枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

穀雨には雨が降る

2013年04月20日 | Weblog

 こめかみがピキッと来ると雨。耳が痒いのも雨になる。体調にも依るが、略当る確率が高い。最も、天気予報を聞いていればわかること。然し、自宅では端から点けないので、風向きや湿り気での判断をする。棲めば都とも云える。

 それにしても寒い。旧暦で云えば弥生であるから、致し方ないとは思うが。勤務先では薄着でいいが、帰宅すればそうもいかない。着込んでみたが寒いので、ストーブを点けた。山には桜が満開であり、藤の花も垂れ下がる。

 自然に落ちた実が芽吹いたのは、其処で咲くから美しい。山笑うとは、この景色。新緑に彩られて、微笑んでいるように見える。人間の行けない場所で咲く桜は、変幻自在。桜の精が緩やかに舞を舞っているようでもある。見事、見事。

 青空市に行くまでの沿道には、八重桜が連なる。これもまた、見ように依っては綺麗である。桜は、儚く散るのが趣もあるが。まあ、桜には罪はない。明日の昼食は、筍寿しだ。定番の具を入れてだが、旬の物には筍。お吸い物には三つ葉。

 鯛があればよかったのだが、鮮度があるので断念。そこにあるもので、できる料理をする。倹約と節約。酢飯が美味しければいいのです。ご飯は、出し昆布を入れて炊く。できる限りシンプルなこと。試行錯誤の結果、上手くいくのだ。

 そう言えば最近、外食をしていない。手の混んだことはしないが、素材を生かす料理には、自然からのエネルギーをもらえる。タラの芽と雪ノ下の天麩羅は、塩味にしたら美味しかった。弁当と晩ご飯にする。リエさん、食べた?

 出し巻き卵が食べたくなった。自分で作らなければ食べられない。仕方ない、作ろう。人参とじゃが芋、玉葱があれば、おかずには困らない。加えて卵があるとしたら、贅沢な食卓だ。料理の苦手な私にも、凌いでいけます。

 長崎・茂木枇杷葉。枇杷葉の剪定をした直後。かなりすっきりした状態。手前の枝がなくなって、広々とした。

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経ち別れ・・・

2013年04月19日 | Weblog

 失せ物探しに、云う呪文がこれ。お能の『松風』の1節だが、生き物にも失くし物にも効果があるのが不思議。銀河など、この呪文を口にしようものなら、すっ飛んで帰って来た。探し物を思い浮かべて、この言葉を言うのだ。

 子どもの頃には、茶釜の耳を紙縒りで結わえていた。お竈様の霊験鮮かさは、クドクド云わない。まあ、置いた場所を動かしたか、誰かが片付けたかだが、要は、使った後は必ず仕舞え、という教訓だ。置き放しはいけません。

 青空市に行く。こごみ、タラの芽、独活、筍もあった。殆んどをリエさんに送る。人参と牛蒡も入れておいた。少量だが新鮮なのが取り得です。天麩羅にしたらよいらしい。お酒を呑む人には、独活の酢の物は珍味らしい。

 今晩は我が家では、鳥の唐揚げと、ユキノシタの揚げ物をする。キャベツの酢の物もいいな。油物とよく合う。山菜は特に、旬の時期にしか手に入らない。特に食べたい物でもないが、体への免疫や抗体に役立つ。蕨は今度。

 孫等の迎えに間に合うように、青空市へ行ったので、そのまま学校へと向かう。一旦、帰宅してお八つを食べさせ、赤のボールペンが要るので、市内まで出る。往復40分。洗濯物を終い、嫁が迎えに来るまで賑やかなことだ。

 午前中に、枇杷葉の実つきを確かめたら、ほどほどあった。サンタ枇杷葉は、霜で枯れてしまった。残念。他の枇杷葉のも、寒さにやられてしまった。自然界の掟の厳しさにため息が漏れる。昨年よりは実が多いのが救いだ。

