独り居の充実ライフを求めて!

ご訪問を頂きまして有り難うございます

終戦70周年記念洋上慰霊参加者の決定通知を頂きました

2016年01月06日 18時04分05秒 | 洋上慰霊

戦没者遺児による慰霊友好親善事業の趣旨
 本事業は、戦没者の遺児が、亡き父等の眠る戦没地に立ち慰霊追悼を行うとともに、現地の方々と友好親善を深め、恒久平和を願う事を目的とする政府事業で、日本遺族会
が委託を受け実施しています。
 ついては、ご参加いただく皆様方には、一般の海外観光旅行とは全く性格を異にするものであることを十分ご理解いただくとともに、全国の戦没者遺児を代表し、実施地域
で亡くなられたすべての戦没者に対して慰霊を行うという極めて意義深い事業であることをご認識いただき、責任ある行動をお願いいたします。

おかげさまで1月6日(水)上記にご紹介のご連絡を頂くことが出来ました。
実施期間 平成28年3月1日(火)~3月10日(水) 9泊10日、参加者全国400名、千葉県代表の人数はまだ把握出来ておりませんが、千葉県代表の1人として参加
をさせて頂けます幸せに感謝を申し上げますと共に、健康管理に一層努めたく心を新たに致しました1日でした。

この度は、平成23年3月5日~16日 11泊12日 に続いて幸いにも2回目の参加許可を頂きました。
昭和19年10月27日 海軍最後の激戦地レイテ沖海戦に 「鳥海」 乗員960名の戦友の皆様と遠くレイテ島沖に眠っております父に様々な想いが蘇って参ります。

          
                    父が960名の戦友と運命を共にしました 「鳥海」

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日本遺族通信の記事より(ご紹介)  

2015年11月19日 13時25分19秒 | 洋上慰霊

 この度、「戦没者遺児による慰霊友好親善事業・終戦七十周年記念洋上慰霊」の参加者募集の記事が掲載されました。
    私は、
 前回  日  程 平成23年3月5日 ~ 16日 (11泊12日)
         参加者 44都道府県から 363名 (内千葉県参加者14名) の1員として参加をさせて頂きました。

その折りの様子を        慰霊友好親善事業20周年記念 「洋上慰霊」 に参加して (3-1) 
             慰霊友好親善事業20周年記念 「洋上慰霊」 に参加して (3-2)
             慰霊友好親善事業20周年記念 「洋上慰霊」 に参加して (3-3)
上記にまとめましたので参加応募の参考にして頂けましたら幸いに存じます。

応募資格変更について平成27年11月16日付にて「前回の洋上慰霊参加者は応募出来ないと申し上げましたが、再検討した結果、今回の洋上慰霊に応募出来るように決定いたしましたので
お知らせ致します。」と変更通知を頂きました。
再度応募し、参加決定通知を頂けますように健康管理に努めたく思っております。

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「洋上慰霊想い出の会」 二日目 瑞巌寺参拝 4-4

2015年05月06日 00時21分38秒 | 洋上慰霊

日  程 第二日 4月28日(火)  最高気温  28度~30度 (ガイドさんが7月中旬頃と)
       08:30  ホテル出発 (思い出帳の受領忘れずに)
      
 09:30  松島 湾内遊覧船

              国宝・瑞巌寺参拝
       
        12:30  仙台駅前着
        13:30  仙台空港着

「瑞巌寺参拝へ」

瑞巌寺(ずいがんじ)は、宮城県宮城郡松島町日本三景松島にある臨済宗妙心寺派の寺院である。
詳名は松島青龍山瑞巌円福禅寺(しょうとうせいりゅうざん ずいがんえんぷくぜんじ)。
平安時代の創建で、宗派と寺号は天台宗延福寺、臨済宗建長寺派円福寺、現在の臨済宗妙心寺派瑞巌寺と変遷した。
古くは松島寺とも通称された。
毎年、11月第2日曜日には芭蕉祭が行われる。また、大晦日の火防鎮護祈祷である「火鈴巡行」と一般も撞ける除夜の鐘が有名である。
境内には、「臥龍梅」と呼ばれる紅白二本の梅の木があり、伊達政宗お手植えと伝えられている。
また、参道にはシンボルとも言える杉並木があったが、2011年3月11日の東日本大震災の津波に見舞われしまい、その後の塩害によって立ち枯れが目立ったことから、
約300本が伐採されることになった。 (以上HPより)

瑞巌寺の見学には1時間程の説明を頂きました。
参道を抜けて、本来なら本堂が見られるところですが、現在は修復期間中で、説明ではあと1年かかるそうです。
全部で8年計画で、最後の1年とのことでした。拝観料は700円です。
本堂は見られませんが、仮本堂で特別公開が現在行われていて、伊達正宗の位牌等が特別公開されていました。
今までに見たことのない程のとても大きなお位牌が多く並んでおりました。
説明によりますと、次に見られるチャンスは、次の本堂修復の際とのことで、数百年後と言う話でした。

