枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

弥生、三日月懸かる

2018年04月19日 | Weblog

 帰宅途上、三日月が観える筈と宇宙に眼をやる。暫く探していて、中天に懸かっているのを認めた。金星は、可なり下にある。靄がかかっており、はっきりしない。春の宇宙なのを忘れていた。夕方の暮れ行く時間でもあり、誰も観ている者はいないが、自然の雄大さに心を奪われる。

 興味を抱いたり、趣味であったれば別だろうが、これだけ誰でも自由になるのに、実に不思議だなぁ。と独りごちる。テレビは、セクハラや隠匿放送に忙しい。これなんかも、言葉で説明すればするほど疑惑が深まる。何処の学校を出ているんだろう。東大ならこんな馬鹿はいないよ。

 権力に乗っかってだけの暴言である。地位を利用しての優越感で、庶民を見下している。性別にも無配慮で、男の言うことは黙って聞け。という横柄な態度だ。男尊女卑も甚だしい。自分のことしか考えてなく、事態が悪化すれば、隠れてしまう馬鹿だ。こういうのが遣りたい放題だ。

 然し、大勢の記者や聴衆の前では、まるで小学生の言葉足らず。否、今日日の子ども方がしっかりしている。こんな大人にはならないで。恥ずかしくって成人男子の資格もない。戦時下にアメリカと渡り合った、白洲次郎氏は、英語も堪能なら、人格も秀でていた人だ。今は、探せない。

 毎朝、新聞を読みながら激怒し、書かれていることに憤怒の思いだ。日本の庶民は怒っていい。何も知らないと、分からないと遣っているが、天知る、地知る、我知るである。見くびってはいけない。福島の復興を願うから、我慢もしているのに、東電の責任者は、何を考えているんだ。

 地震も、頻繁に起きるし、大規模な津波も来るだろう。原発に対処できるマニュアルなんてないでしょう。あるなら、消えた命を復活させて!元居た場所を、あの頃に返して。人間なんて出来ることは限られているんだ。傲慢な思い上がりが更に、被害を大きくする。ノアの箱舟はない。

 すばるは甘えん坊だ。留守番をさせているので、仕方のないことだが、ちょっと拗ねてみて、機嫌を窺うのもいじらしい。餌も枇杷葉茶もたっぷり入れて行くが、やはり淋しいんだ。抱っこするとうれしそうにしがみつく。膝に乗って来て、思う存分に喉を鳴らす。腕枕をして寛いでいる。

 昨年の結実した枇杷葉の様子。昨年は、大豊作で、物凄い量があった。リエさんを始めに送る。

 

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旧暦・雛祭り

2018年04月18日 | Weblog

 正真正銘の、雛祭りです。桃の花も咲き、天は朧に影り、菜の花も一面の黄色であるこの頃。着物を着換えて帯締めて、きょうはわたしの晴れ姿、春の弥生のこの佳き日、何よりうれしい雛祭り。詩の文句には、季節感があり、自然と状況が浮かぶが、新暦だと寒さに震えてそれどころではない。

 何時ものように激務を終えて帰宅。すばるが飛んで迎える。小腹が空いたので、珈琲を飲むのにパンを食べていたら、目ざとく見つけてせがむ。今朝は、卵ご飯を失敬された。美味しい物は、実に好く知っている。でも、一応は食べていいかを、上目使いに見るのだ。この仕草をやられたら駄目。

 最近は、心持ち慣れてきており、こちらの様子を窺っている。外に出るのも、じっと見てから決めている。お母さんのとこに行くんだ。とばかりに出て来るが、いけませんは分かる。抱っこをして連れ出すと、恐怖に固まる。小さい子も苦手で、声に向きを変えて逃げ出す。孫にも用心をしている。

 トイレも臭わない内に、と思っているが、放っておくと急かしてくる。出窓が指定の位置だが、椅子の上に居たり、爪とぎの入れ物に居る。蒲団の向こうから、ダッシュして足にタックルもする。爪切りは、手術以来きちんとしているので、血が出ることはないが、じゃれて遊んでと足にもつれる。