 ベゴニアと折り鶴ランの植え付けをする。切って挿していたのが、芽が出てきたからだ。これも幾らでも増える。室内での管理では、花が咲き始めている。葉っぱが食べられそうな緑色。お浸しならいけるかもしれない。

 体調に変調をきたした時、塩での治療が意外と効く。先日も、咽喉が痛く、扁桃腺になって腫れては、とその箇所に塩を擦り込んだ。腫れが引き痛みが消えた。腎盂炎にも、毎晩のように塩揉みをしている。効果有り。

 勿論、枇杷葉温圧療法もしてのこと。生の枇杷葉は、何時でも採れるので、重宝する。このところの気温に、新芽が芽吹いてきている。霜にやられるのだが、新しい命の誕生は、何時遭遇しても感動する。生命の神秘。

 旧正月の荒神さまで、偶然通りかかった電車。たった1両での運転です。その前には、2両編成だった。

 

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発明の日・・・上弦

2013年04月18日 | Weblog

 暦に、発明の日とある。もう1つはよい歯の日だそうだ。成程、読んで字の如くだ。歯は、大事です。食事も、歯がなくては不味く、味気ない。それなのに歯磨きはしたがらない。まあ、鉈豆茶を飲んだり、嗽をしたりするので、口臭は消えるが。

 歯ブラシは、小まめに取り替える。歯磨き粉は、鉈豆のです。元々、市販品のも泡が気になり、そうでないので磨いていた。生協でのチラシで見て購入している。価格は高い。然し、歯医者に行く時間と、治療費を思えば安い。考えようだ。

 テレビのニュースに、墓石が何者かに倒された。と報じていた。ペンキで落書きもしてある。それを観ていた殆んどの高齢者、罰当たりめ。と一喝した。何という愚かしい。人間として、絶対にしてはならないことだ。どんな育ち方をしたのだろう。

 誰が悪いというのでもなかろう。本人の思い違いだ。思慮分別のある者とは思われない。機械を相手に遊んだり、自分の殻に閉じ籠っている者なのか。注目されたいのか?何とも低レベルの発想だ。愉快犯というのか、分析不明である。

 世の中には、不可解なことが多過ぎる。知らなければいいことも間々ある。知って得することは少ない。知ろうとすることも多い。即ち、一生が学ぶことにある。資格を幾ら持っていようとも、使いこなせなければ、意味も半減しよう。心に留めおく。

 明日は休みだが、家庭訪問のため、孫等の迎えがある。給食は食べての下校らしい。雨のような気もする。種苗店に行ってみよう。種物探しだ。青空市にも出かけよう。筍が出ていないか。木の芽和えをしたいもの。蕨もあるかなぁ。

 サンタ枇杷葉の花芽のアップ。さあ、1粒くらいは生るかな?年内に花芽が咲いていないと、実に生り難い。茂木枇杷葉も、霜にやられてしまった。

  

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肩凝り・・・

2013年04月17日 | Weblog

 50肩というか、左肩が痺れと鈍痛で、動かなかった。鍼灸での治療は効いたが、時間が経つと痛みが増す。お灸をしたり、塩で揉んだり、中々これという効果が出ない。仕事は休めない。苦肉の策に、蒟蒻を温めて、枇杷葉を貼りつけた。

 蒟蒻の温かさが、睡眠を援け、程よい持続が痛みを和らげる。痛みが軽減した。枇杷葉温圧療法が、これ程に効果があるとは思わなかった。然し、鍼灸の効果も否めない。枇杷葉エキスの、体内への血液の浄化が、効果を上げたのだろう。

 同時に、体内を廻る血液の状態にも依るか。野菜中心の食生活が、功を発したに違いない。肉類は豆に替え、最低限の調理にしている。野菜の摂取も、塩での料理が多く、味噌や醤油の味付けにする。シンプルなこと、添加物は避けている。

 基本的には、三度の食事がきちんと摂れればよく、暴飲暴食は慎む。季節のその時の食材での、散らし寿しはよくする。安上がりで、見た目も綺麗なので、家族は喜んでくれる。酢飯が美味しければ、お代わりが続出する。孫等の大好物だ。

