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枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

うさぎのダンス・17

2023年02月18日 | Weblog
 リョウには苦手な生き物がいて、見つけると踵を返してふみこの後ろに隠れる。「リョウさん、あれは悪させんで怖がらんでもええ」リョウはふみこの背中から、片目を覗かせせ「知ってる、好きになれないだけだよ」ふみこはからかい半分で「まるで蛙みたいじゃ、リョウさん」途端に険しい顔で口を引き結ぶ。

 その数日後、山に草刈りに行こうとするふみこをリョウが止める。「そんでもクロやメイが待っとるから」ふみこは納屋の住人に、牛にはクロと山羊にはメイとつけていた。そこにまさ婆が坂道を下って来て、背中に負い篭で現れた。「遅れたわ、まさ婆すまんなぁ」「今日は三隣亡じゃ、山に足を入れたらいけん」

 リョウは眉間に皺を寄せ「僕が作ってあげた暦を、ちゃんと見てなかったでしょう」へそを曲げる機嫌の悪いリョウに、ふみこは夕方まで口をきいてもらえなかった。ふみこは自分よりも歳下であるのと、身分が違うことも忘れて小さく息を吐いた。心の中にリョウへの想いが、育ちつつなのを気づかぬままにだが。

 夏も過ぎ秋が来ると冬は足早に訪れて、まさ婆から言われる仕事に精出すふみこだった。夏の間に洗い張りをした折、まさ婆がふみこに合うようにと背丈を計り縫う手ほどきをされた。綿の肌触りがなんとも温かさで、肌着も譲り受けて一緒に渡された。ふみこはうれしさに戸惑いつつ、まさ婆に何度も頭を下げた。

 リョウが学校に行く用意もされているようで、時々母屋から使いが来る。爺やはこわごわに声をかけ、リョウは素直そのものでふみこにだけ分る合図を送る。その片目を瞑る仕草のなんとも可愛らしさに、胸が早鐘のようになることもあった。まさ婆が織ってくれた布を断ち、ふみこは一針を一心に縫うのに集中した。
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うさぎのダンス・16

2023年02月17日 | Weblog
 ふみこにとリョウが渡してくれた物は硫黄ではなく燐で、何かに擦りつけて発火させる。ふみこはその中から1本を取り出してじっと見ていたが、心に浮かんだ言葉を呟いた。辺りがぼうっと明るくなり、リョウが見開いた眼で「何をしたの?」と聞いた。ふみこは火が点くように思ったのだが、何が起きたのだろう。

 細い枝先で炎が立っている「リョウさん、これどこから?どうやって作った」「まさ婆の息子が炭焼きをしているでしょ、あそこの土だよ」リョウはふみこが眠ってなので、山まで行き材料を取って来たものだ。ふみこは今更に、リョウが難しい知識を知っているのに驚いた。「ふみこ、火をどうやって点けたの?」

 どうやって?ふみこは何気なく、心に思い浮かべただけだが自分でも分からない。「マッチは擦らにゃいけん、それがないから」「ふ~ん。念じたんだね、ふみこは」リョウは、ふみこ自身も知らない力があるのかもと見つめた。ふみこはその視線に目をしばたたかせて「やっちゃいけなかったんじゃ、ごめんなさい」

 ふみこもリョウも、まさ婆が居てくれるから大いに助かってはいた。薬種問屋というのも人の出入りはあるが、店でのことに限られていた。母屋には、リョウの母親が居るだけで店は若主人と爺やに雇い人の数人だけだ。ふみこはまさ婆のやることを見て覚え、台所の手伝いをしたり掃除や洗濯をしていればよかった。

 夏の時期には陽が早いし、沈むのも遅いので洗濯物は何杯も盥でする。布団の表を剥いでの洗い張りも、面白い位に乾いていく。ふみこは、元の時代にいたらしなかったであろう働きを独楽鼠のように動いた。リョウはふみこの眼の端にいつもいて、時に宙を見つめていたり図面を引いている姿に惹きつけられてしまう。
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陽は射すものの

