枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

雷雨

2012年08月11日 | Weblog

 午前9時過ぎ。ピカッと雷光。その後、すさまじい音の雨。午前中、傘が要るほど降っていた。昨夜からの蒸せ方に、落ち着かなかったせいもある。あっちに向き、こっちに向きを変え、中々寝付けなかった。何かしら不遜な気配もしていた。

 昨夜の体調不良が原因か、どうにもすっきりしない。勤務を代わってもらおうにも、人員不足がひびく。健康状態を維持することの難しさです。人工的な温度設定では、様々な不備が出る。自然であれば、考えられないような事も起きる。

 一日の水分補給も、温度設定が26℃だと手が出ない。ところが28℃にして、暑いと感じれば飲む。涼しく快適な場所に居て、冷たい物をどんどん飲める方が可笑しい。体は冷え切って、動くのも怠慢なのに、更に冷たい物を摂って美味しいとは感じない。

 同時に、お茶1杯にしろ、淹れる心構えのある者と、時間が来て、飲まなければ。と言うのでは、味も美味しさも違う。水を汲み、湯を適温にし、お茶に注ぐ。加えて皆、好みの湯温が異なっていよう。そのために早く出したり、ゆっくりとだったりする。

 たかがお茶。いえ、されどお茶です。枇杷葉茶も、そういった心で煎じて飲めば、病も治る。或いは、寄り付かなくなるようです。病気になりたくてなる人はいません。けれどもなってしまっても、受け入れたり、諦めずに生きようとすれば変化がみられます。

 枇杷葉は、その自然治癒能力を促し、援け、知らず気づかせずの内に、威力を発揮して、細胞を活性化させる働きをする。良くも悪くも自分次第です。世の中には、信じ難い出来事も存在します。何もかも科学的に証明できることばかりではありません。

 中輪咲の薔薇。四季咲きのため、初夏から夏、秋にかけて咲き続ける。色も可憐さがいい。

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疲労回復

2012年08月10日 | Weblog

 疲れた・・・。ぐったりの疲労感に、甘い物がいい。今朝、食欲はないが、珈琲を飲みたく白桃を丸かじりする。疲れ過ぎると眠れない。眠ろうとすれば、更に眼が冴える。明け方、やっと眠れたものの、気力が快復しない。その後、眠ったらしい。目覚めたのは9時であった。

 昨晩は、体が冷えていたため、羽根布団と毛布を掛けていた。最近、足元が妙に寒い。尤も、我が家には様々な要因があるので、断言はできないが。午前中は在宅してだらだら過ごす。種を蒔いたサルビアが、蕾をつけ始めている。綿の蕾もたくさんある。

 薔薇の花も、次々と蕾をつけ開花している。薔薇は、暑い国での花だそうで、時期的にはあっている。枇杷葉も、ウンカにエキスを吸われているものの、涼しい木陰を作ってくれる。水遣りが欠かせない。庭の彩りも緑が多い。サンタ枇杷葉は、元気がいい。

 りささん枇杷葉は、小ぶりながらすくすく育つ。品種や年数、条件が違うのであるが、どれも清々しい。秋口になったら植え替えができる。枇杷葉も、生葉が必要なので、りささん枇杷葉から戴く。とても大きな葉で、腰痛にはぴったりのサイズ。

 初夏の木香ばら。昨年、大幅な剪定をしたが、勢いはいい。フェンスに絡ませ、外に流している。

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メリヤス

2012年08月09日 | Weblog

 メリヤス ポルトガル語。綿糸または毛糸で作った、機械網の伸び縮みする編み物。薄地の軟らかな毛織物、モスリン。とある。角川書店 昭和56 1月20日発行の物で、私の頭にある記憶と、さして違わぬ説明だ。してみると、間違った説明ではなかったのね?