 出汁も、鰹や昆布で取る。化学調味料は、咽喉が渇くし、体調の変化に気づき難い。気づいたら手遅れの事が多い。四季折々の野菜があれば、ちょっとした工夫で、食事は楽しくなる。簡単なからと出来合い物で済ましていると、病気になり易い。

 まあ、私の体ではないからいいが、日々の生活が、仕事に影響し、悪循環を辿る。病院に行った時には手遅れ。それよりも食生活を見直し、視点を変えることで、病にならない心心算を持てば、医者に行かず健康で居られるというものだ。

 枇杷葉茶は、そういったことからも、体の機能システムを理路整然と整え、血液を綺麗に保つ。その上、滲みやソバカス、ニキビなどの不純物を排泄させ、美白効果を初めとする、若返りの肌にもなっていく。持続は力なり、努力が必要。

 立春の枇杷葉。孫の誕生日でもある。この春、小学校6年生になった。月日の経つのは速いもの。

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気温上昇

2013年04月16日 | Weblog

 早出勤務を終えて、帰宅したら、花木が萎れていた。一日、暑かったからなぁ。ホースでの水遣りをして、枇杷苗のプランターを移す。PCを立ち上げたがどうも気になる。一旦は置いた場所を、鍬できれいにして、置き直した。山茶花が大きく生り過ぎている。

 長崎茂木の実の付き具合を見る。ふ~ん、20粒くらいかな。これは、剪定をしてやらねば、実が付きそうにない。それと、花芽専用にするかな。枇杷葉の年数にも依るが、育てていく木を順番にしないと、実のつきは少ないのか。寒さが原因かもなぁ。

 このところ3年ほど、暖冬とは云い難い。9年はかかるのが、4年目からだったので、余りにも早くから生り過ぎたせいか。塩と糠だけでの発育なので、きっと時間がかかるんだ。と一人ごちる。それに枇杷葉は、空気を清浄化する働きもしている。

 枇杷葉だけではないが、二酸化炭素を吸って、酸素を出す。光合成で生きている。植物のお蔭で、人間は命を永らえられる。我が家は特に、その気孔がきれいに集まっていて、一種神々しいことがある。月の運行に見惚れ、ときめくのも然り。

 ドクダミの新芽が次々と出てくる。根槐を掘っている割には、消えることがない。地下茎での増殖だから、掘ったのがいいのかもしれない。山椒の芽もやっと出た。木香バラが蕾をつけている。初夏の訪れに咲くのが愉しみ。挿し木で増える。

 青空市に、そろそろ行こう。鉈豆の種を買いに行かねば。蕨や薇、筍にタラの芽も。安くて新鮮なのがいい。本屋に行く次いでであったのが、レ・ミゼラブルがなく、市内に出た時に買ったからと、月々の予約購入がなくなったためだ。

 豆まきの日の枇杷葉。節分で思い出すのが、おにたのぼうし。いわさきちひろさんの絵で、印象に残っている。切手シートを買った。

 

 

 

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八重桜

2013年04月15日 | Weblog

 ソメイヨシノが咲き終った後、八重桜がぼってりと風に揺れる。華やかな桜でもある。通勤途上の川岸に数本があって、年数も経っているところから、どっしりと重みがある。心なしか艶やかさを感じる。今月中は、花を楽しめそうだ。

 躑躅も咲き始めた。これからの日々は、緑豊かな景色に変わり、風が薫る。然し、油断はできない。まだまだ霜が降りる。長崎茂木・赤枇杷の、花芽も強風でかなり落ち、実が少ないようだ。反対に白枇杷は、思いの他ついている。

 ふと、頭に過ったのは、枇杷葉の年数が関係しているのか?ということだ。枇杷苗を植えて、9年前後で実が生るのが一般的だ。我が家の場合は、4年目で生った。木は既に傷みかけているのか?それとも寒さに弱いからだろうか。

