ペリリュー島からの手紙
「モノからたどる私の戦争」NHK青森編集部
2023年12月04日 (月)
下記の映像・文言はネットより頂きました。
田中 恭子様ののお父様が散華されましたペリリュ―島
お骨のないお墓に参拝をされる田中 恭子様
ある日、満州からペリリュー島に行くことが決まった?ことに冬服が送られてきました。大切な遺品ですと語っておられました
素晴らしい筆跡のお手紙と拝見させて頂きました
ご家族に心配をかけたくなく「安心あれ」の最後のお手紙と伺いました
お父様が操縦しておりました戦車は「むつ」と判明したそうです
ペリリュー等で行われております遺骨収集の様子
旧日本軍戦車の発掘調査に期待
太平洋戦争末期に激戦地となったパラオ・ペリリュー島。
六戸町の田中恭子さんは戦車隊だった父を戦闘で亡くし、遺骨は今も見つかっていない。
多くの兵士の遺骨が残されたままになっているこの島で、国はこのほど密林に埋もれた旧日本軍の戦車の発掘調査に乗り出すことを決めた。
戦車内に遺骨が残っている可能性があるといい、田中さんは「遺骨が見つかれば日本で埋葬してあげたい」と調査の行方を見守っている。
田中さんの父将一さんが第14師団戦車隊指揮小隊長としてペリリュー島に渡ったのは戦闘が始まる4カ月前の1944年5月。
家族には詳しい行き先を告げず、「何かあれば国が準備した『鉄のひつぎ』の中に入ることになるんだから、何も心配することはない」と話していたという。
国会答弁でもとりあげられなくなったら
ますます遺骨が採集されなくなるのではないなと
心配です。
田中さんはお住まいの地域の短歌大会では毎年1位に輝き、茶道の先生としてもご活躍です。
ネットにてご活躍のご様子を拝見しております。
お父さまの御遺骨が発見されますことをお祈り申し上げております。
0ko様の海軍のお父様にはお申し訳ございません。情報戴ける戦友の方々がいらっしゃらなくなりましたことが残念ですね。
私の場合父の33回忌がおわったころ戦友の方からの一本の電話で始まりました。すぐに夫が賛同して[戦車隊の会]結成してここまで来た次第です。
40年以上たちましたが夫の遺志でしたのであと一息頑張りたいと思います。
今日の漢字検定合格お祈りいたします。
ご了解も頂きません折に勝手を致しまして申し訳ございません。
しかしながら貴重な映像に感激しましたり、涙を致しましたりして拝見させて頂きました。
とても素晴らしい記録になりましたね。
まだまだお寒い折にご健勝をお祈り申し上げております。
漢検の件、孫は体調を崩して欠席しました。
先ほど答合わせをしましたらやはり不合格が決定しました。
3級までは順調でしたが、今回は残念です。
令和6年度の1回目が6月に有りますので頑張りたく思っております。