 研修に参加していると、講義中の態度で、人柄がわかることがある。特に、介護の仕事には、ここまでという限度は、その先から医療系になる場合だ。何れも、相手に添うことは重要なこと。きちんと心のこもった対応には、安心が備わっている。

 人間は、老いてなおプライドがあり、例え認知症になろうと、僅かながら意思表示はできる。そのお手伝いをさせてもらうのが、仕事のように思える。その方の見える位置に居り、声かけをするのも、ぶっきらぼうでは通じないもの。況して、相手の眼を見たり、声音の確認は大切。

 今回、参加してみて、自分に足らない心構えや、様々な思いを依り深くした。言葉は、かければいいのではない。また、演技をすればいいのでもない。日常の何気ない暮らしの中で、普段通りのことが、普通にできることこそ、当たり前のことであろうか。

 体の機能が次第に衰えていくのは、全ての者に価する。認知症は避けては通れない。然し、なっていく過程を遅らせたり、和らげることは可能になる。死期の迫った人間が、死にたくない複雑な思いと、体の自由が利かなくなったことを、どれだけ理解できているか。

 哲学的な思想に耽る者は、少ないであろうし、そこまで考えてはいないだろう。死は全ての者に平等に訪れる。違うのは、方法と時期が異なるだけ。父母の死に、やっと区切りがついた。魂は、何時も傍に居るもの。自分のこれからの生き方を潔くしたいもの。

 リエさんから、亡父にもらった苗。いろんな種類であったが、3株だけ残る。ぐんぐん成長している。出窓のスペースで。

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水無月の怪

2012年08月08日 | Weblog

 暦の上では立秋ですが、旧暦の方は水無月。雨が降りません。からから天気に、暑さも上昇。朝には30℃の室温が、帰宅すれば33℃で、扇風機は微力で踏ん張る。然し、水遣りを終える頃には、掛かった水でぐしょ濡れ、ひんやりしており丁度いいかも。

 洗濯機を回す傍ら、夕ご飯を戴き、PCの前に座る頃には、涼しい気配がする。室温は、どんどん下がって、午前0時を回ると、27℃になる。涼しいのを通り越して寒い。布団がいる。この2・3日、左肩が痛くて激痛があったので、蒟蒻やら枇杷葉を貼って寝た。

 50肩かもしれない。以前から少しはあったのが、自分の心得方で、ミスったもの。枇杷葉は、焼酎に漬けているのを使用した。ひんやりと気持ち好い。腰には、蒟蒻を当てているが、これが温かくて眠れるのだ。歩けなかった事を思うと、びっこを引いても歩行できる。

 昨日は、ネットの回線が不具合を起こし、今朝の早出と重なって、更新は諦めた。勤務先では夏祭りがあり、その準備に大わらわ。綿菓子器を、近くまで借りに行ったり、浴衣を着るのは誰?全体の流れはどうなの。と、賑やかである。

 その喧騒をかき分け、自分の仕事をこなす。ちょっと無理をしたのか、口内炎になった。鉈豆酒を口に含む。痛みが消えて、胃炎が治まった。鉈豆の鞘が、1つ2つと大きく生っている。油で炒め、塩を一掴みが美味しい。かき揚げも美味しい。

 夕顔が咲き始めた。白い大倫のなよなよとした、儚げさは、実に夕刻に似合う。妖艶とした香気も感じる。あの白い色で織った布は、天女の羽衣のそれであろうか。光に煌きはためく軽さであろうか。闇を覆い隠す神の袖であるのかもしれない。

 桔梗。田圃の畦に、石垣に垂れていたのは、軸の短い物であった。澄んだ紫と、濃い紫があった。薄桃色は、特定の場所にしか咲いていなかった。

 

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人工的な寒さ・・・

2012年08月06日 | Weblog

 夏は暑い。太陽が照りつけ、雨は無く、埃は舞い立つ。ほ照りが締め切った窓から、押し寄せる。だが、動かないでいれば、設定温度を26℃でも、足首・足元が冷たい。これで水分を摂る、となると拷問に近い。温かで美味しいお茶を、心を込めて淹れる。