 枇杷葉にしても、李に、林檎の木があるが、農薬の類は使わない。塩か、大蒜エキスだ。堆肥には、枇杷葉茶の飲んだ後、枇杷湯に使って庭に播く。一旦乾燥させてから使うが、ちゃんと枇杷葉の香りがする。自然に還すことが目的だ。

 家の周りのあちこちに、枇杷苗は植えてある。年数の割には、育たないのもあるし、花芽があっても、霜にやられたりする。寒さ囲いをしようにも、寒冷紗だけでは無理だ。温室か鉢での移動になるが、室内には先ず置き場がないのが難点。

 自然とは、正しく人間の勝手にはいかぬもの。厳しい条件が整ってこそ、花も咲かせば、実を結ぶ。人間と言えど、自然との兼ね合い、阿吽の呼吸も大事らしい。それにしても、1年の歳月は早いものだ。走馬灯のように駆け抜けていく。

 節分。娘夫婦、息子の家族とした、豆まき。孫等の賑やかな声に、鬼さんはびっくりして、逃げて行ったらしい。

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自然からの学び・・・

2013年04月14日 | Weblog

 昨日の早朝から一夜明け、被害の少なかったことにほっとする。淡路島へは、枇杷狩りで行ったことがあるだけに、心に情景が浮かぶ。灰谷健次郎さんが、住まっていた所でもある。当時の灰谷さんは、そこでの生活を、児童書に書かれている。

 灰谷さんとの出会いは、太陽の子の著作であった。当時、NHKで観た覚えがある。主演の女の子は忘れたが、中村玉緒さんがお母さん。井川比佐志さんがお父さん。でも、兎の眼の方が心に残った。鉄三と祖父の関わり方に、酷く惹かれたからだ。

 その後、大阪の三羽烏と云われる、今江祥智さん、上野遼さんと共に、お目にかかることがあった。サインをもらうべく、列に並んでいたが、緊張のあまりか、自分の番になった時には、握手をしてもらった手を、握ったまま涙していた。止まらなかった。

 そこに誰も居なければ、灰谷さんの胸に顔を埋めて取り縋っていただろう。それ程に作品に惹かれていた。未だ嘗て作者にそこまでの想いを抱いたことはない。沖縄に移住された時、何時か遇いに行けたらと思いつつ、訃報を新聞で見つけた。

 享年72歳。あちらに往ってしまうには、未だ早過ぎた。灰谷さんにとっては、全速力で駆け抜けられた人生だったのか。今は尋ねる術がない。淡路島を訪ねた時、玉葱や枇杷葉を作ることをされていたのか。そう思って佇んでみた。潮風が髪を撫でた。

 人は、支え合って生きている。生きている人ばかりでもないだろう。また、傍に居ることもあれば遠くに居ることもある。毎日のように会っても、無意味の人もいるだろう。数年に1度でも、生きることへの励みになる場合もある。置かれた場所で咲くことだ。

 生きることは、自然との熾烈な、壮烈な闘いだ。言い換えれば、自分との葛藤でもある。神に感謝し、様々な関わりを適度に受け入れ、自分を保つこと。命は何時か終える。その日まで、精一杯の努力をしたいもの。還暦にしてようやっと会得。

 図書館で『日本の空をみつめて』を借りた。倉嶋さんがお天気のことを、とても丁寧に説明されるのがよかった。オオイヌノフグリを、星の瞳という和名を知ったのも新鮮だった。花の名まえはつけた人間の責任だ。以来、こっちでよんでいる。

 夕方、頭上で賑やかな音がした。慌ててPCを切った。春雷である。雷も、虹も、春にならないと聴こえない。そういった意味でも春は苦手。冬には、滅多に雷は鳴らない。蛇も、百足も出ない。寒さは季節の特徴だから、自然に学べばいい。

 寒中の枇杷葉。南側に地植にしてある。百日紅があり、西に周ると桑の木と小手毬が繁る。未だ、持ち主を決めていない。

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地震!