         
                  
瑞 巌 寺 山 門                         瑞巌寺参拝記念御朱印

DSC06873

 
                          瑞 巌 寺 洞 窟 遺 跡 群
瑞巌寺鰻塚と洞窟群
鰻塚は、大正12年8月16日に建立され、同年9月13日に開眼法要が行われた。
"鰻塚"の文字は瑞巌寺第126世松原盤龍老師が揮毫(きごう)したものである。裏面には当時、寄付金を出した蒲焼店、卸問屋等の名前が刻みこまれいる。
そこには地元の業者をはじめ当時松島では天然鰻がたくさん獲れたことから北海道から東京までの蒲焼店や卸問屋の関係者の方126名の名前がある。
寄付金は当時のお金で2,565円も集まり、鰻供養のために鰻塚を建てられた。
鰻塚は、高さ 2.85m、幅 1.57m の大きなものである。と説明頂きました。鰻塚の場所は瑞巌寺の門をくぐって右に入ったところにあります。

瑞巌寺洞窟群
松島は、古来「浄土往生」を祈念する神聖な霊場で、これら洞窟群は、納骨や供養のために、鎌倉時代から江戸時代にかけて掘られましたことの説明を頂きました。
洞窟の中や周囲には、五輪塔や笠付塔婆などの墓標が安置されたり、壁面に彫りつけられており、静寂かつ厳粛な雰囲気が漂っています。

  
写真 ↑ 3・11の津波が起こる前までは左側も右側同様に生い            写真 ↑ 3・11の津波到達地点の表示板 
   茂っていたそうですが、津波後は枯れて伐採されたそうです。

特別公開                                           
陽徳院御霊屋(寶華殿) = 平成24年7月9日国指定有形文化財



                                                  案内板を収めて参りましたのでご紹介させて頂きます
に恵まれ、気温も最高28度~30度までもありましたことをガイドさんに伺いながら、戦後70年を迎えました平成27年は「洋上慰霊想い出の会」を
会場を仙台に移して再会の旅を楽しむことが出来ました。
会長様をはじめ、幹事の皆様お世話になりました。有り難うございました。

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「洋上慰霊想い出の会」 二日目 松島湾遊覧 4-3

2015年05月02日 12時10分34秒 | 洋上慰霊

日  程 第二日 4月28日(火)  最高気温  28度~30度 (ガイドさんが7月中旬頃と)
       08:30  ホテル出発 (思い出帳の受領忘れずに)
       09:30  松島 湾内遊覧船

              国宝・瑞巌寺参拝
       
        12:30  仙台駅前着
        13:30  仙台空港着 

       仙台国際ホテル宿泊の思い出を綴って頂きました                        松島湾内遊覧記念

松島湾内遊覧はお天気に恵まれ、素晴らしい多くの島々の光景に魅了されながら40分の遊覧の旅を楽しみました。
多くの島々を記念に収めて参りましたのでご紹介させて頂きます。

 
            夫 婦 島                       鐘    島
夫婦島
“西と東に分かれていても、心変わらぬーめおと島”とうたわれる二つの島で、右側の高遠島を女島、左側の沖の遠島を男島とも呼んでいる。

鐘  島
濃緑色の海に白い岩肌と松の緑、まるで盆景しのままの風光である。おだやかあ松島湾内に浮かぶ島の数は、俗に808島といわれるが実際は260余島。
さまざまな景観を見せる島々の間を巡りながら潮風に吹かれ、水平線はるか大海原を楽しみながらウミネコと遊ぶ芭蕉コースの船旅は、旅情豊かなひとときです。

 
            仁 王 島                       桂  島
仁王島
幾千年の歳月にわたる風浪雨雪によって下部の集塊岩は浸蝕が遅れ、頭部の泥板岩は横縞状に削れ、中間は軟い凝灰岩なので甚だしく浸蝕され、あたかも仁王の像を思わせる。きらめく青海原に君臨する、傑作中の傑作です。
桂  島
仁王島の後方の湾内で三番目に大きい島です。

 
           
小藻根島全景                       五大堂をのぞむ
小藻根島全景
この島にも洞門があり小さな船なら通り抜けることができ白色がかった凝灰岩に赤松を頂き、水面に影を落として一層の風情をそえています。
五  大  堂
その昔、坂上田村麿が東夷征伐の際建立したもので五代明王の像が安置されており、現在の建物は慶長5年伊達政宗公が修営したもので方三間、単層宝形造りの古色を帯びた
小堂で国の重要文化財に指定され、観光松島の象徴的な存在になっています。
  

