この度ヒキノ様より棲む諾小網町の東京都慰霊堂にむかし行きました。石川光陽の「語れなかった33枚の写真」を見るためにです。
東京警視庁の石川武雄は3月11日夜大空襲の写真を撮り、その貴重な歴史の証明を缶に隠して地中に埋め、あとになって発表しました。
東京都慰霊堂・・・関東大震災の被災者と同居です。広島、長崎に平和公園があるように、東京では何故作らなかったのでしょうか。
のお言葉に私も東京都慰霊堂を訪ねて石川光陽氏の貴重な写真も拝見しておりますので比企の丘 様のブログを紹介させて頂きます。
3月10日・東京大空襲・・・東京警視庁写真班員石川光陽の遺した「語られなかった33枚の真実」
『激動の昭和・・3月10日東京大空襲・・・語られなかった33枚の真実』
重く辛い内容です。録画して静かな自分の時間に見ました。わたしのわたし的な感想です。これをどう思うかは人それぞれの問題です。

正視できません。
間違いなく真実です。

東京警視庁鑑識課写真班石川武雄の姿を再現したドラマです。
ドラマですが彼の撮った写真は間違いなく真実です。

昭和、最後の年に亡くなっていますが病床で昭和天皇の病状を聞いて正座した人だそうです。

死者の折り重なる街を撮り続けます。
「真実を後世に伝える」
死者に合掌しながらシャッターを押し続けたことでしょう。

生きながら・・・焼かれていく・・・
・・・言葉になりません。

仕方がなかったんだ。死んだ人には申し訳ないが任務を果たしたまでだ
表情は苦しく見えます。

生き残ったものだけがあの夜のようすを語れる。
ここに写ってる死者たちはもう何も語れない・・・
戦争は勝者にも深い傷跡を残していました。

GHQは執拗にネガの提出を求めますが石川は頑なに拒否します。
ネガを缶の中に入れ土中深く隠したといわれます。
石川はこういいます。
ネガは渡せません・・・後世に伝えるべき歴史の証明だからです

「東京都慰霊堂」
瓦礫の中から拾い出されたお骨が納骨されています。
JR 「両国駅」そば、国技館、江戸博物館と同じ一郭です。
東京大空襲・・過去のブログです。
東京大空襲・・・「3.10の日」
東京大空襲・・・63年前の3月10日