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旧海軍の大田実司令官らを追悼する慰霊祭

2018年06月15日 20時00分56秒 | 遺族会(各追悼式・戦争証言などを含む)

       沖縄戦73年、遺族ら黙とう 旧海軍司令官自決で慰霊祭(HPより)

(共同)        
自決した旧海軍の大田実司令官らを追悼する慰霊祭で、献花する四男の大田豊氏    昭和48年千葉県の生家に建立された「顕彰碑」
            =13日午後、沖縄県豊見城市の旧海軍司令部壕
(共同)
沖縄県民の4人に1人が犠牲になったとされる太平洋戦争末期の沖縄戦で、県民への特別の配慮を求める電文を中央へ送った、旧海軍の大田実司令官ら幹部が自決してから
73年となった13日、追悼の慰霊祭が沖縄県豊見城市の旧海軍司令部壕で営まれた。
遺族ら関係者約120人が黙とうし、花を手向けた。
大田司令官は1945年6月6日、米軍の猛攻の中、海軍次官宛てに「沖縄県民斯ク戦ヘリ 県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ」と打電。
1週間後、司令部壕で将校らと共に命を絶った。

「顕彰碑」
昭和48年6月千葉県長柄町高山にある生家の長屋門入り口左側に有志により顕彰碑が建てられています。
 

           
   平成18年11月23日~25日 千葉県南方諸地域戦没者追悼式・戦跡巡拝に参加して の折に撮影した写真です。 

   
           海軍慰霊塔           大田中将自決の部屋(平成18年慰霊の折に撮影。現在は撮影不可) 
司令官室の壁面には「大君の御はたのもとに死してこそ人と生まれし甲斐ぞありけり」大田中将の歌が鮮やかに残されていました。
昭和20年6月6日、決別電報と辞世の句を打電。
同日夜、沖縄県民の献身的な戦い振りを述べ、後世にわたる国の配慮を訴えた世界史上不朽の
   電文 「沖縄県民斯く戦へり」 を打電。
13日幕僚6人とともに自決、54歳の仁愛と波乱に満ちた生涯を終える。
  辞 世  身はたとへ沖縄の辺に朽つるとも守り遂ぐべし大和島根は
平成18年には撮影出来ましたが、現在は近くまで行かれず、撮影も不可と聞いております。 

平成18年追悼式に参列の折りに、バスガイドさんが「千葉県の方に足を向けて眠れません。」とお話下さいましたことが思い出されます。
千葉県民の一人としても大切なお方を偲んで参りたく考えております。

コメント (2)
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