 猫の習性は詳しくないが、外に行けない分、可哀相ににもなる。田舎とは言っても車は通る。地元の野良猫も居るし、油断は出来ない。留守にしているので、やはり中に居てもらいたい。風呂にも入れてやりたいが、我が家に来ての蚤取り以来だ。枇杷葉茶のお陰で、汚れはなく、臭いもしないです。

 枇杷葉の木の下に蒔いた麦が、穂をつけて来た。これは麦茶用で大麦だ。別に食べるのでも、お茶にして飲むのでもない。単に土の改良と、趣味の範囲である。麦も、冬の間に踏んで遣らないと、育ちが悪いのだ。麦藁を敷いていた所は、貧相なのが風に揺れている。何れも生命力の大きさに納得だ。

 気温の上昇で、業務をしていて上着を脱いだ。自宅に居ると結構寒いが、勤務先は温度差があって暑いことも。で、よく見れば、暖房が点いていたりする。衣類での調節でないと、却って風邪を引くことにもなり注意が必要。体温の調節ができ難いからで、肺炎に至れば危うい。長寿が好いとばかりは。

 昨年の白枇杷。どの枝にもびっしりと生っていて、袋掛けも収穫もてんてこ舞いをした。

 

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弥生・土用

2018年04月17日 | Weblog

 今朝は曇りで、一旦は起きたものの、もう一度蒲団に潜る。すばるは、暖かいと蒲団の中には入って来ない。気温の変化に敏感だ。ドコモのポイントが、今月末で失効というのを、息子に預けていたが、一向に行けずで返却してもらう。何処でも使えればいいが、特に本屋でなら助かるがと悩む。

 職場に、コンビニが好きで、毎日のように行く同僚がいるのを思い出し、失効分だけをあげると言うと、嬉しそうにしている。寝たきりの親を抱えても居て、食事の用意も面倒らしい。わたくしは基本的には、コンビニは使うことが無く、あっても支払いくらい。それも郵便局が閉まっている時。

 ローソンよりは、セブンの方がいいのであるが、見す見す高額な金額を捨てるのも。実にもったいないので、話したものだった。ハーゲンダッツのアイスはあるらしいので買うとか。未だ春先ではお腹に異変が起きる。それよりも期限を切られていて、そのことにも気持ちが騒ぐ。小さな親切か。

 海棠の葉が捲れているので、毛虫の撤去を行う。薔薇の葉にも青虫が齧っている。何てことでしょう。慌てて葉を確かめて、見つけ捕獲した。今年の枇杷葉は、どうやら不作らしい。昨年の大豊作に比べたら、その五分の一にも満たない。白枇杷も少ない。然し、初生りもあり、味はきけそうです。

 今月は、沢田研二さんのチケットを買いに行くので、その分を除けている。自分の足で確認して求めたいのだ。席は前の方でなくてもいいが、何処の席か分からないのは不安の元。昨年、招待券を持っているのを見かけたが、あれってどうよ。自分達は特別なの、という態度がすんごく厭だったな。

 沢田研二さんも、古稀である。ジュリー祭りのDVDはあるが、これのも発売してくれればと。コンサートは重労働になる。年齢と共に、開演時間が早くなって来ている。芸能界のニュースは、然したる関心事ではないので、問題視していない。沢田研二さんの歌が聴きたいので、行くことにした。

 デジカメと携帯の写真の整理をしていたが、まあ貯めたものである。日付けが1年前になっている。出来映えのいいのだけ取り込めば、と遣っているのが意外と手間である。根気も必要で、肩が凝って来る。読書をしたいのに、どうにも眠さが襲う。如何なぁ・・・体力の限界をひしと感じて唖然。

 通草の花が咲いていたらしく、もう一度確認した。一輪咲いているのがあって、直径が僅か1cmにも満たない。赤紫の小さな花だ。これはやっぱり早生だろう。子どもの頃に見かけていたのは晩生だな。花の枯れたのを鼻に乗せて、天狗遊びにしていたのは、もう少し大きかった記憶があるんだが。

