枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

田植え時期

2012年06月17日 | Weblog

 仕事に出かけようと起きると、外が騒がしい。田植え機の音だ。農家の作業も、機械ででき、ずい分と体は楽なようだが、金銭的にも精神的にも辛い。耕作面積が大きくても、少なくても、何がしかの工夫がいる。農家には出ていく物が多い。それでも耕作しなければ、田は荒れていくのだ。

 原発再稼動。消費税増税。幾ら政府が小手先のことをしても、核のゴミは無くならない。一時金での誤魔化しには厭きる。これ以上国債を増やしてどうする?自分の金ではないから、適当にしておけばいい。明らかに国会では、野次と居眠りが多い。税金を返してくれ。

 原発に反対の学者や、国民の意見を聞かず、賛成派の集まりに、秘密会議をしてまで、再稼動とは如何なものか。自分らには、全く傷みも責任もないと言うのか?再稼動を容認した時点で、皆全て、同じ罪に値する。苛めと一緒でしょう。

 それにしても、福井県知事は、姑息な手を使ったものだ。誰でもない、自分に返ってきますよ。悪魔に魅入られたと言えば、それまでですが、判断の基準は、関電からの金銭でしょう。汚いです。福島の人々の苦しみを、今尚、癒えない想いを、分かち合おうとはしないのです。

 日本が、破滅への道標になったのです。福島の原発とは、異型だから安心・安全、という保障はありません。地震が来なければ、津波が起きなければいいのですか?それらは全て、想定内ですから。自然界の何がわかって、云うのでしょう。日本は、滅亡への扉を開けた。

 広島の、長崎の、原子爆弾の真実を、福島県知事は、何故知ろうとしない。アメリカによって、人体実験をされた人類の哀しみを。幾ら保障をしてくれても、体は、心は、あの日には還れません。再稼動はいけない。原発での電力供給には反対です。電気は足りているのに!

 放射能が飛び散れば、このブルーベリーも食べられなくなる。チェルノブイリの悲劇が、再び起きるのだ。

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梅雨時には・・・

2012年06月16日 | Weblog

 何と、数万円の傘がある。雨靴も、単色ではなく、とてもカラフル。まあ、高い物には、それなりの価値があるんだろう。それだって、消費税が上がれば、買える算段はつかない。ゴアテックスの企画には、雨合羽を着装しても蒸れないのがある。

 息子がバイクで通勤というので、初任給で買ったが、確かに着心地がよかったそうだ。靴も同じだそうだ。強いて言えば、この節では、お金さえ出せば何でも買える。然し、真心は買えない。と思っていたが、遺産の段階でなら、取り分で決まる。

 何だか、あくせく働いているのに嫌気が差す。とてもナイチンゲールの心境には遠い。人間の心の貧しさを、いくら問うても豊かにはなれないからだ。生涯が学ぶ事と、考えてはいるが、それもやはり、金銭的なことが伴う。

 生きるという事は、それ自体が無欲でなければ、頓挫・挫折に打ちひしがれる。断崖絶壁を飛ぼうにも翔べれないのも事実。清水の舞台から飛び降りると、間違いなく大怪我、死ななくても一生動けまい。キリストの教えには、往きつかない。

 芸能界でなくても、のっけから信用させる手口を使って、他人の金を無心し、挙句に返さない奴は多い。前科がないと、警察は動かない。或いは、自分の手柄にはならないことには、敢えて首を突っ込まない。誠意のせの字もないのが警察。

 民間の庶民には、法律的なことも無知なことが多く、訴えるにも金銭的、時間的な余裕がない。泣き寝入りではないが、神の裁きを待つしかない。然るに、世の中とはそういったもので、騙される方が悪いのかもしれない。まあ、昔の方が粋ではあったと思うが。

 雨の一日に、笹百合の開花が脳裏を過る。祖母の好きだった百合で、家の中に立ちこめる芳香に閉口した子どもの頃であった。今は、環境が上手くいかないと咲かない。育たないのだ。立てば芍薬、座れば牡丹。歩く姿は百合の花。

 夏の到来を告げる薔薇の蕾。挿し木をして増えた。生協で買った苗木が枯れ、挿し木で地に下ろしたのが、たくさんの花を咲かせる。

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贅沢な時間を・・・

2012年06月15日 | Weblog

 休みである。何もしないこと、ぼんやりできること。自分のことがゆったりとできる、この贅沢な時間に、心が休まる。布団を干し、洗濯を終え、庭の花木を見て回る。空気の清々しさに、心が解き放たれる。枇杷葉の新芽が、軸だけになっている。殿様バッタ、見っける。

