側の寒冷紗を直していて、1枝折れているのに気づいた。もったいないので、花瓶に活けた。枇杷の実になりかけていた。

 リエさんに連絡がついた。あ~よかった。声が聴こえる、というのはうれしい。元気な声だった。私には、何もしてあげられることはないんだけど、それでも近況がわかるのは安心です。昔の人の苦労を思うよ。今、生きていることへの感謝をする。無事でよかった。

 今年の花粉が、5倍以上の飛翔、というので、花芽茶は効かないらしい。でも、こちらの方と都会とでは、かなりな隔たりがあるようで、その数値がわからないので、対策が立てれない。今後は、花粉と上手く付き合う方法を、各自で検討してはどうか?やっぱなぁ、個人差があるよ。

 暖かくなったある日。そろそろと、蕾を膨らます梅。春が待ち遠しいのは、誰しも同じですね。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

宇宙の異変

2011年03月15日 | Weblog

 今日は、可笑しな天気だな。と思いつつ、布団干しを止め、洗濯だけにした。午後から友人と観梅に出かける。車中での話は、地震のこと、津波のことに集中する。その時に、友人の母親が、宇宙を見上げて、「こんな宇宙は観たことがない。何かわからんけど、大きなことが起きる気がする」、不安にかきたてられて、娘(友人)に話したと言う。

 地震の起きる2日前らしい。またこの時は、日中のことであり、友人の母親だけでなく、異様な宇宙に気づいた人もいたであろう。だがしかし、この時に地震が来ることまでは、予測できず、或いは、日数や時間まで、わからなかったことだろう。私が観たのは、夜の宇宙でいつもは深とした空気が、どんよりと漂っていた。

 地震も津波も、危険が迫っているから逃げなさい。と、言ったところで、何人の人が信じてくれただろう。ノアの箱舟ではないが、あざ笑ったりはしても、誰一人として信じようとしなかったから、ノアとその家族、つがいの生き物しか、助からなかったのだ。人間の驕りとしか言いようがない。人類は、贅沢になりすぎたのではないか。

 お金さえあれば、何でも買えるし、できると錯覚してしまったことにもあるのではないか。簡単で便利な、快適で住み易い生活を、選んだことがいけないのではない。人類にとっての生活にしたからではないか。核実験を繰り返し、戦争を止めないで、結果として、自分たちの住めない地球にしてしまった。

 地球が哀れである。声を振り絞って泣いている。きっと地球は、自力再生を果たそうと、必死になっているのだろう。手塚治虫氏の『火の鳥』に、猿田博士の痛恨の想いが描かれていた。光瀬 龍氏の『百億の昼と千億の夜と』では、アトランタ大陸が消滅する。神の計画の失敗によって。

 小春日和の銀河。とても気持ちよさそうです。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

地軸のずれが・・・

2011年03月14日 | Weblog

 津波による、壊滅的な破壊には、なす術もない。不便であったり、暮らしに不向きな理由で、山から陸地に下りてきたが為に被害に遭った。自然を侮ったり、甘く見ていると、結果は自ずと出てくる。地球の引力や重力、月との引き合う力。太陽の黒点の数やフレアの現れ方が、そのどれをとっても、地震につながる要因ではなかったか。

 地軸が、数千ミリ動いただけでも、人類がこれだけ居て、どでかいビルも建っているのだ。バランスを保とうとする場合、何かがどこかで起きていても当然の顛末であろう。知ろうとする者が居ようが居まいが、時は刻まれているし、止まることはできない。SFの世界でも、シュミレーションの繰り返しでもない。

 戦後からの復旧には、国民をあげて取り組んできた。便利に快適に、生活の改善を求め図り、休むことなくやってきた。決して悪いことではなかった。だが、結果は。山を捨て、田畑を放棄し、農薬をふんだんに使う、安易な方法を用いてきた。重労働からは解放されたが、地球のことは誰一人、考えてこなかった。

 アトランタが沈んでいった原因は、神の気紛れな時空への移動であった。計画は失敗し、以後、宇宙の何処かしらに暗黒が広がっている。こういった不測の事態を、一体どれほどの人類が信じようとしていたことか。原発も起きてみなければ、わからないように報道するが、原爆の怖さは、充分に知っていたのではなかったか。

 クリスマスローズの緋色。鉢の中で、いっせいに咲き始めた。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

一瞬に・・・

2011年03月13日 | Weblog

 昨夜は、りささんのことが気になり、居ても立ってもおれず電話した。元気な声が聴けて安心する。〇さんは無事らしい。安否の心配な人も居るが、連絡方法がわからなくて、PCの前で画面ばかり見ていた。機械オンチは、頭が働いてくれない。Aさんの娘さんに連絡するが出ないので、留守伝言にメッセージを入れた。