2023年02月16日 | Weblog
 今朝も天気ではあるが気温は低く、重装備のいで立ち。食事も和食が好みなので、味噌汁に豆腐や葱・じゃが芋を容れ作る。先月の現代農業には、じゃが芋の特集が出ており新品種もある。用途では拘りはなく、キタアカリや出島が多くメークインは買わない。外国産のもあり、黄・赤・紫とあるようで味が楽しみ。

 枇杷葉の花芽が咲いて、あらっという雰囲気に心が落ち着いて来る。独りで生きることには、それなりの覚悟もしているが気持ちが揺れる。視えたり聴こえたりするのも善し悪しで、説明のつかぬ事象がある。30代の頃から煩雑に現れての風景が、何故今になって?現実に見えて来るのか判るならとも想うばかりで。

 以前職場でのことに、事前に起きることを言い当てて臍を噛んだ。今ではなくて、数年後のことが視えたのにも背筋が凍り付いた。選べるならとも思うし、避けて通れるならそれに越したことはない。聖と魔なのかも?唯、その時には意味にも気づかず生きることに精一杯。心にゆとりの欠片もなく無い物強請りに。

 枇杷葉を祖母に知らされての白龍との出遭いが、生き方を換えた。他人からみれば、架空のことだと思われるし信じてもくれないが。自然を甘んじれば理解できることに気づけ、祈りと感謝の日々を送れることが何よりも大きく有難い。他人には其々に使命があり、それを果たさねば逝くことはできないのも確か。

 旧暦での暮らしにも、月の満ち欠けが身体にどう拘るかが判り過ごし易い。一般的なカレンダーでは気持ちがざわついて、気分が常にブルー状態。青い彩ばかりだと、ともすれば奈落に転じて上がれなくなる。好きな色や似あう色は青系が多くて、宇宙への高みに繋がるものの冷たく暗闇から下界を静観しているよ。
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雪花の舞う日に

2023年02月15日 | Weblog
 早春とはよく謂ったもので、気温も低いが気分も低下状態にエアコン作動。何かね10℃以下に霜焼けは治り難いし、連載も止まったままといういい加減さです。午前中の天気次第と思っていたのを、外は雪が舞い始め積もったら困ると出かけた。寒さもぶり返したので、すばるが煩い。続きを書きたいが選挙なの。

 粗筋はあるので書けなくはないが、気分が載らぬ。昨日から369の数字が出るわ・続くわに戦慄も覚え、その度に感謝と祈りを。理由は明白で涅槃会が催されてのこと、好むと好まざるを問わず己への戒めだと思うに至る。ソルフェジオ周波数でもある並びが、対向車からも。調べてみると意外なことも判明した。

 コロナやインフルへの罹患は全くないが、フォローさんの中には帯状疱疹にヘルペスで痛くて堪らないとある。その症状は、痛さが酷くて辛いものと知っている。口内炎にさえ閉口するのを、市販の薬で治るとは思えないもの。枇杷葉茶での飲用や、エキスの効果を知らぬのかは別で楽になるのにと案じるばかり。

 結膜炎にも有効なので、洗顔後には必ず瞼を拭いているが視界はクッキリ晴れやか。目薬を時間置きに点すのも、忘れそうになりはしないか?心配が先に立つ。兎に角面倒しさは厭だし手間で、横着なことこの上ない。それだから病院に行き、医者に診て貰うまでの待ち時間に痺れが切れて来るので罹らぬが由だ。

 突然、PCが凍った。文章が打てなく、電源も切れずとなり慌てそうになるが待てよと元を抜いた。程なく復帰して雪解け、一体何がどうしたのかが不明です。心模様が影響するのかと、暗澹たる想いだがずっぽりと浸るのも危険だわ。明後日は、確定申告で歩いて行ける場所なのも有難い。税務署は面倒で遠いの。
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睦月・下弦・小潮