 肩が凝ってしまった。台所が一番暖かいのだが、じっと居られる訳ではない。あちこちしていると鼻水が落ちてしまう。洟風邪である。引いてしまっては、治り難い。従って予防策として、枇杷葉を使う。枇杷葉茶での嗽は、意外と効果がある。

 肩凝りが酷くなると、吐き気がしてくる。常々、左側が凝るのだが、寝不足も加わっているのか、気分も悪い。帰宅して、蒟蒻を温めて手当する。冷房で、血液の循環が悪くなっており、中々解けない。解凍するに従って、眠気が襲う。

 先日、指を火傷した。と書いたが、皮膚の引きつれも、痛みもない。それよりも、何処を火傷したのかさえ皆無だ。枇杷葉のすばらしいパワーである。何度も書くがその威力たるや、ダイアモンドよりも価値は大きい。自然治癒能力の凄さだ。

 不運にも火傷をしてしまい、治療をしたが治らない。夏に長袖しか着られない。そんな方に教えます。きっと完治しますよ。手当ての方法と、根気良く続ける事で、よく見なければわからない。という皮膚の状態に変えられます。

 全身全霊での治療になりますが、枇杷葉にはそのパワーがあるのです。自分でも、ここまで綺麗に治ろうとは、思いも依りませんでした。治療が早かった?いえいえ、水泡もできていたし、それが破れて、汁が出て来ていました。痛みも相当です。

 でも、医者嫌いのこと。そこに行くのも億劫で、多少は引きつって、痕が残ると判断した。痛みも数日続いたし、皮がめくれてきていた。化膿するかな?とも思ったが、エキスが乾けば塗り、その繰り返しをした。1週間、2週間。1ヶ月過ぎた頃、完治。

 奇跡でしょうか?体のどの部位であろうとも、自然の力を借り、自分の自然治癒能力を生かせば、不可能ではない。手術した痕も、きれいに消えたのです。それとは違うかもしれないが、根気良く続け、治ろうとすることも大切です。

 どうだん躑躅。半分以上諦めていたら、少し遅れて咲いた。

 

 

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ウラン採掘の悲劇

2012年08月05日 | Weblog

 アメリカ・ニューメキシコ州北西部、チャーチロック地区。そこに怪物は眠っていた。地球は、資源の豊かな星。宝石もあれば、化石も眠る。同時に、その使い方を誤れば、人類は破滅への道を辿る。ウランが核分裂してできるのが、プルトニューム。原発はその仕組みだ。

 原発の平和利用はあり得ないし、原発稼動で、核のゴミは増え続ける。地下に埋めるというが、何処の星でもない、地球だ。そこには、様々な生物が営みをしている。人類は、その中の生き物に過ぎない。それなのに何故自分たちを滅ぼそうとするのか。

 毎週金曜日。首相官邸前は、機動隊やら、警察官やらの車が、歩道上を塞いでいて、通らせないようにしてあるとか。記事にはならない、テレビでは放送されない舞台裏。これが民主主義なのか?福沢諭吉のいう理念であるのか。おかしいなぁ。

 太陽も月も、真実のみ知っている。

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悲喜こもごも

2012年08月04日 | Weblog

 高齢になって、歩行ができなくて、補助具を使ったり、車椅子での移動には、とても抵抗を感じるのは何故だろう?祖母の姿に重ねているからか。思うに、その年の祖母は少し変だった。いつものように体が動かず、立ち眩みも多かった。

 それが春先のことで、田植えの引き綱だけは手伝う。と畦からの目印を買って出た。ようやく苗代にたどり着き、この田で終りという時に、畦にうずくまった。倒れたのだ。近所周りの人で、戸板に乗せられ家に運ばれた。意識はしっかりしていた。

 それから4ヶ月床に居た。座敷の端に布団を敷かれ、庭をぼんやりと見ていた。食べなくなった。断食である。仕事ができなければ、死ぬしかない。というのが祖母の思いであった。母が泣いてかき口説いても、頑として口を開けなかった。

