ここにご紹介の重松正一様は遺族会関係で大変お世話になっておりますお方です。
お父上様への慰霊巡拝は勿論の事、講演会,TV出演、雑誌、新聞など多方面からの取材に応じましたり、全国の遺児、遺族関係者からのレイテ戦の問い合わせにも丁寧に
資料を添えて解説をされましたり多大なご尽力を頂いております。
この度、多くの資料を添えてお手紙を頂きました。その中の最近の新聞社他の取材などの一部を抜粋させていただきます。
1.10月29日発売の週刊文春(11月5日号) 「正一少年に渡された軍参謀長の手記」
2.平成28年1月21日 讀賣新聞 朝刊 社会欄 「両陛下フイリピンへ」 父失い家族を支えて
3.平成28年1月26日 東京新聞 朝刊 社会欄 「両陛下フイリピン訪問を前に」 戦禍の記憶
4.平成28年1月26日 中日新聞 朝刊 総合欄 〈戦禍の記憶〉 戦死者、埋もれさせぬ
重松様の手記の一部より「戦死者を記録に埋もれさせるのではなく、一人の人間としてよみがえらせよう。指揮官の息子としての指名だ。」
そう決意し、銀行勤めをしながらレイテ戦の生還者への聞き取りをしたり、資料に当たるため図書館に通い詰めたりと、地道な調査を続けた。
五十年にわたる調査で五百人を超える遺族へ可能な限りの情報を伝えてきた。
渡した資料に肉親の名前を見つけると、「これで一区切りが付く」と感激する人も少なくない。
レイテ戦を多くの人に知ってもらおうと2008年にHPを開設した。
「父が生きていたら同じ事をしたはず。死んで父に再会した時、胸を張れます。」(以上は重松様のお言葉より)
重松正一様のHPのご紹介 http://www.sakai.zaq.ne.jp/hohei13/
お手紙の中に讀賣新聞の記事もございました。讀賣新聞は毎日読んでおりますのに、気づかずに失礼いたしておりました。
幸いにもまだ手元にありましたので、ご紹介をさせて頂きました。
ご紹介のブログは事後承諾にてUPしましたので、訂正箇所などご指摘頂きたいとメールを申し上げました事へのお返事を頂きました。
重松正一様のメールより転載させて頂きます。
大変 お世話になります。回答が遅くなりました。 別に申し上げることはありません結構です。
両陛下が フイリピン戦線 戦没者カリラヤの政府霊園に供花 本当にありがたく思っています。
報道では150名の日本人とあり、私も役員をしている曙光会から16名、日本遺族会が組織する各県代表1名を含む役員計100名、
従って 任意で出席した方は30数名ということになり割と少数になります。
テレビで放送されましたが、出席者の皆さんから電話で報告があり、現場の様子がよく理解できました。
事前に 最前列 2列目 3列目 と厚労省の係員から立つ位置が決められ 3列目の方は陛下のお声が殆ど聞こえなかったそうです。
レイテの遺族は曙光会の方が10名 日本遺族会が10名ほどになります。
実は私膝関節炎で 現地に行けませんでしたので 31日 1日と上京 靖国神社に参拝のため上京していました。
出発前にメール及び郵送でお知らせしたものですから、留守中に沢山の方から電話があり、家内が控えた電話の方に答礼の電話を終日しておりました。
讀賣新聞は全国版、中日新聞は愛知 岐阜 三重 静岡がエリアですので 父の部隊郷土であり、経験のしたことのない忙しさで電話応対に集中していました。
本当にご容赦ください。
以上、メールのご紹介をさせて頂きましたが、この度もいろいろとご配慮頂きましたことに御礼を申し上げます。
お寒さの折りにどうぞご健勝にてお過ごし頂きまして今後ともご尽力を頂きたく宜しくお願い申し上げます。
有り難うございました。