 蛙は、枇杷葉の葉と、一心同体。眼だけを開閉させ、うずくまっている。人間でも、このエキスが心地よいのだから、蛙も同じであろうか。自然に生きている命あるものには、逆らわない、抵抗しない素直さがあることに、新鮮さをみた。

 枇杷葉茶は、更年期に多い怠慢さや、気力の無さには丁度いい。激しい頭痛にもやさしい。じんわりと効果が出るのもうれしい。漢方の効き目には、無理のない浸透があり、体の機能を快復させて、薄いベールを剥がすような働きをする。

 自律神経失調症も同じで、血流を促し、血管の腐りを浄化し、サラサラの血液に変える。個人差はあるが、組織細胞の活性化を図る。合わせて、蒟蒻での治療もでき、安価な上に自分でできるのが特徴である。体を痛めることをしないのも納得。

 古来、民間療法には、身近な物を用いた、安心感があった。西洋医学の渡来と共に、新しい技術が素晴しい、と持て囃された。無論、外科処置には異論はない。民間療法は、病の基になるものを押さえ、体の中の機能に再開させるのだ。

 悪い物だから、取り除くのではない。お互いが援けあい、協力しなければ、人としての成り立ちが困難になる。或いは、いなくなったものの代わりを、何処かがしなければならなくなる。負担が増える分、強めるために何がしかの薬が必要となる。

 枇杷葉茶を飲み、時にはドクダミを併用し、鉈豆を加えたりする。煎じる過程には、同時にはしない。薬缶も別々でする。飲む時にブレンドするか、湯飲みに移して飲む。体の中に入れば同じかもしれぬが、作用としては違うと思うから。

 2012年のドクダミ。咲いているのは鈴蘭。花が咲くまでに採りこむ。花が咲いて数日間で終える。今度は、根槐を掘る。甘くて美味しい。

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予知能力・・・

2012年06月14日 | Weblog

 わかることは、視えない。見えないことは、思えない。思えないことは、不安にかられる。こういった連鎖反応によって、悪循環を作り出し、宇宙の彼方へと心は翔ぶ。垣間見る、不思議な夢に、現を抜かし、両手の中に新しい命を抱く。

 果たして、夢であったものか?或いは、時空が僅かにずれて、見えないものが、視えたことになるのか。とあることを、数人に話していたのが、その通りになったのだ。全く、根拠がないのでもないが、視えることは説明できないから。

 この力は、きっと枇杷葉によって、パワーが与えられたように想える。この宇宙の、森羅万象の摩訶不思議なことが、何かに依って増幅されたり、減少されたりするのだろう。偶々、我が家の位置と、その超常現象との通り道とが、偶然にも重なったのだ。

 非現実的なことが、何故わかるかは、自分にも予知できない。突然、フラッシュが集れたように光って、一瞬視える。覚えている時もあれば、記憶に留めないこともある。時間の隙間を潜り抜けていく不気味さは、捉えどころがない。

 能力の大きさや深さには、さしたる意味はないように思うが、真意はわからない。今以って謎である。キャリーのように、増幅される力が、念動力があれば、原発の電源を入れさせないだろう。結集する力が、あれを閉じ込められるように。

 夕空の眺め。空気の澄んだ宇宙に、悠然と浮かぶ惑星。

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皐月晴れに

2012年06月13日 | Weblog

 晴れた。風もあって涼しい。梅雨の晴れ間、今日のような日を、皐月晴れ。と言います。尤も、二十日が新月ですから、正しくはここからが、皐月の季節。緑萌える、風薫るこの頃は、全身に自然の息吹が感じられ、爽やかで心地よい。

 桑の実を果実酒にしたのを、約束していたので持って行く。ちょっと飲んでみようか?と言うのに慌てる。氷砂糖を入れてはいるが、焼酎も入っている。だめです。小匙1杯をコップに入れ、湯冷ましか、湯割りにして飲んで。と、釘を刺す。

 帰宅して、笊に採る。最盛期は終り、ちょっと数が減ったものの、まだまだ木にはある。野鳥がやって来ては啄ばむ。ナメクジラもいれば、カメムシもいる。我が家の庭には、生き物の多いことか。藪蚊もいる。棲息する条件がいいのだろう。

 洗濯機と冷蔵庫が、体調を崩している。そろそろ寿命かな。電気代のこともあるから、買うのには二舰式と小型にしよう。できればレンタルがいいような。都会ではあるようだが、田舎ではどうか?便利さと快適さを求めようとすれば、違和感を感じる。

 尤も、昔のようにそういった電化品を買わずに、エコな生活が本来の姿であろう。仕事に行かなければ洗濯も、1週間に1回くらいで、手洗いで済むが、諸般の事情があるため、個人的はそうもいかない。眼に見えない物は、あっという間に広がるから。

 カラーは、球根です。わかっていましたが、そこは矢張り、期待をしてしまう。花屋さんに、買わない方がいいよ。と言われがっくりした。ここ数年は、さっぱり花がない。球根をナメクジが齧った、と勘違いをしていた。清流に咲き乱れている白は、品種が違うの?