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「第4回洋上慰霊想い出の会」懇親会 4-2

2015年04月30日 06時24分22秒 | 洋上慰霊

4月27日(月)一日目午後は宮城県護国神社参拝(青葉城本丸跡)および東日本大震災被災地 閖上(ゆりあげ)地区の慰霊と視察を行いました。
被災地の住宅の土台のみが遺る広大な住宅跡地に佇み、あまりにも無惨な状況に一同は言葉もなく、ただただ一日も早い復興をお祈り申し上げました。
夕刻18:30からは懇親会開催場所を仙台国際ホテル2F平安の間に参集して1年ぶり、2年ぶり、3年ぶりの再会に懇親を深めました。
4年目にもなりますと親しみも増して、芸達者のお方が壇上にて北島三郎さんの「祭り」をご披露下さいました。  

 
         懇親会会場=仙台国際ホテル              美味しいお料理と再会の喜びに花を咲かせました
                     

 
       東京都・埼玉県・千葉県の皆様            北島三郎さんの 「祭り」 をご披露下さいました埼玉県のN様

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第4回洋上慰霊想い出の会および震災被災地慰霊の旅 4-1

2015年04月29日 00時39分52秒 | 洋上慰霊

平成23年3月5日~16日 (11泊12日) 参加者 44都道府県から 363名が参加して行われました 「遺児による洋上慰霊」 の「想い出の会」も平成27年は第4回を迎えました。
お仲間の皆様の中には洋上慰霊中に配偶者・親族が犠牲に遭われたお方もお出でになりますことに今年度は「想い出の会」を仙台市にて開催して被災地閖上(ゆりあげ)地区の慰霊と視察の旅に
参加を致しました。

日   程  第一日目 4月27日(月)  気温  日中は28度とも報道されました。
         13:15 仙台国際ホテル 1Fロビー集合

         13:40 ホテル出発
         14:00 宮城県護国神社参拝(青葉城本丸跡)
         15:50 東日本大震災被災地 慰霊・視察
         17:00 ホテル到着
         18:30 懇親会開始

先ず宮城県護国神社へ

 
      宮城県護国神社参拝 「第4回 洋上慰霊想い出の会」 参加者 51名            参拝記念御朱印

東日本大震災被災地 閖上(ゆりあげ)地区 慰霊・視察へ

(HPより)宮城県名取市のサイトで閖上地域の人口を見ると、大震災前の2月末時点で5612人だった。
しかし大津波で壊滅した閖上は、かつて活気に満ちた漁港を中心にほとんど更地と化してしまった。
名取市の犠牲者数は1027人(不明者は119人:6月10日現在)にも上っており、そのほとんどが閖上地区に集中している。
9月末の人口は2410人となり、犠牲者だけでなく多くの住民が閖上から姿を消したことを物語っている。
多くの人が犠牲になった主因は他地域と同様に、まさかここまで津波は来ないとの思い込みによる避難の遅れであるが、ここ閖上にはもう一つの要因、車での避難者が大渋滞に巻き込まれて
身動きが取れないまま多数の人命が失われたことが挙げられる。
8月3日の河北新報社証言記事が詳細に報じた。

 

                3.11の被害に遭われた閖上(ゆりあげ)地区の慰霊と視察
 
       
お地蔵尊が各所に建てられておりました         土台のみが遺る住宅跡地に咲くチューリップ

 
土盛り工事中の多くのダンプとクレーン車のみが目につきました   8.4メートル忘れぬ名取・閖上に震災慰霊碑建立                                           
 
震災慰霊碑は日和山近くの市有地に建てられた。盛り土の上に立つ白御影石の碑は植物の芽生えをデザインしたもの。
地面からの高さは一帯を襲った津波と同じ8.4メートルに設計された。
種をイメージした黒御影石の碑には 「亡き人を悼み故郷を想(おも)う 故郷を愛する御霊よ 安らかに」 と刻まれた。
944人の犠牲者名を記した 「芳名板」 も設置されました。
 
       石には追悼のお言葉が刻まれていました                日和山公園跡の表示板

  

            日和神社参拝                                                   日和神社を後方より撮影                
標高6.3mの日和山。津波はこれより約2m高かったと言われています。神社の境内に立つ松の木の3分の1程まで水が来たそうです。
かつてはここに上り「今日は良い日和」と海を街を眺めたところから日和山 → 日和神社となりましたことを伺いました。

(HPより)
名取市北東端の太平洋仙台湾に面した場所にあり、名取川河口の南岸、貞山運河の東、閖上漁港がある広浦の西に位置する築山
山の東側に(旧)日和山公園(2012年3月廃止)があり、同園に接続するように東側に石段の登山道(参道)が設置されている。