 昨年の枇杷葉の、結実した実です。摘果していないので、自然のままに付いているのだ。

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弥生、朔・大潮

2018年04月16日 | Weblog

 冷え冷えとした気温に、昨夜は湯たんぽで眠った。日曜日は、職員の人数が少ないのを、外出したり、昼食の用意とあって、余程考えてしないと早漏が出て来る。予定は、皆で相談してのことだが、心の準備と行動が、決定かを左右する。外出には精神的な苦痛も伴う。何が起きるかが予測出来ず。

 そういった一日の激務を終えて、帰宅して夕食を戴くのも、どちらかと言えばほしくない。それでも腹は減るもので、夜中に眠れない。従って、意を決しての気持ちも必要となる。簡単なおかずとなるとお茶漬けで、然し胃が悪くなってしまう。ゆっくり良く噛んでが一番好いが、眠くもなるのだ。

 今朝は、多少の風はあるが天気で、蒲団を干し洗濯をした。新車のアンケートを書きながら、粗品はいいから、金額を引いてくれ、と内心思う。サービスも過度なものは必要なくて、客のニーズに応えるのも、十人十色だろう。個人的には、困った時の、休日対応がほしいのだ。車は休みなしです。

 一日、寝床に居ながら、ご飯を口に出来るのも、良し悪しだろうが、偶にはいいなぁとも思う。最近の高齢者への住まいが、ケアハウス形態になって来ている。職場で観た限り、それはそれでいいのだが、田舎には無い。花木の世話が出来、自由な時間を維持して、共存出来るのが好ましいものだが。

 でも。全くの無料というのでもなく、それなりの金はかかる。低所得では入れないのも実情だ。年金だけでは暮らせないのは、そういった事情。便利で快適な生活には慣れるが、不便さでも、暮らせる知恵はあるのを、行政は無理矢理にごり押しをすることが多い。雨露が凌げれば、猫の額で暮らせる。

 枇杷葉の実が、小指大になってきている。初生りのが結構たくさんあって、リエさんのは、30ばかり見える。市販物は、そろそろ店頭に並ぶかな?新芽も出てきており、愉しみが増えた。通草は、開花していたようで、見れば萎んでいる。北側のや、咲いていないのもあるが、小さくて分かり辛いの。

 Aさんが、枇杷葉茶を飲むのに、少し要ると言う。自分ちにあるのを寒中に作っていないようだ。買うのが悪いとは思わないが、ちょっとした手間を惜しんではいけない。病気の治療は、医者がするのではなく、自分がその気にならなければ、一向に治らない。あちこち支障が出ても、自分が怠ったの。

 パソコンの接続を、何処かしら触ったようで、何度か失敗してしまった。ややこしい機種である。新しいのでないと、ブログの更新ができないし、ネットでの買い物も怪しい。だからと言って、何でもかんでも購入したら、大変なことになる。CDやDVDは必要最小限にしている。内容から選ぶ困難。

 午後から雲の多い天気になった。今晩の夕空を期待しているが、さてどうだろう。三日月と金星を撮りたいのが、旧暦の雛祭りになる。天体は、誰でもが観られ、個々に想いを懸けられる。携帯もデジカメも感度良好。

 旧暦の晩春は、新暦の大型連休にあたる。枇杷葉も新芽が揃ってきており、実も大きくなって。

 

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如月・三十日

2018年04月15日 | Weblog

 昨日は夕方からの雨で、帰宅したらポストに郵便物が。リエさんからであった。小さな猫の布バックと布巾。しーちゃんからの手紙もあり、山菜を送ったことへのお礼であった。で、そのお礼を言っていて、筍をもらっていたのを思い出し、急ぎ宅配所まで荷物を出しに吹き降りの中を行く。

 留守番の小父さん、持ち込みは午後の6:30分だと言うではないか。じゃあ持って帰るわ、に受け取ってくれないのかと思えば、トラックの運転手に待ってもらうようにして、手続きをするではないか。まあ、雨の中を持って来たんだから、しょうがねえやとの態度であったが、閉めるのが早い。

