この度の鈴木貫太郎氏の新聞記事を見て平成26年2月25日放映の見つかった音声テープ「妻が見た二・二六事件」を思いだし久しぶりに録画を鑑賞することができました。
その中の奥様がテープに残されましたお言葉の一部を紹介させて頂きます。
「ネットより転載」
見つかった音声テープには、鈴木を撃った兵士に、妻たかが叫んだ言葉が残されています。「とどめだけはどうか待って下さい」。
鈴木は宮中の要職、侍従長。たかも昭和天皇の幼少時代の養育係。天皇にとって二人は信頼厚い特別な夫婦でした。天皇は鎮圧を命じ、鈴木も一命を取りとめます。
以下はNHK放映より
平成26年2月25日NHK放映によります 千葉県野田市関宿は鈴木貫太郎氏の故郷です
テープの内容「妻が見た二・二六事件」 たか奥様が語りました「襲撃現場」の様子
テープを保存されていた関宿町の上原進一さん テープはいつもここへ(仏壇の下)置いてありますと
昭和40年時の↑上原さんと、たか夫人を囲む隣人の皆様 昭和40年時のたか夫人
上記は絵画表示によります 上記はテープを回しながらの様子です
たか夫人のおかげで一命を取りとめます その後、侍従長を辞す~ 天皇陛下から首相就任を懇願される
昭和20年4月7日~昭和20年8月17日まで首相を務めました 天皇にとって二人は信頼厚い特別な夫婦でした
戦後公職から退き故郷・野田市関宿にて奥様と余生を送りました
息を引き取る寸前まで「永遠の平和」「永遠の平和」と ダビに付されました時に体内から弾丸が出てきたそうです
実相寺の境内にご夫婦は眠っています 戒名は鈴木貫太郎氏自らが付けられましたそうです
鈴木貫太郎旧宅跡に建つ記念館(現在は休館中です) 昭和20年8月14日「最後の御前会議」 白川一郎画伯作
「ネットより転載」
天皇陛下が下した決断=「聖断」で戦争は終結に向かうはずでした。しかし、連合国側の対応に、政府・軍部上層部の間で議論が紛糾。
ついに鈴木貫太郎首相は一度ならず二度までも天皇陛下に決断を仰ぐことになります。
そして昭和20年8月15日、終戦。天皇陛下はこう述べました。「私と肝胆相照した鈴木であったからこそ、出来たのだ」と。
以上、尊敬してやまない千葉県の偉人「鈴木貫太郎氏」のご紹介をさせて頂きました。最後までお訪ね頂きまして有り難うございました。
記録を拝見しました。
前の記事も懐かしいです。
昭和維新という意気込みで青年将校が反乱を
起こしましたが結局は失敗に終わりました。
とどめをささないでという奥様の言葉は
いたましいです。
計画性のない反乱は無意味でしたね。
都内だけ、それも一部だけでの通達では
簡単に昭和維新は出来ません。
2・26事件は犠牲になられたお方には申し訳なく思いますが
残念な無意味なことと感じられました。
とどめをささない!でという奥様のお言葉に救われましたが、
床には血が流れ、駆け付けた医師が滑って転んだとも語っておられました。