 オシメは絶対にしなかった。這ってでもトイレに行く。母が見かねて便器を買って来た。座敷が汚れると撥ねつけ、自分に買ったのがもったいない。と詫びていた。祖母の執念には圧倒された。亡くなる3日前になって、意識が混沌とし始め、やっとオシメを付けた。

 だが、1滴も漏らしはしなかった。その頃には、何も口にしていなかったから、便も出はしない。母に世話になった。と言い、息を吸い込んで逝った。私は21歳だった。不謹慎ながら、人間は死に逝く時、二度と息は吐かないのだと知った。

 祖母が亡くなって久しい。37年が経過した。だが、祖母の生き様は、鮮明に脳裏にある。小さい時には貧乏が厭で、兄妹が煩わしくてならなかった。願うのは、もう一度祖母の孫で生まれたい。そうして兄妹は要らぬ。荒れ果てた田畑に、無念の想いが込みあがる。

 友人の作った傑作。何と、広告紙を裁断して、長さや幅を揃えて作った鍋敷き。もらったものの、使い難く飾っている。なんとまぁ、手の混んだ・・・複雑な想いで使えない。

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蟻とキリギリス

2012年08月03日 | Weblog

 キリギリスは、実に食欲旺盛だ。蟻は、せっせと働くばかり。と、思うが、中々どうして・・・。蟻の中にも、横着を決め込んで、自分が見つけたご馳走だと、メロンの皮から離れないのもいるのね。いいいじゃん、先に見つけたんだから。水遣りの滴がかかろうが、せっせと腹に詰めている。

 枇杷葉の、青い葉が無残にかじられる。蟻は、枇杷葉エキスを吸い出している。蛙は、じっと動かない、温圧療法である。キリギリスは、ひたすら食べる。枇杷葉の使い方も、人間とは大きな隔たりがあって、じっと見ていると面白い。いや、暑い。

 冷凍庫が壊れている。冷蔵庫は使用できない。アイスキャンデーが安いと買っても、溶けて流れるので、高くつく。腹も立つ。よけいに暑い。ソフトクリームを買い、その場で戴く方が安い。ひんやりした体になるので、しばらくは涼しい。¥320

 体は、冷やさないのがいいので、休みの日には、朝から蒟蒻を温める。勤務中は、枇杷葉の湿布。帰宅すれば温めた蒟蒻。腰痛予防である。思いの他、体が冷えていることに無頓着。体が重くだるいのは、冷房のせいですよ。

 腎臓、肝臓、膵臓、脾臓等、冷やしていい臓器はなく、盲腸の辺りと、心臓くらいのもの。膝が笑うのも冷えているからで、足の裏に蒟蒻を当てよう。炎症を起こしている患部は、触らないように。湿布などは効果がみられない。気休めです。

 足浴もいい。バケツに枇杷湯を入れて、突っ込んでおく。或いは、熱いタオルを足に当てて、ゴミの袋に足を入れて蒸す。疲れが取れますよ。浮腫みやだるさも徐々に消えます。然し、冷房を入れなければ熱中症になるので、結果的には続けないと効果はみられない。

 自宅介護を余儀なくされていらっしゃる方には、経費がどんどん上乗せされるから、頭が痛いことだろう。原発などなく、開け放たれた屋敷ならば、風は何処でも通るし、自然の中に居られるから涼しいのだ。猛暑の原因は、化学の発展かもしれない。

 今日は、金曜日である。毎週、国会議事堂前で、行進がある。そこには行けないので、抗議文を官邸に送る。四国の伊方原発を、再稼動の動きがある。政府の汚いやり方に、抗議の声を、反対の意思を示さなければ、同じ事が繰り返される。

 春先に咲いた、チューリップ。三姉妹です。球根も、年々痩せていくそうだ。今年は堀上げてある。肥料は、複合汚染になるので、遣らないでおいた。腐葉土を目下試験中だ。

 

