最近のTV報道に千葉県の取り組み、歴史、特産品など多くの情報のご紹介に有り難く保存させて頂いておりますが、その節は多くの皆様にお尋ね頂いておりますことに感謝
を申し上げております。
この度は10年も前に京都旅行に訪ねました「京都 哲学の道」をじゅん散策に取り上げて頂きましたのでとても懐かしく、真夏日を思わせます暑さ厳しき折に緑豊かな風情に
心が和み涼風をも感じる気持ちに魅入りましたのでここに保存させて頂きました。
「京都 哲学の道」(ネットより転載)
永観堂付近にある熊野若王子神社前の冷泉通若王子橋を南端として始まり、東山山麓の琵琶湖疏水に沿って銀閣寺西の今出川通銀閣寺橋を北端として続く約1.5kmの散歩道[1][2]。
幅員は広くないが、沿道に多くの樹木が植わる[3]。沿道の横には、熊野若王子神社から大豊神社参道までは琵琶湖疏水分線が山裾に沿って流れ、疏水の山側は自然の森となっており、対岸側に桜並木がある。春は桜、初夏は木々の緑、秋は紅葉と四季折々に景色が変化する自然の美しい区間で、京都で最も人気のある散歩道として訪れる人が多く、桜の季節や紅葉の季節には多くの観光客でにぎわう[1]。
近年は廃業した喫茶店に住み着いた多くの猫が有名になりつつある区間でもある。それより北側は両側が住宅地となり、疏水の両岸に桜並木が植えられている。歩道も東側にもある場合があるが、よく整備されているのは西側だけである。日本の道100選にも選ばれている
懐かしい! 「京都 哲学の道」 をじゅんちゃんが散策してご紹介頂きました
京らしさ溢れる抹茶スイーツを求めてリバーサイドカフェ グリーンテラスにて一休みしました
じゅんちゃんは素敵な!リバーサイドカフェ グリーンテラスにて「抹茶クリームあんみつ」を頂きました
「哲学の道散策」 → 「法然院の歴史」を求めて散策へ
「法然院の歴史」
鎌倉時代の初め、専修念佛の元祖法然房源空上人は、鹿ヶ谷の草庵で弟子の安楽・住蓮とともに、念佛三昧の別行を修し、6時礼讃を唱えられた。
1206年(建永元)12月、後鳥羽上皇の熊野臨幸の留守中に、院の女房松虫・鈴虫が安楽・住蓮を慕って出家し上皇の逆鱗に触れるという事件が生じ法然上人は讃岐国へ
流罪、安楽・住蓮は死罪となり、その後草庵は久しく荒廃することとなった。
江戸時代初期の1680年(延宝8)、知恩院第三十八世萬無和尚は、元祖法然上人ゆかりの地に念佛道場を建立することを発願し、弟子の忍澂和尚によって、現在の伽藍の
基礎が築かれた。
浄土宗内の独立した一本山であったが、1953年(昭和28)に浄土宗より独立し、単立宗教法人となり現在に至っている。通常伽藍内は非公開であるが、毎年、4月1日
から7日までと11月1日から7日までの年2回、伽藍内部の一般公開を行っている。
法然院は浄土宗の開祖・法然の草庵があったことに由来しています
上記作品は石ではなくガラスで制作された作品です
「西中 千人」(にしながゆきと)氏とは
日本のガラス造形作家。星薬科大学薬学部卒業後、薬剤師免許取得。カリフォルニア芸術大学で彫刻とガラスアートを 学ぶ。
「命の煌めき・再生」をテーマに、古の日本の美意識から生み出した独自のガラス表現を追求。
代表作は金継の精神を礎とした「ガラスの呼継」と 命のつながりをメッセージとした「ガラスの枯山水」。
じゅんちゃん、この度も素敵なご紹介を有り難うございました。お疲れ様でございました。