 以前には、結構遅くまで開けていたのに、昨今は人件費が高くつくのか、早々と閉めてしまうんだろう。尤も、しゅっちゅう利用するのでもないから、閉店時間を知らなかったのも事実。枇杷葉の熟れる頃と、山菜の時期にしか使わないからな。インフルエンザが、未だ残っているようですなあ。

 再度の帰宅で、夕ご飯を戴き、ブログの更新をと思いきや、接続が出来ない。そこで諦めればいいのを、あちこち触っていて、更に悪化させる。なんでこうなるの?最終的に断念して、ジュリー祭りを観ることにした。ハードデスクを残しておいてよかった。フリーセルを遣りながら、聴いていた。

 今朝は、雨が上がることを見込んで、洗濯物を干して行った。案の定、肌寒い日であったがよく乾いた。先日、偵察に行っていた藤の花の咲き具合を、職員が組んで連れ出す予定が立つ。全員は無理なので、数人を乗せて行くことに。雨上がりなので、足元にくれぐれも注意を促す。のんびり留守番。

 夕方になって、様子の変わった方が出て、急遽病院受診をする。インフルエンザかも知れず、不安は増すが、食事の支度に追われる。職員も対応に追われ、せめて片付けだけでもしておこうと残る。夜勤者と遅出だけでは、急病人が出た時には、慣れた者でさえ汗だくになる。時分だったら困るよなぁ。

 明日は休みにしているのもあって、安全運転で帰宅していたら、おおっ!北西方向に、素晴らしく輝く惑星発見。金星だ!!図書館の駐車場で車を停め、携帯を取り出して撮影する。やっと観え出した金星である。明日から弥生で、三日月とのランデブーが一際美しいよ。晴れていることを願うのだ。

 皇居のお濠を歩いて西に行くと、桜田門が見えて来る。井伊直弼の桜田門外の変で有名。

 

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気儘な暮らし・・・

2018年04月13日 | Weblog

 田畑があればあったで、無ければないで、それなりの不平が出る。世知辛い世の中では、野菜は出来れば作りたい。丹精籠めた作物が、収穫前に消えている。と職場の者が怒っている。野菜にしても傍迷惑か?否、食べられる運命であれば誰だって同じ。意志を持たないのであれば、人間は何をしてもいいの。

 地球という、青い星は、誰も物でもない筈で、諍いを起こすのは人間ばかり。それも宗教の違いという建前だが、同じ人間同士じゃない。話せば分かるのをしないで、一方的な侵略でもある。正に国境線は遠い。隣人とさえも喧嘩ばかりでは、殺しあうしかない。そして誰も居なくなった。災害でなく人災です。

 一昨日の左手は、罅も骨折もしていなくて、単なる打ち身であったようだ。帰宅しての焼酎漬けの枇杷葉で、痛みは無論のこと、腫れも引いた。効き目の凄さにびっくりした。病院に等行かなくてよかった。貧乏人には、これ以上の手当てはない。枇杷葉こそ神さまである。女人禁制とは云わぬので、あり難い。

 江戸時代には、女相撲はあったようで、関取さんの絵が描かれている。土俵上は女人禁制になったのは、何時からだろう。明治時代じゃないの?若い方には差別と取られることだが、障りがあるから、忌嫌ったものだ。犬や猫の額が、はちわれなのも貰い手が無く、野良猫になる。それが今では人気沸騰という。

 伝統を重んじるなら、国籍が違えば土俵は踏めないでしょう。世の中が変わったから、外国人も良くなったの。伝統なら、日本国籍になって、四股を踏まねば。とも思えるが、拘る基準が余りにも解りずらい。角界の世界も、政治の世界も庶民には不透明だ。何でもいいから、税金を手当たり次第に持ち去るな。

 命があるものに、気持ちが動いて、飼える余裕があったり、そういったことを、気にしないのであれば良いと思う。厭なものを押し付けてまで飼わすのでなく、自分で納得なのだから。他人のすることに文句が言えますか?人道上の行為や、迷惑行為なら兎も角、自分の責任なら自由だと思うが。生き難い時代。