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涼を採る・・・

2012年08月02日 | Weblog

 満月・望である。次いで7日は、立秋。旧暦では、今月の17日までが夏。然し、ここからが暑いのだ。まさしく残暑で、暑さが延々と続くのだ。台風も接近の兆しで、原発への懸念が消えない。明日の国会議事堂前は、空前の人波ができるだろう。

 福島での、脱原発の集会があったらしいが、これは政府の嘘だ。国民の関心を散在させて、目の前のことから離そうとしている。だが、今回ばかりは、庶民は騙されない。その怒りのエネルギーが治まるのは遠いのだ。

 庭の枇杷葉に、帰宅したら水遣り。休みの日には、たっぷり遣れる。鉈豆も花を咲かせて、生っている。今回は、鶏糞はやらず、枇杷葉を敷いて、その上に水遣りをしている。しし唐には、カメムシがよじ登っている。鬼灯は枯れてしまった。

 夕顔とサルビアを、プランターに植えているが、一向に咲かない。カラーとサルビアもだ。相性が悪いのか?金魚草はレモンイエローが鮮やかに咲いている。薔薇の虫除けに、大蒜が好いと言うので、エキスを摘出するべく、漬け込んだ。

 農薬は、かけたくない一心である。有吉佐和子『複合汚染』には、様々な記述があって助かった。以前、買っていたと思うのだが、行方不明である。図書館にあるが、借り手は居ないようだ。還暦を境に取り組んでみよう。

 我が家には、意外とミミズが多い。金銭的なことから、除草剤は撒かない。人体に影響の多い農薬を、何が哀しくて使用するのだろう。その結果を、政府は絶対に認めようとしない。アメリカの言い成りである。原発も、オスプレイも悲劇を繰り返すだけ。

 白枇杷の木。白く見えているのが、袋のかかった実。なんと9粒あった。赤枇杷に比べて、ほんの少し色が薄い。味は濃厚で、果汁はたっぷりである。

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我は山の子・・・

2012年08月01日 | Weblog

 帰宅途上、駐車場に向かう道で、蝉の抜け殻を見つけた。油蝉だ。子どもの頃、宿題もそっちのけで、網を手に夢中になった。母に、佃煮にするのか。と怒られた。祖母は、その夜遅く懐中電灯を手にし、闇の中に浮かぶ蝉の脱皮を見せてくれた。

 体が震える感動だった。命の大切さは、体験しないとわからないことがある。祖母は、寡黙であったが、どうすればいいかを知っていた。蝉をむやみに捕るな。と言うのは簡単なこと。子どもの心に届かなければ、いくら怒ってもわからない。

 故郷の変わりように、唖然としながら、父母の居ない虚しさに囚われる。北原白秋の『この道は、いつか来た道・・・』とは違うかも知れぬが、小さな自分を垣間見る。あの時、知らない小母さんに声をかけられた。時を超えていたやも。

 帰宅して、駐車場の水遣りをする。鉈豆を植えているので、水分は欠かせない。鞘を1つ収穫。室内が蒸せる。台風の影響か、水遣りをしても涼しくない。サンタさんから珈琲が届いている。例年夏休を取られるので、早めに注文したら、来月になっていた。

 新鮮な野菜は、泥付きがいい。綺麗にするために、水洗いをしたら、鮮度が落ちてしまうのだ。無論、熟した物が好い。形も不揃いで、歪な物がいいのだ。自然の中で育っているのに、同じ形はないのです。器量のいいのも、悪いのも、味が好ければいいのだ。

 大蒜エキスを作ろう。お酢でエキスを摘出するのと、焼酎とでやってみよう。どっちがいいかはわからないが、何れも農薬よりはいいだろう。我が家に多いのは、蜘蛛が圧倒的。女郎蜘蛛の背中の模様に、同じ形はないのにもびっくり。

 5月21日の部分日蝕。太陽が月の中に入った時、薄寒さを感じた。卑弥呼の時代、天文現象を知っていたとは。インスピレーション?直感と言うのか、凄まじいエネルギーを感じる。

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