2013年04月13日 | Weblog

 早朝のこと。AM5時に目覚ましをかけ、起きようかどうしようか、布団の中で思案していた。突然、携帯の緊急警報が大音響で叫んだのが、???と、気づいて納得。最近は、こんな機能が付加されているのか、と思った次の瞬間、揺れた。

 18年前の阪神淡路の震災の時より、揺れも少ない。慌てまい。布団の中で揺れ方を感じていて、その後、止まった。次に、揺れが繰り返されないかと起きないでいた。やれやれ、と嫁と娘に電話する。無事らしいのがわかる。震源地・播磨灘。

 勤務先が気になる。ゆれの程度にもよろう、と弁当を詰めて出勤した。建物も、皆も無事であった。だが、さぞや怖かったであろう。平屋なので揺れは強くはなかったそうだ。火事もなく、避難することもなくて、よかった。自然の力には適わない。

 原発の再稼動が、本格的にされていなくてよかった。と心底思う。福島第一原発の、汚染水が漏れたり、復興が遅々として進まぬことも、この地震で再認識されよう。核に平和利用はない。安心も安全も、その基準は神でなく、人間が定めたものだ。

 暦では、中潮である。二十八宿は凶。然し尚、怪我をした人々が少なかったのは、阪神大震災の教訓が生かされていたからだ。冷静に落ち着いて行動し、どうすべきかを思考したのだ。自然からの警告を、身をもってして覚えておられた。敬服する。

 だが、これからはもっと大きな、加えて原発への影響がないとは云えない。自然災害だけが起きたなら、生かされていることも増えていく。然し、放射線が宇宙を埋め尽くしたら、被害は計り知れない規模だ。日本は壊滅状態で、援助など何処にもない。

 自分の身は、己で守ろうにも、打てる術がなく、立ち上がろうにも埋まってしまう。CO2が増えることよりも、放射線の人体へ及ぼす影響は、見えないだけに防げない。核シェルターも、金持ちにしか買えない。年収自体がないのに、どうやって身を守る?

 昨年のクリスマスの日。雪の降った枇杷葉に、朝日があたっていた。きらきら光って綺麗だった。

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旧暦・雛祭り

2013年04月12日 | Weblog

 今年のお雛様は、お風邪を召しませんでしたか?雪が降ったようですね。上空に寒気団が居座って、起きたことらしい。まあ、4月に雪が降ることもあるんだ。桜の花が気の毒です。一日中、時雨れて、風に煽られていた桜は、夕方にはすっかり葉桜。

 旧暦の、春遠し。の表現に、頷く他はない。鳴門の渦潮が、始まったそうだ。むろん、大潮の日に限ってだが、小潮でも見られる。渦は小さいが、潮の流れがよくわかる。瀬戸大橋が出来て、船での旅は消えた。自然を生かし、利用する工夫はないものか。

 人類は、便利なことばかりを求め過ぎる。不便であったり、困難なことがないと、体力は低下し、頭も閃きがない。悪い事に、ずるく立ち回りはするが、どの路暴かれる。注意1秒怪我一生。という結果が待っている。然し政治家は、同じ過ちを繰り返す。

 昨日と一昨日は連休で、出窓の鉢を動かせて、掃除をした。花屋さんの言う処、鉢物は、置いた場所を、動かさないのがいいらしい。どうりで元気だ。兎に角増える。どんどん増殖して、今にジャングルになりはしないか。小分けにするのも大変。

 美容事情に関することで。三度の食事をきちんと戴く。お腹一杯食べ(腹八分)、お八つは手作りにし、スナック菓子、インスタントの類は買わない。ご飯は、麦を混ぜる。少しで好い。根気佳く続けることが大切。便秘を防ぎ、肌の状態を保持する。

 便秘に効く薬草は、ドクダミで、根槐を掘って乾かす。寒中の物が佳い。食事形態は、野菜が中心。形は悪くても、新鮮なことと無農薬。買えなければ、プランターで作ります。問題は土ですが、枇杷葉茶を飲んだ後を、天日に干し砕いて混ぜる。