 枇杷葉の花芽の枯れたのを落とす。リエさんのも、サンタさんのも、りささんのにも、幾らかは付いている。暁子さんのは、3枝あって、10個くらいかな?今は、通草が巻き付いて、ひたすら登っている。蕾は、濃い赤紫だが、花が咲くと色はどうなのかな?待ち遠しい思いの初生りも、心を躍らせているのだ。

 午前中は蒲団干しで、午後からは藤公園に視察だった。久振りに資料館に行ったが寂しい展示物と、内容だった。いっそのこと無料にすればいいのに、とつぶやく。外に出れば、手入れのしていない庭と、自然との調和が空しい。山藤は綺麗だったが。目先の儲けばかりをいうのは、利益に群がる者が居るから。

 リエさんは、楠正成の銅像近くに居て、一人で散策した。歩くと意外に距離があるのも新鮮。

 

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如月、二十七日

2018年04月12日 | Weblog

 朝、駐車場から勤務先に向かう途上、木瓜 レンギョウ 木蓮 八重桜 芝桜 椿 満天星つつじ ずおう 藤 と咲き競う。昨年に剪定してしまったので、リラの花は見当たらない。辛夷は咲き終わり、暖かさに藤が開花した。今年は、少しばかり早めの咲き方らしいが、気温の変動で定まらない。

 明日、近場の藤公園に、偵察に行って来ようと職場で話す。花が散り終わった無残な状態より、咲き始めの方が見栄えがいい。連休中の祭りの開催には、」人混みで連れて行けないからだ。大勢の付き添いも困るので、少人数で天気次第で出かけたい。それには先ず、開花状態を把握しておかないと。

 何処かに案内するには、道路の混み具合と時間帯も知っておきたい。徒歩で行ける人ばかりではないし、車いすであったり、介助が必要な方々が多い。本来は、当番の者が事前にするのがいいのだが、そこまでは思いつかない。個人的には、ちょっと早くても散策に頃合いかと。資料館にも寄るかな。

 我が家の庭には、百日紅が芽吹いて来た。そこに通草が巻き付いて、上に登っているが、枇杷葉にも絡みついて、小さな房をぶら下げている。駐車場の所にも、2つほど見える。山にまで行かなくても採れるのがいい。庭中に種をばら撒いた。花が咲くのは、4年ほど掛かる。リエさんちのも直ぐだよ。

 暁子さんに送ったのが、庭で発芽しているらしいが、都会ではどうなのだろう。田舎者が調子に乗って送ってしまったが、かんりびとさん困っていないかな?ののがみさんは、そういった物が好みで、山歩きをされるそうだが、屋敷に生えると、苦情が来るものか。ご近所さんとトラブルが起きない?

 すばるの背丈が随分と伸びて、ドアの取っ手に届きだした。何と、自分で開けて出ようとする。手でドアノブを回している。利口です。叱られるのをよく知っており、顔色を見ながら遣る。餌は腹一杯与えているので、おかずをかすめたりはしない。然し、茹で卵は、殻を床に落として割り、食べている。

 昼間、一人で留守番をしているので、帰宅してぎゅっとする。お利口さん、というとグルグルする。出掛ける時には、拗ねていることが多い。足に纏わりついて、靴を履かせないようにする。ご飯買えないよ、と言うとニャウと下から見上げる。枇杷葉茶で毛艶も良く、理解力は素晴らしい。重いのだよ。

 リエさんちの枇杷葉。建て込んだ場所にあるが、台所の傍なので、米の研ぎ汁を遣っているそうだ。

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左手、骨折か?