2023年02月14日 | Weblog
 朝から大音響での選挙カー、図書館に出向き職員のお薦め本を借りる。今朝の気温は7℃と低くく指先が凍みるが、洗濯だけはしておこう。天気は晴れても、布団は干せなく除湿機を点ける。昨日の名残か風も冷たく、時雨もある。エアコンを点ければ請求書が怖いのも事実で、節約と倹約に努める日々なのです。

 家への陽当たりは良くて、太陽光が燦燦と注ぐが今からの工事では懐具合に問題も生じる。気温が15℃になれば水も温んでくるため、バケツに汲んで風呂に持ち込む計画。洗濯は風呂の残り湯を使う為、水道代の倹約となっているのも有難い。大勢の人数では無理もあろうが、独りなのも文句を云う者は居ない為。

 冬場には然程汗もかかず、仕事を辞めて汚れることも少ないのも助かる。箪笥の中には、流行のないシンプルなデザインと色なのも年齢を問わず着られる。純毛のセーターは手洗いで済ませ、クリーニングには出さない。微温湯で洗うよりも、水だけの方が縮まないよ。脱水をかけ、干す前に伸ばして型を整える。

 年金暮らしだけでは、自分なりの工夫と閃きがなくては出費が重なるばかり。入浴は毎晩だが、湯を少し溜めてから入り足すと身体も温まる。以前には風呂場での洗濯・手洗いをしていたものの、湯冷めするので止めた。脱衣所には暖房はないが、枇杷湯に浸るのでさらっとしており肌も潤い温かさの持続を続行。

 他人の遣り方を真似ても、長続きしないことは明かで正直無理も多くなる。ブログの更新が出来て、図書館に書籍を借りられれば佳としよう。ネットでの映像画面が目まぐるしく変化してだと、付いていけない。書籍の活字を納得して追う方が、性に合っている。便利さも好いが使い熟せない者には、誰も頼れない。 
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雨の外出に

2023年02月13日 | Weblog
 今朝、朝食の用意をしていたら携帯が鳴り、足湯に来る娘さんの要望で市内まで付き合うことになる。店内をあちこちして、甥御さんへの入園準備品を買いスタバに寄って珈琲を持ち帰る。彼女の親御さんが誕生日で、途中をケーキ屋に先程帰宅した。平日なのに大勢の人混みで吃驚しながらも、暇人の多さかなとも。

 自宅でのんびりとするのが好い者と、何処かしらに行きたくなるにも内心で感心頻り。店内も子どもの姿こそ見えないが、年配者の多さにそういうものかと独りごちる。まあ・暖房費の節約と思えば安上がりで、寛いでの他人も。服飾店内に足を向けたのに続くと、店員さんが奨めてくれるが最初から買う気はないと。

 ズボンの丈が無いことと、ウエストがゴムは厭なのでと伝えたらメジャーを持ってきて計る。足らないじゃん!これは、裏布を継ぎ足しているのと説明しておく。布の生地もだが、好みの物は見当たらずである。こういう時の普通サイズの方はバーゲン品が安く買えるが、お直しにも丈を伸ばせば料金加算になるのよ。

 昨夜からの雨に、庭の花木が伸びやかにしている。クリスマスローズの蕾も次第に膨らんで、今朝は開いているのも見える。台所出窓にも、シクラメンの赤と白が咲きだして華やか。トマトも赤く色づいて、甘さが口に広がる。食事は素材を遣り繰りでも、きちんと摂取しているので、体調の異変は全くなく有難い。

 枇杷葉茶の飲用も然ることながら、環境への気配りも怠らずで日々が送れるのは感謝に堪える。何があっても、枇杷葉での対処で医者に罹ることはない。断捨離も最終的には薬の類を全部捨て、快適で穏やかな日々に感謝の至りなのもうれしいこと。電気代の節約にも大いに役立つ枇杷葉暮らし、煩わしさはないわ。
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視えて来るもの鮮やかに