過去の写真から、建造当初は2段の階段ピラミッドのような形状で、だったことが分かるが、経年変化により山体は丸みを帯びたいびつな円錐形になった。
平坦な山頂には、忠魂碑と、湊神社(閖上2丁目)から遷座された富主姫神社の社殿(湊神社が管理)とがあったが、東北地方太平洋沖地震東日本大震災)に伴う津波で社殿が流失した。
震災後、閖上地区一帯を見渡せる当山には多くの人が訪れるようになり、鎮魂の場となっています。合掌

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平成27年 第5回 千葉県洋上慰霊団 「弥生会」 の集い

2015年04月14日 09時36分35秒 | 洋上慰霊

               日  時 平成27年4月10日(金)  時々小  気温
                    場  所 海鮮料理 波奈 12:30~
                    参加者 7名 (14名中)


       千葉市中央区海鮮料理 波奈本店                   4月のお料理

洋上慰霊の思い出   日  程 平成23年3月5日 ~ 16日 (11泊12日)
           参加者 44都道府県から 363名
戦没者遺児が亡き父の戦没地を慰霊訪問したいとの切なる思いから、平成3年に実施して後、平成23年は20周年を迎えました。
これを記念して初めて 「洋上慰霊」 が実施され、千葉県の皆様と参加の機会を頂きました。


       「洋上慰霊」 7474.7kmに及ぶ運行航路                           お世話になりました「ふじ丸」
 
                 戦没者遺児らは乗りて七千余キロ海に祈りき十二日間を  

                 「ふじ丸」の豪華な食事に酔ひしれて過去の悲劇を笑顔で語る
                  
 
     洋上慰霊に参加しました千葉県慰霊団14名の皆様          ちょっと淋しかった平成27年 第5回 「弥生会」 出席者

                  千葉県より十四名の遺児われら面識無くも縁を思ふ

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素敵なプレゼントを頂きました

2014年10月31日 06時00分00秒 | 洋上慰霊

2011年(平成23年)3月5日 ~ 16日 (11泊12日)の洋上慰霊にご一緒させて頂きまして以来、何かと
お世話になっております市原市在住のN様からご丹精の素晴らしい作品の菊を2鉢頂きました。
1本の苗からこのように沢山のお花を咲かせますことは以前、展示場で見たり、聞いたりした事はありましたが、
このような素晴らしい作品を実際に手元で拝見できましたことに感激致しております。
有難いご厚意に、毎日眺めては洋上慰霊に想いを致しましたり、その後のお世話役にご尽力を頂いております
ことに感謝を申し上げて居ります。
Nさま、この度は本当に有り難うございました
今後ともどうぞ宜しく御願い申し上げます。

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第4回 千葉県洋上慰霊団 「弥生会」 の集い

2014年06月14日 14時09分57秒 | 洋上慰霊

               日 時 平成26年6月8日(日) 時々小気温
               場 所 ホテルプラザ菜の花 12:00~

戦没者遺児が亡き父の戦没地を慰霊訪問したいとの切なる願いから平成3年に初めて実施して頂きましてから、平成23年に20年目を迎えることが出来ました。
これを記念して 「戦没者遺児による慰霊友好親善事業20周年(平成23年)記念洋上慰霊」 に千葉県遺児代表14名は参加の機会を頂きました。
あの日から早くも3年の月日が経過しましたが、関係各位の皆様に感謝を申し上げますと同時に3・11の被害に遭われました東北地方の多くの皆様に心からの
お見舞を申し上げて居ります私たちです。

2011年3月11日 (金) 「東日本大地震発生」 については 「サマール島北方洋上慰霊祭」 が終了後に艦内放送により知る事となりました。
夕刻頃より船も大分揺れはじめ、廊下を歩くことがとても困難だったことが思い出されます。
海上では、    全て不可。
被災地の皆様にはご家族の皆様への連絡などに特別の配慮があったようですが 
私たちは  から聞こえるアナウンサーの声に耳を傾け、事の重大さに誰もが被災地とされる皆様にただただお祈り申し上げておりました。

  戦死者と新たな死者への鎮魂に黙祷を捧ぐ汽笛とともに
              
私たちは2011年3月12日午前の部の追悼式に先ず両者に黙祷を捧げました。 合掌

この度、4回目の1年ぶりの再会にお互いの健康を確かめ合いながら、亡き父を偲び、3・11の被害に遭われました遺児のお仲間をはじめ多くの皆様に思いを致しました。
久し振りに当時の様子を振り返り一部をUP致しました。

日程 2011年(平成23年)3月5日~16日(11泊12日)    団長様を囲んで千葉県から参加許可を頂きました14名の遺児
参加者 44都道府県から 363名
          
