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石川光陽の遺した「語られなかった33枚の真実」(ご紹介)

2022年03月11日 23時47分05秒 | 遺族会(各追悼式・戦争証言などを含む)

この度ヒキノ様より棲む諾小網町の東京都慰霊堂にむかし行きました。石川光陽の「語れなかった33枚の写真」を見るためにです。
東京警視庁の石川武雄は3月11日夜大空襲の写真を撮り、その貴重な歴史の証明を缶に隠して地中に埋め、あとになって発表しました。
東京都慰霊堂・・・関東大震災の被災者と同居です。広島、長崎に平和公園があるように、東京では何故作らなかったのでしょうか。
のお言葉に私も東京都慰霊堂を訪ねて石川光陽氏の貴重な写真も拝見しておりますので比企の丘 様のブログを紹介させて頂きます

3月10日・東京大空襲・・・東京警視庁写真班員石川光陽の遺した「語られなかった33枚の真実」

2008年3月10日夜、TBSテレビであるドキュメンタリードラマが放映されていました。
『激動の昭和・・3月10日東京大空襲・・・語られなかった33枚の真実』

重く辛い内容です。録画して静かな自分の時間に見ました。わたしのわたし的な感想です。これをどう思うかは人それぞれの問題です。

有名な写真です。
正視できません。

間違いなく真実です。


この物語は東京大空襲の夜から焦土と化した東京の地上の風景をカメラに収めた
東京警視庁鑑識課写真班石川武雄の姿を再現したドラマです。
ドラマですが彼の撮った写真は間違いなく真実です。

石川光陽(本名石川武雄1904~1989年)・・・警視庁を定年まで勤めた公務員です。
昭和、最後の年に亡くなっていますが病床で昭和天皇の病状を聞いて正座した人だそうです。


たった2時間半で10万人の死者を出した世界史史上に類を見ない東京大空襲
死者の折り重なる街を撮り続けます。
真実を後世に伝える
死者に合掌しながらシャッターを押し続けたことでしょう。

生き残った87歳のご婦人。語り部です。

生きながら・・・焼かれていく・・・

・・・言葉になりません。

米軍爆撃機の搭乗スタッフの証言です。

仕方がなかったんだ。死んだ人には申し訳ないが任務を果たしたまでだ

表情は苦しく見えます。

たまらないよ・・・
生き残ったものだけがあの夜のようすを語れる。
ここに写ってる死者たちはもう何も語れない・・・


戦争は勝者にも深い傷跡を残していました。

炎の中で撮り続けた33枚。米軍(GHQ)に提出を求められ警視庁は石川個人のネガとしました。
GHQは執拗にネガの提出を求めますが石川は頑なに拒否します。

ネガを缶の中に入れ土中深く隠したといわれます。
石川はこういいます。
ネガは渡せません・・・後世に伝えるべき歴史の証明だからです

東京都江東区横網町
東京都慰霊堂

瓦礫の中から拾い出されたお骨が納骨されています。
JR 「両国駅」そば、国技館、江戸博物館と同じ一郭です。

 
東京大空襲・・過去のブログです。
東京大空襲・・・「3.10の日」
東京大空襲・・・63年前の3月10日
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昭和20年3月10日東京大空襲から77年

2022年03月11日 14時59分06秒 | 遺族会(各追悼式・戦争証言などを含む)

およそ10万人が犠牲となった昭和20年3月10日の東京大空襲から77年を迎えました3月10日、東京都墨田区 東京都慰霊堂では慰霊の法要が行われ、遺族などが犠牲に
なった人たちに祈りをささげるとともに、ロシアのウクライナに対する軍事侵攻に憤りを感じていました

                       
                           東京都墨田区 「東京都慰霊堂」で法要が行われました
「東京スカイツリー」
墨田区押上は、東京大空襲から77年になる3月10日と、東日本大震災から11年になる3月11日に、それぞれ鎮魂と
復興を願って特別なライティングを行う。
点灯は両日午後5時45分から12時まで。 (ネットより)

    
           
     3月10日の特別ライティング「白色のライティング」                  3月11日の特別ライティング「明 花」
       3月10日に点灯する東京大空襲の犠牲者へ鎮魂の思い            3月11日に点灯する東日本大震災で被災した地域の復興を願う

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我が子の恩師が語る東京大空襲体験(再)

2022年03月11日 02時33分47秒 | 遺族会(各追悼式・戦争証言などを含む)

平成26年3月6日(木)首都圏ネットワークにスイッチをいれましたら、長女が中学生の時にお世話になりました工藤愛子先生が、涙を流しながら東京大空襲の悲惨さを
語っていらっしゃるではありませんか。

娘が卒業後30余年も過ぎ、ご無沙汰を致しておりましたが、先生に違いないと夢中で録画致しました。
放映後早速、先生にお久しぶりにお電話をさせて頂きましたところ、東京大空襲にてお父様と弟様を亡くされましたことをはじめてお伺い致しました。合掌
戦災に遭われた場所は、現在スカイツリーで賑わって居ります所とも伺いました。
娘が在学中の保護者会などにはいつも笑顔で接して頂き、PTA活動にお邪魔しました折には温かいお言葉を頂き、母親のように親しくご厚誼を頂いておりましたので、先生
にこのような哀しい過去がおありでしたことに言葉も有りません程にビックリ致しました。

テレビに映る先生はお年を重ねられたようにお見受け致しましたが、「86歳になったのよ」とお元気に地域活動にご尽力の程を伺うことも出来ました。
幸にも先生のご自宅が我が家から近くでしたのでブログを印刷してお届けすることができました。
先生にお会いしましてから8年の月日が過ぎ又、ご無沙汰を致しておりますが3月10日を迎えますと先生を思い出します。
今年は94歳になられますが、先生は命ある限り慰霊祭に出席したい!とおっしゃておられましたのでお電話をしたく思っております。
悲惨な戦争の悲しみを風化させることがなきように先生の涙のお姿を再度、納めさせて頂きました。

 
                                         平成26年3月6日(木)首都圏ネットワークより

 
                                    命の有る限り3月10日の慰霊祭に参列したいとお話しされました
     
 

                                        工藤先生が描かれた「背負い続ける“炎の記録”」

東京大空襲とは (ネット)より
東京空襲の一般民間人の被害全体についてみると、東京の区部が被害を受けた空襲は60回を越えます。
確認された死者の遺体数は約10万5400人になります。 負傷者は約15万人で、罹災者は約300万人、罹災住宅戸数は約70万戸です。

2019年10月1日現在・総務省の人口推計による
戦争体験者が急速に減っている。戦後生まれの人口が全体の8割を超え、戦争が「記憶」から「歴史」へと変わりつつある。

戦後生まれの人口は1億655万人で、全体の84.5%を占める。一方、戦前生まれは1962万人。
現在と同じ形式で人口推計が始まった1947年の7384万人から70年余りで4分の1に減少した。

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