 昨夜遅くに着信があり、メッセージが入っていた。朝食を食べて、仕事に出かける前に連絡をする。無事であった。よかった。東京は、揺れはあるものの、普段の生活に戻りつつあるようです。災害の恐ろしさは、それだけでは済まないこと。傷跡は、心の中に残ってしまう。でも、外からは見え難いのです。

 昨夜の月の回りに、まん丸の巨大な輪があった。自然の成り行きに気をつけよう。風の匂いを、雲のさまを。星の輝きに耳をそばだてよう。心のアンテナを張っておこう。私には、何もできないかもしれないが、何かができるかもしれない。あの一瞬に、勇気を与えてもらえるなら、未来に向かう命を援けたい。

 寒冷紗の中の枇杷葉。本来は、12月から1月にかけて咲くのが、寒冷紗の中で咲いている。とてもいい香りをさせています。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

津波・稲村の火

2011年03月12日 | Weblog

 天災は忘れた頃に来る。あの、阪神大震災があったのは、いつのことであったか。あれから十数年の年月が経過しているが、咽喉元過ぎれば。の感が否めない。人類の住む場所は違っても、同じ地球の上だ。ニュージーランドでの地震が、日本に来ない保障はなかった。

 今年の豪雪や寒さには、自然界の保っていた鎖を、神が断ち切ったのかもしれない。人間の、自分たちの暮らしだけを考えていることへの、怒りかもしれない。自然とは、一切を無にしてしまう破壊力のことだ。明日は上弦になる。これから満月に向かっていく。

 月の満ち欠けと、潮の満干潮との関係は切り離せない。日本は、海に浮かぶ島だ。何も、SFの世界ではないが、光瀬龍氏の『百億の昼と千億の夜』を、思い出した。人類は犯してはならない掟を破ったような気がする。何処で何を間違ったのだろう。だが気づいても、決して元には戻らない。

 サンタさんは、無事でした。昨夜は、リエさんに連絡がつかなかったのですが、サンタさんからメールを送ってもらい、PCにメールが届きました。りささんも無事でした。東北の方の安否が気になります。電気が止まっているようです。携帯も充電がなくなるので、頻繁には使えないようですね。

 Aさんの娘さんが、東京に居るのですが、混乱した頭では思い出せなかった。連絡を入れると不在だった。携帯が繋がるということは無事だろう。なんとはなしにほっとした。高層マンションに住んで居るので、心配していた。地軸のずれが僅かでも、人間への影響は多大だ。

 夕方の宇宙に輝く木星。かなり西に傾き、地平線に近づいて来た。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

トイレの神さま

2011年03月11日 | Weblog

 祖母がする掃除は、畳を箒で掃いて、雑巾掛けをするやり方だった。埃が舞うので、隅っこに溜まる。雑巾で拭取る。掃除機などのなかった時代である。叩きをかけても、雑巾で丁寧に拭わないと、綿誇りが散ってしまう。隅々までの掃除には、時間もかかれば労力も半端ではなかった。でも、意外と綺麗にはなる。

 勤務先の床の汚れが気になっていたが、掃除に大幅な時間を割く訳にもいかない。かといって、汚れをそのままにもできない。意を決して、皆の協力でしていった。人手があればできるのでもないが、要は、掃除の手順が問題で、ポイントを押えることにある。

 早く言えば、手作業が一番きれいになる。人間の体には、力の出し惜しみでは、納得いかない部分があり、特に私は、徹底してやってしまう。性格もあるが、どうにも他人にやられるといけない。どうでもいいようなことかもしれないが、掃除の基本は雑巾掛けと思うのだ。

 汚れを取るのは、掃除用品を使えばいいが、体の重心をかけてやらなければ、きれいにはならない。箒の柄を持っているだけでは、ゴミは取れない。生活に便利なような機械も、使いこなせなければ、置き場所に困る。手作業は、労力を要するが静かである。

 祖母の教えてくれた掃除の仕方は、古いのには違いないが、小まめにすれば一挙両得。頭も使うし、体も動かすので、爽やかな疲労感が味わえる。但し、筋肉痛にはご用心。花粉症の被害は、都会の方が多いようですね。枇杷葉茶だけでは効かない筈です。

 リエさん、無事ですか?サンタさんには連絡がついたけど、被災者優先で繋がらない。テレビに映った画面に足が震えた。通信機関も全滅かな?近い内に大きな地震が来ることは、メディアを通じてわかっていたけど、これほど被害が大きいとは。

 先月の暖かさに咲いた、クリスマスローズ。今年は、昨年より花が少ないようです。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする