羽田発大阪行きJAL123便、御巣鷹山での墜落事故があって21回目。搭乗していた坂本九は享年43歳。今、生きてれば64歳。どんな熟年歌手だったろう。歌は辞めていたろうか… 芸能に生きる人間はいい、死んだ時点で人々の記憶は停止し、永遠の生命を約束される。
美空ひばりだの、石原裕次郎を昭和の象徴としてくりかえし番組で取り上げるが、それはもっと年上の連中であって、オレらのガキの時代は圧倒的に坂本九だった。とにかくあの笑顔があるとブラウン管が安定して見られた。あの手の底抜けに人のよさそうな顔が…いま、世の中からいなくなった。
六・八・九トリオで数々のヒットを作った坂本九、オレの後を継がせたいとエノケンにいわしめた坂本九、開闢以来、日本人ビルボード第1位に輝いた坂本九、そっくりさん番組があると必ず真似された坂本九…「あゆみの箱」のチャリティーや手話の歌も積極的に歌ってた坂本九。障害を持った子供たちに囲まれ、手を取りながら「ともだち」を歌う姿を見て、あれだけ自然に偽善的でなくふるまえる人は子供心にスゴイ、と思った。どこかに「やだな…」と思う気持ちがあると、振る舞いがぎこちなくなってしまい、それを明るみに晒してしまうのがテレビカメラの怖さだ。
九ちゃんは21年前に星になった。それも、目で見ても小さくてよく判らない、ささやかな星になって、きっと今夜も瞬いている。
見上げてごらん 夜の星を
小さな星の 小さな光りが
ささやかな幸せを うたってる
見上げてごらん 夜の星を
ぼくらのように 名もない星が
ささやかな幸せを 祈ってる
手をつなごう ぼくと
追いかけよう 夢を
二人なら 苦しくなんかないさ
見上げてごらん 夜の星を
小さな星の 小さな光りが
ささやかな幸せを うたってる
(作詞 永六輔 作曲 いずみたく ‘62)
それとダイアモンズの「リトル・ダーリン」(マーキュリー)があった。オレだったか兄貴だったか、レコードを持って廊下で転倒したので、どっちかにひびが入ってしまった。
それが九ちゃん。
真面目で堅物なうちの両親にとって、いわゆる流行歌、歌謡曲なんて、決して幼い子どもに買い与えるものじゃなかったはず。
よほど私が欲しがったか(レコードなんて物は知らんかったはず)、あるいは親が好きだったか(これもちょっと考えられない)…。
すごく特別なもの、特別なこと。
まだ幼稚園にも行かない頃のことだったと思う。
その一枚は、「上を向いて歩こう」。
で、私はと言うと、ずっと上を向いて歌ってた(らしい)。
少し後になると、「レッツ キッス 頬よせて」と踊ってた。
けど大人になって、ふと湧いてくるフレーズは、
「見上げてごらん 夜の星を…」。