令和2年5月 靖国神社社頭に掲示されました遺書 合掌
「昭和20年8月17日 東京都北多摩郡にて自決。」と、記録されておりますことにとても残念です!
戦争が終結後に故郷にての最期にご両親様のお嘆きは如何ばかりかと想像を絶する思いです。戦争で得るものは何もありません。
このような遺書を二度と書くことがないことを祈りご紹介させて頂きました。
「九段短歌」
今年は戦後75年を迎えますが、我々遺族の悲しみは永遠です。鎮魂の歌を詠み、御霊を偲びたく思います。
今号には「鳥海」艦長ご子息の佐世保市の田中様、友人の青森県の田中様両名のお歌を学ばせて頂くことができました事に幸いに存じます。
鎮魂の歌にお目を通していただけましたら幸いに存じます。
令和2年度・戦没者遺児による慰霊友好親善事業実施計画予定地
「赤トンボ」とは
最後の特攻「赤トンボ」の戦い
神風特別攻撃隊第三竜虎隊 九三式中間操縦練習機(通称:赤トンボ)
沖縄戦終結後(6月23日)の7月27日、台湾の竜虎海軍基地で、三村弘上飛曹以下7名、計8名に、特攻命令が下りました。
7月28日の早朝に台湾の新竹基地に到着。そこで彼らに「神風特別攻撃隊第三竜虎隊」の命名式と別盃式が行われました。
そして直ちに宜蘭基地を経由して、石垣島へ転進、石垣島から宮古島へと移動しました。
詳しくは https://okinawa-yokuyukai.org/data/rekisi_003.html
特攻記念館に陳列されておりましたのは「赤トンボ」の模型でしたが、初めて見る、聞くことにHPに学ばせて頂きました。
「終戦後の自決とは悲しいですね。」↑
とても残念です。病のために責任を果たせなかったと、このような責任感はもってほしくないですね。
そうでございますか、「夕空晴れて」を悲しいです。
昨年12月に筑波海軍航空隊記念館見学にまいりました折に赤トンボを初めて知りましたので歌に詠みました。
選者の言葉にも共鳴しました。
従軍慰安婦は朝日新聞が嘘の記事を書いたことと
慰安婦が嘘の証言をしたことに始まりました。
教科書から一掃すべきなのにまだ書いてあるとは
信じられないです。
投稿から15年目を迎え今号で138首の掲載を頂きました。
この間、お二方の選者のご逝去に2年間ほどの休載がありましたが、
選者の先生方に感謝を申し上げております。
200首の掲載まで頑張れたらと希望を持ち続けたく思います。
私も選者の先生のお言葉に共鳴しております。
これから孫は何を学ぶのか心配です。