令和6年2月靖国神社社頭に掲示されました遺書 合掌
特攻隊員の馬淵哲男様がお兄様に「敵撃滅に笑って出撃す。」↑ 残念、合掌。 なんて愚かな事だったでしょうか。
特攻隊の上官は自害したそうですが、不時着した元隊員がある回想に自害するくらいなら「特攻機に搭乗すればよかったのに」と語っておられました。
又ある記事に知った事「特攻隊と覚醒剤」別れの盃なるものに「覚醒剤」を混入させ「覚醒剤チョコ」が最後の食事になって飛び立ったという事実を知り、言葉にならない憤りを感じました。
生き残ったある上官が昨今「戦争は回避できた」に「怒髪天を衝く」の言葉を覚えました。それでは何故、だれが戦争を開始したのか?とても残念です。
千葉県〇〇 嘉子は今号で158首めの掲載を頂きました 最後の「洋上慰霊を検討」の記事に何とか参加をしたく健康管理に努めたく思います
昨年11月から新選者決定に2年ぶりに再開されました九段短歌に4ヶ月間連続掲載は青森県の友人の田中 恭子様お一人のみの素晴らしいお歌でした。
そして3ヶ月掲載は私一名に、11月・1月・そして2月号に多くの遺児の皆様が全国から投稿されておりますと思われます5名の中に加えていただきましたことに心から感謝を
申し上げております。投稿は平成16年10月15日号に初めて「過ぎし日のありて今在る幸を思ひつつ八月武道館にあり」でした。掲載頂きましてから19年目になります。
この間3名の選者の先生の交代に3年半ほどの「九段短歌休載」がありましたが、今号で158首目になりました。200首まで頑張りたく思いますが?です。
どうか200首まで、いいえそれ以上続けられますようにと
祈っております。
いつもながら痛ましい遺書です。
どんなに無念だったことでしょう。
戦時中の教育勅語まで否定するようなことは許せません。
本日は遺族会の役員会に出かけましてお仲間から「毎月掲載にスゴイ!頑張って」と励まされました。
新選者の先生からわずか5名の掲載に驚いておりますが頑張りたく思います。
痛ましい遺書です・・・」↑ですね。
5~6年前の「特攻隊と覚醒剤」の記事に本当に驚きました。
読ませていただき私の国債の思い出がよみがえりました。母が幾枚か大事そうに持ってどこかオンコの垣根の家に行きました。
その時の落胆した面は今も忘れません。由知ったのは後々のことで遥か5歳の記憶です。
3首目の満江さんは95年の友好親善の友です。年賀状で繋がっております。その頃もう歌詠んでおられました。
来月の楽しみoko様と共有できます幸せ思いつつ。
「3首目の満江さんは95年の友好親善の友です・・・」↑ そのように拝読させて頂きました。
私も田中恭子さまと「共有できます幸せ思いつつ」↑です。頑張ります。
拙い一首につきまして間違いがありました。ご指摘いただきました[とおい]がうっかりミスでした。
[水]に[日]ではなくて[木]に[日]でした。調べてみましたら誤字とわかりましたが遺族歌壇はこのままに。
大事なこと教わりありがとうございます。私も漢検で勉強しなければとつくづく思いました。またよろしくお願いいたします。
そうでございますか。
ご丁寧にありがとうございました。
「水]に[日]と言う文字もあり、漢検では準1級でした。
70歳の時にダンス発表会に詠みました歌です。
孫よりの花束胸に杳(くら)き日の長き道のり浮かび来 涙
この時、先生から杳(くら)きの言葉を初めて学びました。
[よう]の漢字は:変換できませんでした:がはっきりしない心の中の存在で暗い;遥かな;遠いなどすーと通り抜けるような気持ちかなあと。
:とほい:としたつもりが誤字だったために:くつ:になってしまいました。失敗は繰り返さないことと肝に命じました。
天皇誕生日の朝に。
短歌会も年々会員が減り、継続が難しく終了となりました。
現在は9名のお仲間が先生に月1回のご指導お願いして年4回短歌同好会誌を発行しております。
1回に15首の掲載に先生の添削を頂き、1年間に60首の作品ができます。
現在は9名ですが90歳以上の方も居りますことに継続が危ぶまれております。