                                    われら遺児祖国の白菊捧げしも「また来ます」とは誰も言へざり  
         

  「弥生会会場」
 
千葉市の中心、県庁に隣接し、千葉都市モノレールの駅前に建つ 「ホテルプラザ菜の花


 12名の出席者の皆様 残念!2名欠席ですが、健康状態は良好です 
       
千葉県より十四名の遺児われら面識無くも縁を思ふ

船上で初めて出会ったその日から兄姉弟妹のように意気投合して父を偲び、誰にはばかることなく哀しい過去に泪を流し、そして語らい、忘れられない思い出の旅
に改めて思いを致しながら、遺族会行事への尽力と一年後の再会のお約束をし、幹事を務めていただいております中村様に御礼を申し上げまして散会と致しました。

皆様どうぞお元気にお過ごし下さいませ。    

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平成24年4月戦没者遺児による 「洋上慰霊1周年記念思い出の会」 開催される

2012年04月03日 14時36分30秒 | 洋上慰霊

          戦没者遺児による慰霊友好親善事業20周年(平成23年)記念洋上慰霊 「思い出の会」
               開   催   日  平成24年4月2日 (月)
               懇 親 会 会 場  東京湾停泊中 「ふじ丸」 2階ダイニングルーム 
               参   加   者     遺児 118名 他事務局職員及び役員総勢 142名

【日 程】
靖国神社 「参集殿」 集合 14:00~14:30  → 昇殿参拝 14:40~14:55 → 記念撮影15:00~15:10 → 靖国神社 15:15発  
 
           靖国神社本殿                  参加者の皆様と再会を果たした参集殿
                    
         標本木を撮影される参拝客の皆様                                 標本木の枝先に咲いた
標本木 について
3月31日NHKニュースで、まだ蕾の桜の花の映像が映り「東京は桜の開花を観測している靖国神社の標本木に5、6輪の花が咲くと開化宣言」 とアナウンスありました。

多くの  は蕾から花びらが顔を覗かせた程度でした。
昨年より3日、平年より5日遅いと言うことですが、満開の予想は8日頃と言われております。(HPより)
靖国神社の桜は、明治2年の創立以来、明治・大正・昭和・平成の4代にわたり「九段の桜」として広く国民に親しまれてきた。
戦歿者246万6千余柱の神霊を祀る靖国神社の神域にある為か 「ことのほか気高く美しい」 といわれる「九段の桜」には尊い戦歿者の「みたま」が宿っているという。
靖国神社のシンボルともなっている桜はソメイヨシノをはじめ約600本を数える。

  
    御朱印を頂きました                       「洋上慰霊1周年記念思い出の会」 参加者    

東京 (晴海埠頭)  港  16:00着  → 「ふじ丸」 へ順次乗船
懇親会 「思い出の会」 「ふじ丸」 2階ダイニングルーム 16:30 ~ 19:00


        「洋上慰霊」 7474.7kmに及ぶ運行航路              お世話になりました 「ふじ丸」

                日 程 平成23年3月5日 ~ 16日 (11泊12日)
                参加者 44都道府県から 363名 (内千葉県参加者14名)
戦没者遺児が亡き父の戦没地を慰霊訪問したいとの切なる思いから、平成3年に実施して後、平成23年は20周年を迎えました。
これを記念して初めて 「洋上慰霊」 が実施され、千葉県の皆様と参加の機会を頂きました。
そして本年、1周年を迎えるにあたり、お世話になりました 「ふじ丸」 船上にて 「思い出の会」 開催の運びとなりました。

 
        お世話になりました増矢総括団長挨拶               洋上慰霊にご一緒した歌のお姉さんと楽しみました

 
                美味しかったフルーツコーナー                         千葉県よりの参加10名の皆様 (4名欠席)

   
     最後は歌のお姉さんと一緒に「ふるさと」を合唱 

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第1回「千葉県洋上慰霊団」参加者の集い

2011年06月01日 12時56分54秒 | 洋上慰霊

         2011年5月30日 (月) 時々小  気温         
       
          「波奈」 の女将さんからお誕生日  を頂いて
に見舞われたちょっと肌寒さを感じた午前11時JR千葉駅に集合。
遠くは松戸市、柏市から約2時間を要しましたこと等々に、駅構内での熱き握手の盛り上がり。
懇親会会場は千葉市中央区 海鮮料理 「波奈」 に於いて11時半開始。
名前入りの写真の準備でお互いの確認もスムーズに早速 「洋上慰霊」 の思い出話に。
「洋上慰霊」 は全国から遺児総勢363名が3月5日から16日まで豪華客船 「ふじ丸」 に乗船して各海域で延べ13回の慰霊祭を行うとともに、
途中上陸したフィリピンでは友好親善の一環として小学校や病院などを訪問して、学用品 ・ 衣類や車椅子を寄贈しました。
遺児と申しましてもお互いに高齢の身、戦死の父へ最後で最高の供養の機会を頂きましたことに関係各位の皆様に感謝を申し上げておりますところでございます。
千葉県参加者は14名。
この度の懇親会には勤務の都合で男性1名の欠席は残念でしたが、各市町村から13名の参加。