2023年02月12日 | Weblog
 旧暦での暮らしをしていると、自然の導きや訓えに驚きを隠せない事象に出遭う。花木や風神が、雨神に陽の光と月さえ移ろいきて浮かび流れる雲までが心を。宇宙の摂理も、理論では及ばないものの沁み込んでくる。進行中の物語も、現時点での思い付きではなく何十年経ての言霊。自ら納得し、書ける事実なの。

 昨日はと云うよりも、一昨日から不可思議なことが起きていた。数字がやたらと連続で見え、フォローさんを訪問すれば繰り出される異変に気づいた。これまでにもエンジェルナンバーは事ある毎に視えてはいたが、ここまで来ると戦慄驚愕に。PCの右下にある時間が、まさかの数字になり何としてか必然的とも。

 デジカメでの撮影しておこう。今朝も連続で続いており書き込みもし、決して偶然ではないことに納得。枇杷葉での繋がりに驚きもするが、訪問して下さる方の波動にも原因を見出せうれしい。自然への祈りと感謝があれば、他には必要としないのも明かなのだろう。そこには相手のことを想う気持ちがあれば佳い。

 他人との出遭いや繋がりには廻り・邂逅もあるのだと思うし、波動の強弱で切れたり繰り返される。出会いと別れ。自らが決めたことでも、持っている波動の大きさで意外な変化も起きる。呼び合うことや真逆に転じたりで、実に複雑極まる。枇杷葉を訓えてもらえたこと、白龍との遭遇にも意味は深いものと知る。

 新しい世界への飛躍を明示され、疑うことなく生かされていることに気づけた。何よりも自らを信じなければ、翔けることは不可能になるとも知った。フォローさんへの訪問の度に、真実が視えてくるのも確かで愉しい。体裁だけで更新しては錦も彩褪せるものと、真実を綴っている。そういう方にしか通じないの。
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うさぎのダンス・15

2023年02月11日 | Weblog
 ふみこのズボン姿は、まさ婆には風変わりに見えたものの夜には寝巻になるので構わない。それに洗うにも山瀬の湧き水しかなく、石鹸などどこにもない。茶碗や箸は、さ湯を注いでのことで洗剤はなくあるのは灰だ。草刈をすれば多少の汗はかくが、まさ婆の沸かす枇杷葉茶のせいか臭わないのもありがたかった。

 ふみこがリョウからもらった月の暦を頬を緩ませて見ていると、まさ婆が納屋から織りあがった布を手に「これを春までに縫えや」「織れたん?早いなぁ、ありがとう」ふみこは、反物を胸に深々と膝を突いて頭を下げた。紺絣の中に、小さな花にして一つ赤色が織り込まれている。ふみこは泣きそうなのを堪えた。

 梅雨時には草刈りもままならぬ日が続いたが、明ければ陽射しは強く暑い。ふみこは、早朝を起きるので土間に這い回る生き物に気をつける。今朝は一日の段取りを決めかねていて草鞋を履いた途端、百足に咬みつかれた。まさ婆がふみこの足元を見て、甕の中へ手拭いを浸すと足指に縛り付けたら痛みが消えていく。

 リョウはそんなふみこを心配そうに見ていたが、まさ婆に何か告げるといなくなった。百足の毒はふみこには強烈で、身体中が熱くなり板の間に倒れ込んだ。リョウさん…ふみこは朦朧とした意識の中、リョウのことばかりが瞼に浮かんできて心もとなかった。夕方には、熱が引いたようでふみこの傍にリョウもいた。

 リョウは小枝の先を削って細くして、粉を練っては付けているが何か異様な臭いがする。ふみこが起き上がろうとすると「寝てなくちゃだめだよ、お腹空いたの?」「まさ婆は?」リョウはほほえみ「今日は寝てていいってさ、ふみこ暗いとよく見えないでしょう」小枝を握り差し出すと硫黄の臭いがした、マッチだ。
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うさぎのダンス・14