 この時、塩を混ぜるのを忘れない。分量は量らなくても、適当にする。10:1くらいかな?これを丁寧によく混ぜる。その後、1週間くらい何も植えないで置く。塩の分量や土は、其処の地元での条件にも依るので、長年の感も必要かな?いい加減。

 自然の声を聴いてみれば、わかってくることもある。旧暦を知って、知識を増やし、太陽や月に、風や雲、加えて敷地内の条件と、遣るべき時を待つ。何時でも何でも植えればいいのではない。況してや、植える時の注意事項もあるからだ。

 現代農業がお薦め。CM料はもらっていません。とてもためになります。そうすると、何か試してみたくなる。ふむ、そう言うこともあるのか、ちょっとやってみるか。然し、考えが甘いので失敗する。ありゃ?何処が間違っていた。そこから始まる。

 そういった創意工夫が、思わぬ成功に繋がったりする。何よりも、自分自身の生きがいが見つかり、愉しみが増えるのだ。ぼんやりと過ごすこともなく、病院の梯子もなくなる。近所の噂話にも耳を貸さず、他人の悪口は言わなくなる。

 美しい月夜です。セレネの翔ける天馬は、愛しい恋人の眠る場所まで、毎夜訪れて行くのです。その姿が、観えるようでしょう。

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自覚すること・・・

2013年04月11日 | Weblog

 介護福祉士の登録手続きを、郵便局から書類の発送する。これで、正式に合格したことが認められる。今後は、この資格に恥じない自分でいよう。教科書を読み直し、日々業務に励まなければ。昨年の今頃には、受けようかどうしようか悩んでいた。

 お金もさることながら、自分が、そういった資格を修得するに値すのか、随分と悩んでいた。その資格を持って、この先が働けるのか、疑問もあった。これまでにない重圧との闘いでもあったし、志を到達できるかの、揺らぎもあって決心が就き兼ねた。

 その中での、上司の言ってくれた言葉は、やるだけはしてみなさい。という励ましだった。努力もしないで諦めるのではなく、全力での取り組みには、必ずその分の報いもある。教科書はあるものの、わからないことばかりで、肩の力が入るばかり。

 机の前に居ることには、特に違和感はない。却って外には行きたくないのが幸いした。然し、集中力には限度がある。2時間がいいところであった。その間には、無性に他の書物が読みたい。教科書と、図書館の本とを読みまくっていたもの。

 テレビには興味がいかない。新聞のテレビ欄を見ただけで、内容もわかるし、程度が知れる。単に点けるのは、電気代の消耗だけだ。PCのキイを叩き、問題そのものの理解に努め、寒さに着込み、手が悴むのは、指無し手袋を填めていた。

 ストーブを点けると眠くなる。できるだけを我慢し、足元の湯たんぽで過ごした。後日、合格の報告をした時、顔つきが変わっていました。と言われた。そっか、だろうなぁ。目標を目指して、必死であったからなぁ。心のゆとりもなくなっていた。

 そろそろ、次の目標を決めねば。と思案中なのだ。知りたいこと、学ばねばならないことが多過ぎる。何時寿命が尽きてもいいように、絶えず心構えをして、これからの人生を送りたい。生かされていることの意味が、漸くわかりかけている。

 子どもの頃には、若い頃には、想ったこともないことが、還暦を迎えて朧に視える。小さなことに感謝し、言葉の意味を確認して、自分のことでなく、誰かのためにできることが、老いては自分に還って来る。尚更に努力を怠らないように。

 今年の桜の綺麗と、今年ほどたくさんの桜を見られたことを。孫等と一緒に行けたことを。これまでの、様々な要因に於いて廻り遇えた偶然を。お蔭さまであることの感謝を。忘れないでいられたらと、心底想えたもの。ありがとう。

 白枇杷の寒中の花芽。春の嵐が吹きまくったが、実になろうと落ちないでいる。生命の不思議を具間見る。

 

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