 名前は、知っていますが、シランと言います。小さな花が愛らしい。

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いざ行かん・・・

2012年06月12日 | Weblog

 友人をナビにして、遠出をすることになる。然も、高速並みの道路をです。時速70Kmだって。三車線だよ。対向車線とか、二車線までの道路にしてもらいたい。自動車屋さんは、一本道って言ったけど、上にも下にも、左右にも道はある。

 選択肢の多いことに戸惑う。正しい道はどれです?中々、目的地には辿り着かない。っていうか私は何処に居るのでせう。そこいら辺のやさしき方に尋ねてみるが、余計にこんがらがっていく。仕方なく、携帯にかけるが、運悪く留守電。

 人間は、自分に関心がないと、以外に知らないもの。ということも判明。こちらの思いには、全く気づかないもの。親切な方は、地図まで出して教えてくれたが、これは聴いている方が、ちんぷんかんぷんなためで、理解し難い。

 愛車には、ナビがない。携帯を持っているが、これまた使い方がわからない。途方に暮れる。と、そこに車の担当者から電話がかかる。説明を聴いていると、ずい分手前で降りてしまったらしい。現時点からもう少し下る、とのことに再出発。

 ヘロヘロになって、目当ての看板を見つける。車内で歓声が上がる。友人もほっとした様子。定期点検なので、小一時間かかるとのこと。退屈な時間だが、歩いて帰る訳にも、買い物に行こうと言う気分にもならず、友人と歳をとった愚痴に興じる。

 帰路、再び手前で降りて迷う。然し、田舎道である。迷っても帰る方向には違いない。確信しつつハンドルを握る。暫くすると、見たことのある風景に出会う。浦島さんにならなくてよかった。友人も不安になっていた模様。

 帰宅して、どっと疲れが出た。方向オンチ、これは車でなくてもなる。東京駅など、リエさんと別れた途端に迷った。新幹線の時間は迫る。ホームに辿り着く前に、迷路が待ち受けていようとは知らなかった。出不精な理由も、これが真実。

 クリスマスローズの白。良く見たら、八重咲きだった。

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ダレンダー?

2012年06月11日 | Weblog

 新暦と旧暦をごちゃ混ぜにしている。今年の新暦の6月は、旧暦の卯月で、水無月ではありません。加えて、月齢と共に計算されていますので、1日から始まっていない。そういった月齢は、人間の体のリズムに合うように、上手くできているのです。

 この旧暦のメカニズムが、体に添ってきたら、コントロールがいき易い。潮の流れもわかりだす。見えないものへの感覚が、わかってきたりするから不思議。でもそれは個々に異なっている。然りなのである。他人への説明がし難い。

 でも。共有できる相手に、めぐり遭えると、事態は変化する。潮の流れが変わるのである。海の潮の場合もあるが、時間軸の場合もある。重力、引力、遠心力等の力が微妙に動く。地震や津波の起きるのも、或いはこういった力の関係があるかもしれない。

 人間は一人では生きられないが、其々の個性があり、仲良くなれるのも、いがみ合うのも、ちょっとした相手への気配りです。厭な奴と思えば、相手も同じ気持ちです。仕事では連携プレーが重要です。プライベートは別のこと。公私混同は避けてもらいたいもの。

 バッタさんが、枇杷葉を美味しそうに食っている。薔薇の花もむしゃむしゃ・・・。捕まえる。無農薬の物に、怒涛の如く押し寄せる。まあ、当然と言えば当たり前のこと。鉈豆も全部発芽してき、蔓がドンドン伸びている。ナメクジラにも注意!

 枇杷葉の素晴しさは、三千年の古来より、実証されてきたこと。個人的にお薦めするのではありません。また、病気を治そうとする気持ちがなくては、何一つできないのも確かです。なまじな希望を持って、と言う訳ではない。本人の心の問題。

 セレネ。ビィーナス。ギリシャ神話での呼び方。どちらも、美しさには秀でている。宇宙に輝く様の見事さに、うっとりします。

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時間どろぼう

2012年06月10日 | Weblog

 時の記念日。三次元の世界では、時間が存在する。一次元は平面、二次元は上下、或いは縦横になるのか。四次元は空間が加わる。人類は、科学的な乗り物で、過去や未来に行けると考え、研究を重ねてきた。

 もし、発明し完成していても、還ってきた者がいないから、確認はできていない。未来社会より、過去の世界に往けば、大富豪になれるかも。宮部みゆき氏の『蒲生邸事件』のように、闇雲に歴史を変えてはならない掟があるのは当然。