2018年04月11日 | Weblog

 勤務を終えるようになって、左手の中指の付け根から甲にかけて、激痛が走る。日中には痛いなとは思ったが、熱感があることに気づかなかった。変だな?と感じたのは、午後の時間帯で、嫌に左手が熱いのも知ってはいた。それが洗い物を片付けて、食事の支度にかかろうとした時、持っている物を落としそうに。

 痛みを堪えて勤務を終え帰宅し、夕ご飯を戴いてから、枇杷葉の焼酎漬けを、手拭いに挟んで患部に当てる。折れていれば、紫か黒になるので、罅なのか?業務中に捻った覚えはあるんだが、それが今になって出るのか。明日も仕事だというのに、運転が怪しい。今晩中に、湿布を貼って取り換え、治さなくてはだ。

 年を重ねると、あちこち故障が起きる。然し、身体を取り換えることは不可能だし、我慢をするしかないのだ。一日中自宅に居ても難儀だが、勤務にも行けないでは、更に困るというもの。あれれ・・・左手の一指し指も痛みがある。これは左手を、何処かにぶつけたんだ。でも何処でだろう。記憶には残っていない。

 来月の勤務予定が出ていて、予め予定のあるのは書き込んだが、連休明けを上京の計画は断念した。すばるを独りには出来ないし、介護保険を強制的に差っ引かれるし、惨憺たる持っていかれように腹立たしい。これで年金だけの生活など、どうやって出来るというのか。政府のボンボン政策に、呆れむかっ腹が立つ。

 一国の首相の言い逃れで、国民は莫迦にされ切っている。潔さもなければ、自分を良く見せるばかり。そんな方便で、庶民を騙そうって思うことが間違い。真相は闇の中かも知れないが天は視ている。人間なら、恥を知ろう。首相を辞める云々ではなくて、遣ったことは認めよう。そのための生贄と忖度ではないのか?

 今日日、路上に落ちている、一円や五円等、拾って交番に届ける者はいまいが、持ってきた者への配慮が足りない。高々、一円で書類を書くのは面倒だろう。でも子どもの気持ちには、自分の物ではなかったら、届け出る良心は存在する。学校の道徳は、どうなのだろう。何十万もの大金等、見たこともないのが実情。

 リエさんちの藤。帰る朝には、満開になって枝垂れた。甘い匂いに誘われて、熊蜂が遣って来る。

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暖かさ戻る・・・

2018年04月10日 | Weblog

 昨日も一昨昨日も、冷え冷えとした気温と天気だった。今朝の上天気に、張り切って起き、蒲団を干す。仕舞う頃には、ほかほかのぬくぬくになっている。気持ちよい感触である。枇杷葉に絡みついている通草が、少し綻んで来ている。ドクダミも、綺麗な深緑が眩しい。支払いや、燃料補給に出掛ける。

 リエさんに山菜を送ったのが着いて、昨夜お礼のメールがあった。朝にも、電話があり、大層な喜びようで、天麩羅やら、炒め物にされた由。春先には必ず、食卓に上がっていたので、うんざりしているが、リエさんは料理も上手なので、筍ご飯等、作るのに手際が良いのだ。ののがみさんにも喜ばれる。

 山菜も、入ったばかりのを送っているので、鮮度がいいのだ。青空市にも、毎日入荷してくるとは限らないが、日付が付いているのを目安に買う。自分で採りには行けないので、あり難いこと。山の持ち主でもないし、山歩きには危険が伴う。早朝に出掛けて出荷するのも難儀なこと。自然の恵みを満喫す。

 休日の食事は、簡素にしているが、全く食べないという訳にもいかない。牛蒡のきんぴらと胡瓜の漬物が、お茶漬けに美味しかった。弁当のおかずも、出来合いのは買わないように作るが、分量が多過ぎて、下手をすると3日続くこともある。然し、もったいないので捨てられない。腐る前には食べよう。

 田舎ののんびりさが好く、都会には住めないが、人間関係には余り差が無い。自分のことは棚に上げ、他人のことは喧しい。皆、其々に生活をしているのだ。個人的なことを持ち出すのは、どうかなとも思ったりする。他人の世話にならずに暮らそうとしているのを、とやかく言われるのもうんざりするが。