       千葉県より十四名の遺児われら面識無くも縁を思ふ
     「ふじ丸」の豪華な食事に酔ひしれて過去の悲劇を笑顔で語る


     柏市の S 様よりマニラ湾の美しい夕日のお写真を頂きました

     マニラ湾の夕日は美しくも哀しけれ海底の船らあまりに多く

写真の交換をしながら各慰霊祭で行われました父への想いに目頭を熱くしての語らいも、口許は和らぎ、良きお仲間に恵まれて過去の悲しみを笑顔で語れる幸せなひとときに感謝を申し上げました。
幹事の N さまから今後の歩み、会の名前などの提案があり、話し合いの結果、懇親会は 「ふじ丸」から下船した3月16日の年1回とし、会の名前は 「洋上慰霊団 弥生会」と決定しました。
今後は遺族会行事に積極的に参加する事等も話し合いました。
この度の企画を執り行っていただきました市原市の ン中村様に御礼を申し上げます。又「波奈」のご厚意で、お誕生日  のサプライズに恵まれ、3名の内の1人になりました。
ちなみにお誕生日は 6月1日 です。さて何歳に  ですが、今の幸せに感謝 

     の包装を手にして           可愛い  を頂きました 

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慰霊友好親善事業20周年記念 「洋上慰霊」 に参加して (3-3)

2011年04月29日 07時57分19秒 | 洋上慰霊

3月11日 (金) 「東日本大地震発生」 については 「サマール島北方洋上慰霊祭」 が終了後に艦内放送により知る事となりました。
夕刻頃より船も大分揺れはじめ、廊下を歩くことがとても困難だったことが思い出されます。
海上では、    全て不可。
被災地の皆様には連絡方法などに特別の配慮があったようですが 
私たちは  から聞こえるアナウンサーの声に耳を傾け、事の重大さに誰もが被災地とされる皆様にただただお祈り申し上げておりました。

  
                       次々にボードにはられた記事の一部より
3月12日 (土)     9回目 マリアナ沖方面洋上慰霊祭
3月13日 (日)  10回目 マリアナ沖方面洋上慰霊祭
3月14日 (月)  11回目 小笠原諸島近海洋上慰霊
 
                          小笠原諸島と思いますが 
3月15日 (火)  12回目 伊豆諸島近海洋上慰霊祭
             13回目 合同慰霊祭を行いました。
以上大切な慰霊祭の日程を綴らせていただきました。
12日間の毎日のスケジュールは
06:00~       健康チェック  各県世話人 (千葉県は私) が行う  に始まり、
06:30~06:50  ラジオ体操 (第1及び第2) 気持ちの良い潮風の中で身体をほぐして一日のスタート開始
慰霊祭終了後は毎日楽しい 「歌の広場」  に参加して ~ あの歌、この歌、思い出の歌を唄いました。

                      
        歌のお姉さんと楽しい 「歌の広場」                最後の歌は 「螢の光」を合唱
運動不足解消のために毎日 「ストレッチ体操」 昼間は「サンデッキ」で行い、お休み前は 「ラウンジ」 でインストラクターのお姉さんによります楽しいご指導を頂きました。
 
             15日最終日夜の 「ストレッチ体操」                   会場案内板
最終日3月15日は夕刻より 「懇親会」 及び 「解団式」 を行いました。
 
      12日間涙を共にしました千葉県慰霊団                    解 団 式
            

被災地の皆様方には私たちには想像も出来ない程のご心配でお疲れもありました事と思いますが、参加された皆様全員が亡き父へ最高の供養が出来ました事に感謝の心に
笑顔でグラスを傾けることが出来ました。
今年は戦後66年を迎え、戦後も遠くなりました。
しかし、事実は事実として悲惨な過ちを繰り返すことが無き事を祈り、御世話になりました皆様に心から御礼を申し上げ、大切な記録とさせていただきます。
お訪ねいただきました皆様に心から御礼を申し上げます。
多くのご英霊の皆様も喜んでおりますことと存じます。有難うございました。

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慰霊友好親善事業20周年記念 「洋上慰霊」 に参加して (3-2)