 然し、いつの時代にせよ、庶民はその日の生活で手一杯。況してや百姓にとって、貧しく慎ましやかな暮らしの他には、生きる術はなかった。戦争に突入していった背景には、島国の貧しさが駆り立てさせたのかもしれない。

 人間は、何かの目標が無くてはならず、集団でのまやかしには、国を挙げての行動へと移っていったものか。殺人も、仲間がいれば容易くなるし、正当な理由も成立する。まるで呪文を掛けられたように、自分の意思を持たなくなる。

 時間を止める事はできないが、もしかすると、誰かがちょっとばかり止めて、その間に細工をしているのかもしれない。或いは、時間の中を自由に行き来することの、可能な者が存在するかも。知ろうとしても、こちらからは覗い知れないのかも。

 クリスマスローズの満開時に、春の光と重なって、とてもやさしい色あいに見えた。

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入梅

2012年06月09日 | Weblog

 梅雨入りである。早朝、雨が残っていたが、昼前には上がって晴れた。洗濯物をしてくればよかった。と思いつつ忙しなく働く。埃が立ち上がると、睫に留まるのか、痒くてたまらなくなる。枇杷種エキスでよくなったが、原因は排除しておこう。

 床も、モップを隅々まで行き渡らせ、箒で掃く。作業中汗が吹き出るが、終了後は清々しい。エアコンのフィルターを掃除すると、電気代が約20%節電。びっくりした!そのフィルターに、埃が舞い上がって吸い付く。つまりはそこを断たなくちゃ。

 我が家の掃除は、如何なるものか?と言うと、いい加減なものである。先ず、掃除機は極力使わない。手箒で掃く。雑巾掛けをする。掃除機は半年に1回する。部屋の隅をするのだ。要は、玄関から外回りを綺麗にしておく。

 昨日の鬼灯を植え、安納芋の蔓を挿した。夕顔と鉈豆の手をする。桑の実を取る。垣根を刈り込む。大きな毛虫を発見し、ナメクジを数匹捕獲。バッタも捕まえる。枇杷葉の葉がとても美味しいらしい。新芽を集中して齧っている。

 白枇杷の木も、木香バラがなくなったので、ぐんと大きくなっていく。やはり太陽の光はありがたいものだ。雨にも風にも、自然への共生の意味は大きい。人間は、一人では何一つできない。況してや大勢でも、体を役に立てることはできない。

 原発を再稼動させ、福島のような事故が起きないと、何故確信できるのだろう。愚かなことだ。自分達の利益優先であれば、他人の命はどうなってもいいのか?広島の長崎の、苦悩や哀しみさえも、理解しようとは思ってもいない。

 今年の枇杷葉の実。諦めていただけに、見つけた瞬間、とてもうれしかった。

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果実酒

2012年06月08日 | Weblog

 桑の実が鈴生りになって、食べ切れない。ネットで成分を調べたら、葉よりも実の方が断然多い。そこで果実酒にしようと、買ってある氷砂糖と、焼酎でジャム瓶に漬け込む。今見たら、綺麗なサファイア色のエキスが染み出ている。

 ジュースで飲むなら、蜂蜜を加えた方がいいかも。酸味と甘味とがミックスして、夏バテには覿面かな?桑の種類も100以上あるらしく、蚕の餌であった桑からは離れた、実の大きさにもびっくりする。天然の恵みを戴くありがたさだ。

 花屋さんに行く。クリーニングも兼ねているので出かけた。安納芋の苗を買う。フェンスの外に芋を植えて収穫しようという魂胆。芋苗がないかと探していたら、店員さんが持ってきた。定規がなくなったので、他の店に行く。鬼灯を求める。

 孫の迎えに行き、途中図書館に寄る。雨の最中である。びしょぬれ状態なので、暖房をかけて乾かす。孫たちは、いつもは学童なのだが、一斉下校に迎えが重なって、家まで連れ帰る。桑の実を食べたいという孫に、取って置いたのを分ける。

 そろそろ入梅か。肌寒い。慌てて着替えて、カーディガンを羽織る。孫たちも濡れているので着替えさす。上の孫は背丈も伸びているので、ワンピースが丁度いい。よく似合っている。下の孫には、程好い衣類がない。仕方がないから、Tシャツを着させる。

 宿題を片付け、土日は遊ぼうという意図に微笑ましい。少人数の小学校なのだが、それなりに楽しいようだ。統合をする話もあるが、こじんまりした趣でいい。情緒豊かに育っていける暮らしには、季節感の溢れる思いが残る。

 クリスマスローズの遅咲き。今年は咲かないものか?と思っていたら、5月になってからゆっくり咲いた。

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