 人間性も様々で、異なった人が生活しているんだから、自分を基準にはできない。唯、他所様に迷惑をかけてまでは、と思うが。最低限の片付けと、自宅の周りは気をつけたい。集団での作業には、幾ら自由とは言え、喫煙は止めてほしい。気分が悪くなる者もいますよ。洗濯物の臭いにも閉口だが我慢する。

 無味無臭がいいのだが、そうでない方もおいでで、外に出れば気分が悪くなる。洗濯物を干すなとも言えずであり、そういった個人的なことは、やはり言えない。隣であれば、向こうも遠慮してのことだろうし、言い合っていては険悪になるばかり。こちらは、枇杷葉のことがあり、出来るだけ掃除もしている。

 湯島天神の境内に置かれている牛。この牛の体を撫でて、受験祈願すると合格に至ると聴く。

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自然の営みに・・・

2018年04月09日 | Weblog

 朝から曇り空で、怪しい天気である。深夜には、地震があって、可なり揺れた。震源地の近さで、揺れ返しの来ないことを祈る。朝、ニュースサイトを見て納得。すばるの慌てふためきようで、震度が分かる。猫というか、動物の能力に感心する。膝に来て、毛布に包まって眠っている。落ちようぞ。

 新聞が休刊日で、粗方の内容が把握できない。新聞記者さんも、休みなしでは気の毒だから、仕方がないのだが、活字が読めないのは、隙間風が吹くようである。天気を想定して休日にしたが、蒲団は干せなくて手持ち無沙汰。CDのジュリー祭りを繰り返し聴いている。沢田研二さん、肥ってもいい。

 タイガース時代には、細身であったので、それの人気もあっただろう。歳を重ねて来ると、容姿だけでは聴けない。何よりも、歌の巧さがなくては、つまらないものだ。誰でもない沢田研二さんの歌声を聴きたいのだ。そういった者も少しは居ることを知ってほしい。却って、ソロ当時よりも好ましい。

 この数日、寒さが戻って来たようで、冬衣装になっている。鶯が、鳴かないのにびっくりする。自然を熟知している。苗の定植や、種蒔には、霜の降りることを考えて作付けしないといけない。連休辺りが分かれ目となり、自然の成り行きを見守りたい。今年は、不安定な季節のように感じるが、さて。

 時雨れにびびってしまったが、天気は回復したようで、青空が広がってきた。春雨に濡れて行くのは、歌舞伎の世界。インフルエンザも未だ居座っている。枇杷葉茶のお陰で、風邪は愚か罹りはしないが、マスク姿にぎょっとする。通草の種を煎じてお茶で飲むと、花粉症に効果があるようだ。売ってない。

 天の声を聴けると、旬の物を大切にする。なまじスーパーや、コンビニに並ぶ物には、自然の香りはしない。痩せるのも、そういった食材の求め方で、僅かの物を感謝する気持ちが必要。蒟蒻をしっかり摂取するのも、痩せる手立てかもしれない。体調も整えてくれ、体内の不純物を廃棄する。継続は力也。

 晴耕雨読。読書も決まった書籍がなく、図書館は休みである。パソコンフォルダ内の画像を、ブログに添付するのに編集が必要で、昨日はせっせと作業していた。デジカメの映像が大きく、縮小するのに手間取る。これを遣っておかないと、直ぐにはブログに移せない。黙々と3時間余り遣り、疲れました。

 ドクダミの新芽が出ているのが、大きくなってきており、花の咲くのが楽しみ。梅雨時の雨量で左右されるが、我が家のは甘くて美味しい。自分も飲むが、殆どが上げている。金銭の受諾は一切しないが、感謝をしてもらえればと、毎年作っている。鰯の頭も信心からであろう。良質な水も重要なのですが。

 何をするにも、三日坊主はいけません。加えて、自分で決めたことが実行できないでは、精神的なもろさがあろう。わたくしは、最悪の設定を心掛けている。上手く無事にいけばいいことで、最良の方法だと、アクシデントでめげる。頼りにはならないのが他人である。そのことを肝に銘じておくことも必要。

 湯島天神さまの境内。丁度真ん中辺りにあり、梅の咲いていない季節には、そぞろ歩きに好い。

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