2011年04月28日 07時47分18秒 | 洋上慰霊

12日間の慰霊の旅の最初は、枕崎沖、大和沈没地点を経由して冷たい雨の降る中行われました。
慰霊祭の進行は故郷から持参したお供物などが供えられた祭壇にむかい、拝礼 「君が代」を 斉唱しました。
日本遺族会代表、関係遺族代表が父への「追悼の辞」 を読み上げ、関係遺族全員が献花を行い、最後は参列者全員で 「海ゆかば」他2曲を捧げました。
慰霊祭終了後は、関係遺族及び参列者全員がデッキに移動して船の汽笛とともに白菊、父達の好物を海へ手向けて戦没者の冥福をお祈り致しました。
3月 6日 (日)       1回目 東シナ海洋上慰霊祭  
3月 7日 (月) 後   2回目 沖縄北方洋上慰霊祭 ~ 沖縄 ・ 那覇入港 ~ 上陸後 
                    各県の慰霊碑参拝 (気温 が非常に) ~ 深夜出港
3月 8日 (火)       3回目 沖縄南方洋上慰霊祭
3月 9日 (水)     4回目 バシー海峡洋上慰霊祭
                5回目 ルソン沖洋上慰霊祭
3月10日 (木)            6回目 マニラ湾付近洋上慰霊祭~フィリピン ・ マニラ入港~上陸後、マニラ周辺で小学校、病院などを訪問して友好親善を行いました。                 
 
                                        マニラ港に入港して                     
  
                 小学校を訪問して文房具 ・ Tシャツ ・ 帽子などを 
 
    校長先生(緑の洋服)を囲んで千葉県慰霊団                マニラ港にて乗船を前に
 
                                  上陸中に訪問できなかった病院関係者他の皆様をお招きして 
 
       暮れゆくマニラ港に心を遺して出航             美しいはずのマニラ湾の夕日です
3月11日 (金)     7回目 ルソン島南方 (シブヤン海) 洋上慰霊祭 (午前)
             8回目 サマール島北方洋上慰霊祭         (午後)
私は11日 (金) 午後、日本時間2時からは私を含む20名の遺児の慰霊祭を執り行って頂くことになっておりました。
個人情報関係から、参加者名簿には、住所、電話番号、艦名などは記載されず、艦名は慰霊祭当日の朝礼時に公表されました。
父が乗艦しておりました「鳥海」は960名全員が戦死とされておりますので、どなたにお会いできますかと名簿に目を移しますとただお一人長崎県から参加の男性の船名欄に
「鳥海」 と記入されておりました。
すぐにお会いしてみたい  と思いながらも班長としての仕事が先行しております所へ笑顔の紳士が訪ねて下さいました。
「私は 「鳥海」 艦長の息子 田中 暁 と申します」と名刺を頂きました。
瞬間、父に出会えたかのように感激、喜び、幸せに 胸がいっぱいでどのようにご挨拶を申し上げましたか記憶にありません程に溢れる涙を止めることができませんでした。
勿論、慰霊祭に同席させて頂き千葉県代表して父への 「追悼のことば」 を奉読させて頂きましたことに、父への最後の大切な供養が出来ました幸せに感謝を申し上げました。

 
 
    田中艦長様のご子息様と父の好物を斎場に供えて        「追悼のことば」 を奉読中に大地震発生を後に知る
 
拙い 「追悼のことば」 ですが記録に納めたく存じます。

 謹んで追悼のことばを申し上げます。
 (前略)
 今ここに日本遺族会様を初め、関係各位多くの皆様のご尽力を頂き、長年の念願が叶い「洋上慰霊」に参加をさせて頂きました事に千葉県14名の皆様と共に心から感謝を
 申し上げます。

 初めに海底に眠る多くのご英霊の皆様に哀悼の誠を捧げ、謹んでご冥福をお祈り申し上げます。
 お父さん私の声が聞こえますか。お側に参りました。
 お父さんは 「親孝行をしたい」 と海軍に志願したそうですね。
 しかし、戸籍には 「昭和19年10月27日午前10時45分比島方面に於いて戦死」と記されております。
 「鳥海」 乗艦960名の皆様と運命を共にされたお父さんはどんなにか無念だった事でしょう。
 お父さん今朝、感激の出会いを頂きました。
 「鳥海」 田中艦長様のご子息様にお言葉を頂き、今ここに同席させていただいております。
 娘が喜んでおりますと艦長様にご挨拶をしてくださいね。
 (中略)
 お父さんの記憶は全くありませんが、遺された写真、私の名前の文字が遺る沢山の軍事郵便に励まされ、勇気づけられて参りました。
 (中略)
 過去には何事も無かったかのように沢山の趣味を楽しみ、幸せなおばあちゃんになることが出来ました。
 この幸せは、ここ遠く異郷の地に眠りますご英霊の皆様のご加護のおかげと感謝を申し上げ、追悼の歌を捧げたく存じます。
   
