2015年10月16日 地方版
戦後70年:千葉市戦没者追悼式 「平和 とこしえに」 犠牲者4200柱、遺族ら350人が参列
千葉市遺族代表 小池 一喜さん(73歳) 戦死の父に「思い出のことば」
千葉市戦没者追悼式が10月15日(木)、千葉市中央区の千葉市文化センター アートホールで開かれ、太平洋戦争の戦没者や空襲の犠牲者約4200柱の遺族ら約350人が参列した。
遺族代表の千葉市若葉区、小池一喜さん(73)は「思い出のことば」で、我が子をたった一度しか抱くことができず27歳で戦死した父一男さんについて語り「平和がとこしえに続くことを
願う」と述べた。【金森崇之】
遺族代表の千葉市若葉区、小池一喜さん(73)は「思い出のことば」で、我が子をたった一度しか抱くことができず27歳で戦死した父一男さんについて語り「平和がとこしえに続くことを
願う」と述べた。【金森崇之】
追悼式は1952年から毎年実施され、戦後70年の今年で64回目。
千葉市では昭和45年6月10日と7月7日に、米軍による空襲で多くの犠牲者が出ており、戦没者約3000柱と空襲などの犠牲者約1200柱を合わせて慰霊している。
追悼式では千葉市遺族会の鈴木 登会長らが「二度と戦争を起こさず、平和を守ることが一番大切だ」などと平和への誓いや追悼の言葉を述べ、次々と菊の花を手向けた。
小池さんの父一男さんは陸軍に召集され、小池さんが生まれた昭和17年1月2日、初子の顔を見ぬまま家を出発した。
昭和17年4月には、当時いた神戸から初節句を前にこいのぼりの飾りや白い革靴を送ってくれた。
昭和17年5月には、外出許可を得て千葉市の実家に戻り、一度だけ小池さんを腕に抱いたが、その5カ月後、パプアニューギニア・ニューブリテン島のラバウルで船上で被弾し、
命を落としたという。
小池さんは「父との生涯一度の触れ合いを生後4カ月の私が記憶することは無理だった」との言葉で、戦争に引き裂かれた家族の悲しみを表現した。
2012年(平成24年)2月、日本遺族会主催の慰霊巡拝の旅で初めてラバウルを訪れ、海に向かって「お父さん」と叫んだといい、「古希を迎えてやっと『おかげでここまで無事に生きて
これました』と父に伝えることができ、自分の責任を果たせたとほっとした。
戦争のない平和が永久であることを、これからも願い続けたい」と語った。
以上は毎日新聞に掲載して頂きました事に御礼を申し上げ、転載してご紹介させて頂きました。ただし は投稿者の撮影による。