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ちば文化資産「県政発祥の地 宮谷(みやざく)県庁跡」のご紹介 千葉テレビ放映より

2024年07月06日 06時00分00秒 | 千葉の事

                                         「ちば文化資産」とは?

        千葉県誕生150周年を記念して千葉県内の文化資産のうち、県民参加により選定した、多様で豊かなちば文化の魅力を特徴づけるモノやコトとします。
           伝統的なものに限定せず、現代建築や景観等、千葉県の文化的魅力を発信するモノやコトを含みます。(以上は千葉県HPより)

                              今回は千葉県「県政発祥の地 宮谷(みやざく)県庁跡」のご紹介
                          (以下は千葉県教育委員会HPより転載させて頂きました)

               「県政発祥の地 宮谷(みやざく)県庁跡」は千葉県指定史跡として昭和29年12月21日に指定されました
                                
                           「概要」 所在地 大網白里市大網3002ほか(本国寺)

      本国寺(ほんごくじ)は、空海創草と伝えられる真言宗の寺であったが、文明3年(1471)に顕本法華宗に改宗し、さらに現在は日蓮宗の寺となっている。
           元和8年(1622)に、仏教の学問所である宮谷檀林(みやざくだんりん)が創設され、盛時には800名の学僧を擁したといわれている。
  慶応4年(1868)閏4月、新政府は政体書を発布し、府藩県三治政を定め、旧天領には府県を置き知事・県令を任命し、旧藩については従来の制度を存続させることとした。
7月、安房の天領地域を統治するために、久留米藩士・柴山典が上州軍監から上総房州監察兼知県事(房総知県事)に転任し、房総における初めての新政府民政担当の地方長官となった。
                    同年9月に改元が行われ明治となったが、12月には宮谷(みやざく)檀林の学寮を知県事役所とした。
翌明治2年(1869)2月に房総知県事の管轄地域が宮谷県と命名されたことにより、知県事役所は宮谷県の県庁に改められ本国寺本堂(旧宮谷檀林大講堂)を除く一切の諸堂が庁舎として使用された。
                     宮谷(みやざく)県の管轄範囲は、上総・安房と常陸の一部を含む旧天領地域であった。

     明治4年(1871)7月に廃藩置県が行われ、同年11月、第1次府県統合で安房・上総全域が新たに木更津県として統合されたことにより、宮谷県は廃止された。
                  その後、明治6(1873)年6月15日、木更津県と印旛県が合併し、現在の姿に近い千葉県が誕生した。


                                                  大網白里市 の位置
                                    千葉県大網白里市は太平洋(外房)に面し、九十九里平野および九十九里浜(九十九里海岸)の南西部に位置する。
                       東西に細長い市域は、西部の「大網地区」である丘陵部、中央部の「増穂地区」である広大な田園部、東部の「白里地区」である海岸部を有している。


「宮谷(みやざく)県庁跡」の説明をされる 大網白里市教育委員会 武田 剛朗さん    宮谷(みやざく)県は千葉県の前身の1つで本国寺に庁舎が置かれていましたと


  宮谷(みやざく)県は千葉県の前身の1つで本国寺に庁舎が置かれていましたと。          この寺はもともと檀林というお坊さんの養成所だった


 幕末から明治にかけてそのお坊さんがいなくなり大きな建物があり県庁として使われた    明治2年新政府により本国寺を県庁とする「宮谷(みやざく)県」が設置される


              
 「宮谷(みやざく)県」は明治2年2月から明治4年11月まで約2年9ヶ月    「宮谷県」は明治2年2月旧幕府領を統治するために設置、本國寺が庁舎として使用された
    あった県ですと説明される 大網白里市教育委員会 武田 剛朗さん 
    
 
  久留米藩出身の 初代宮谷(みやざく)県知事 柴山 典(1822~ 1884)             初代宮谷(みやざく)県知事の任命書        


  古文書によると明治初期は飢饉などで苦しんでいる住民が多かったようで         初代宮谷(みやざく)県知事 柴山 典氏は穀物を蓄えるように勧めたり                                   


  税をお金で納めるように政府にかけあったりしていたことが記録に残っている     歴史の事象は幕末・明治維新のことは江戸 東京 京都ばかりで起きていたと思われがち


     150年以上前に政治の中心だった事を地元住民も知らないという状況にあります事に地域・地域に学べる場所があるということを知り来て頂きたいと語る
                                 大網白里市教育委員会 武田 剛朗さん 

 

    この度の「県政発祥の地 宮谷(みやざく)県庁跡」及び「千葉県一宮町 芥川荘」につきましては過去に歴史倶楽部にて見学しておりましたので振り返ってみました。

                              「千葉 ・ 茂原市の旅」  2011年02月24日

                            千葉実年大学校 歴史倶楽部 平成23年2月度定例会                               

コメント (4)    この記事についてブログを書く
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4 コメント

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難しいです。 (matsubara)
2024-07-06 15:45:01
広い千葉県には多くの歴史があるのですね。
宮谷はみやざくとは読めないですね。
安房の国も試験の時忘れそうです。
返信する
matsubaraさま (oko)
2024-07-06 16:47:49
お訪ね頂きましてありがとうございます。

千葉テレビで「ちば文化資産」の放映に気づき毎週見ておりますが、
以前、歴史倶楽部で見学したところがほとんどに当時の会長さんに感謝を申し上げておりますところです。

千葉県庁がほかの地に有りましたこと、又「宮谷(みやざく)県」の読み方も忘れておりました。
返信する
お早うございます (縄文人)
2024-07-07 08:04:59
拝見しようとしましたが、画像が出ません!
上から1234567枚が見られませんでした。

   コメントは次回にします。

  ● オウ暑し「涼しみ処」駆け込みし (縄)
返信する
縄文人さま (oko)
2024-07-07 19:24:39
お訪ね頂きましてありがとうございます。

申し訳ございません。私の画面上には表示されておりますが未熟さ故に
ご迷惑をおかけしておりますことと存じます。
返信する

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