2023年02月10日 | Weblog
 ふみこはまさ婆が納屋でカタタンパタンとさせているのに、こっそり近づいていた。天窓の明かりの下で、機織り機に腰掛けてのまさ婆がいた。機織り機から手も眼も離さずで「おめさの着るもんだ、坊ちゃまと学校さ行くだろて」ふみこははっとして、自分の姿を眺めた。家から月世界に行き、そのままを翔けていたのだ。

 ふみこは離れでのリョウとの暮らしだけなので気づかなかったが、学校に行くとなれば洋服は怪しまれる。先日のこと、まさ婆は布のほどきをふみこにさせた。「ふ~ん、あたしの着物か?まさ婆が織ってくれるんか」「しょうがないだろに、リョウぼっちゃまが恥かくでな」手伝おうか、と言いかけてふみこは口を閉じた。

 おばあちゃんもしていたけれど、布を均等に織るのはふみこには出来ようもない。機に掛けてある縦糸に横から刺し通すのは、簡単そうだが直ぐには無理だ。まさ婆は台所のことをふみこに任せ、雨の多い日には夕方まで座っている。晴れた日には梅を採りに山に向い、井戸水で丹念に洗い竹笊に上げ甕にいれ塩をまぶす。

 リョウは、ふみこの傍を離れることはないが手伝いはしない。時々遠い眼になるのは、リョウが何かを思いつく時なのでふみこは話しかけない。翌日、半紙に描かれた図の通りに作り上げる。「リョウさん、これはなに?」丸い円の外側には月の形が描かれ、その内側には数字があり三つ目のには漢字が並びそれぞれが回る。

 リョウは得意満面で言う。「暦だよ、僕なりの遣り方だけど」リョウの説明によると、月は朔を始めに上弦から望となり満月で欠けて下弦で元への仕組み。数字は日付で、漢字は大潮や小潮だと熱が入る。リョウの発明に、ふみこは目をぱちくりさせ驚いていたら「何日か分らないでしょう、ふみこにあげるよ」にっこりした。
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うさぎのダンス・13

2023年02月09日 | Weblog
 あれ以来、ふみことリョウは離れで暮している。爺やが根負けしたのと、リョウの何があってもふみこから離れない剣幕に黙ってしまった。そりゃそうじゃ、ふみこは笑えて来る。顔立ちはやさしいが、きりっとした眉には利かぬ気があるし口元はへの字になる。爺やにはお守りも限界状態を越え、眠れぬ日が続いていた。

 季節は春から初夏へと替わり、山に行くと黄色の実が見えた。リョウが叫ぶ。「枇杷の実だよ、ふみこ」そういえば、家から離れた藪に植わっていたと思い出した。「とってよ」ふみこは首を左右に振った。「勝手には採れんの、まさ婆に聞かにゃ」ふみこは、なにをするにもまさ婆を立てなければ行くところもなかった。

 相変わらず母屋に近づくともなく、ふみことリョウは離れと台所や山への行き来だ。ふみこは砂時計とからくり時計の共振で、時間に異変が起きたと知った。月世界ではないが、ふみこの元居た場所でないことは辺りに僅かなずれがあるので分る。家の建て方や山に野の景色も、荒れてはいないが手つかずに思えてしまう。

 まさ婆は、字が書けないのだ。ふみこは、あいうえおを地面に棒でなぞると「貧乏人には寺子屋なぞやってもらえん、字を書けんでもな身体が丈夫なら働けるで食うにゃ困らんぞな」それを聴いていたリョウは「僕が学校に上がったら、習ってきて教えてやるからね」リョウが学校に?「春になったらね、ふみこもだよ」

 リョウが、来春になったら学校に行くのは本当だった。神隠し以来、リョウは誰もが知らないことを言い当てたり突然何かを創り始める。それがいつしか広まり、尋常高等小学校の校長自らがおいで侯となった。リョウが何かを思いつくのは必ずふみことだけの時で、他に誰か居ると気も散るのか空気が張り伝わって来る。
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