          海底に今なほ眠るみ霊らにわが生の限り祈り捧げむ

 
 ただ今は、厳粛なる慰霊祭に参列をさせて頂き、心ゆくまで父を偲ぶことが出来ました。

 改めて関係各位の皆様に心から御礼を申し上げまして 「追悼のことば」 と致します。
 「鳥海」 田中艦長様をはじめご英霊の皆様、どうぞ安らかにお眠り下さい。 合掌
 ご参列を頂きました皆様有難うございました。
 最後に何時までも恋しいお父さんさようなら。
   2011年3月11日                       サマール島北方洋上慰霊祭にて

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2011年 (平成23年)慰霊友好親善事業20周年記念 「洋上慰霊」 に参加して (3-1)

2011年04月27日 07時31分45秒 | 洋上慰霊

                     日  程 2011年(平成23年)3月5日(土) ~ 16日(水)(11泊12日)
                   参加者 44都道府県から 363名 (内千葉県参加者14名)

        戦没者遺児が亡き父の戦没地を慰霊訪問したいとの切なる思いから、平成3年に実施して後、平成23年は20周年を迎えました。
               これを記念して初めて 「洋上慰霊」 が実施され、千葉県代表として参加の機会を頂きました。
                3月5日神戸港に集合して 「ふじ丸」 に乗船、「結団式」 を行い、正午に出航しました。
     各地域で延べ13回の慰霊祭を行い、途中上陸したフィリピンでは友好親善の一環として小学校や病院を訪問して学用品や車イスを寄贈致しました。
      3月11日 「東日本大地震発生」 時は 「サマール島北方洋上慰霊祭」 が行われております時と終了後に艦内放送で知ることとなりました。
      艦内放送が頻繁にされるも、海上ではテレビ、電話すべてが不可、被災地の皆様は、不安を隠しきれずに掲示物を真剣に見入っておりました。
     3月15日には最後の 「伊豆諸島近海洋上慰霊祭」 を行い、夕刻からは解団式及び懇親会を行い3月16日午前8時無事神戸港に帰港しました。
         しかし、宮城県を初め、同乗された遺児の自宅が、家族が、被災されました事の情報に、新たな悲しみの慰霊の旅になりました。
            下船しても東北の皆様は新幹線も動かずに帰宅もできず、近くのホテルに宿をとりましたことを伺っております。
                 東北地方の遺児の皆様には慰めの言葉も在りませんほどに被災された皆様に心が痛みました。

            未曾有の大災害の事態に、この度の貴重な経験を綴ります事に少し時間を頂いて居りましたが、日本遺族会を初め、
                 多くの関係各位の皆様のご尽力に感謝を申し上げ私の大切な記録とさせていただきます。


        「洋上慰霊」 7474.7kmに及ぶ運行航路                      お世話になりました 「ふじ丸」

  
           船内ホールにて結団式を行う                            船上の洋上慰霊祭斎場
   

 
              参列者による 国歌斉唱                      バシー海峡にて洋上慰霊祭の遺児の皆様

 
                       慰霊祭終了後、汽笛と共に白菊と父の好物を捧げる遺児の皆様 

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2011年(平成23年)3月16日夕刻無事に帰宅致しました

2011年03月17日 10時04分00秒 | 洋上慰霊

初めに、この度の大震災でお亡くなりになられました多くの皆様のご冥福をお祈り申し上げます。
被害にあわれた多くの皆様方に心からお見舞いを申し上げます。

私たち 「洋上慰霊団一同」 は、東北地方太平洋側を中心に3月11日に発生しました東日本大震災において亡くなられた皆様のご冥福をお祈り申し上げ 「ふじ丸」 船上において汽笛の合図で
黙祷を捧げました。 合掌

又、最終日の解団式が行われました際には、一同、義捐金を添えさせていただきました。

私は3月5日から16日まで、12日間にわたり行われました 「戦没者遺児による慰霊友好親善事業20周年記念洋上慰霊」 に全国344名、千葉県14名の一員として参加をさせて頂き今尚、
海底に眠る多くのご英霊の皆様、又レイテ沖に眠る父へ哀悼の誠を捧げることができました。 

この度の企画にご尽力をいただきました政府、日本遺族会、他関係各位多くの皆様に心から御礼を申し上げます。
誠に有り難うございました。
ただ今は、千葉県団長として各方面への報告連絡に多忙にしております故、後日 「洋上慰霊追悼式」 の様子を一部ご報告申し上げたく思っております。
最後にこの度、感激の出逢いを頂きました各県の遺児の皆様方に心から感謝を申し上げますともに、宮城、岩手、福島県及び被害に遭われた皆様方のご家族のご無事をお祈り申し上げます。

11日には千葉市も震度6の地震に恐ろしい時間を過ごしましたことを聞きましたが、我が家は幸にも食器棚のコップや器などが壊れた程度にすみました。
帰る家を失ったお仲間には申し訳なく思いますが、ユックリ休ませていただいております事を報告申し上げ、ご心配を頂きました皆様に帰国の報告とさせて頂きます。

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