2日目 平成31年2月27日(水)
「行程」
朝食後→ タクシー2台に分乗して → 「屏風ヶ浦」見学 → 「飯岡刑部岬展望館」見学 → かんぽの宿「旭」へ → 送迎バスにて → 旭駅へ12:12発千葉行き乗車
美しい海岸を眺めながらの朝食会場を後にして 思い出のスタンプ
「屏風ヶ浦」見学へ
屏風ヶ浦と刑部(ぎょうぶ)岬の説明板 屏風ヶ浦の上に飯岡刑部(ぎょうぶ)岬展望館・灯台を望む
「屏風ヶ浦」について
2016年に国の名勝及び天然記念物に指定されました「屏風ヶ浦」は当施設の足元から銚子市名洗町まで続く高さ60mにも及ぶ岸壁です。
屏風ヶ浦を背にして記念撮影 津波に襲われた跡も消え静かな現在の港を望む
「飯岡刑部(ぎょうぶ)岬展望館」 ~光と風~ 見学
屏風ケ浦(びょうぶがうら)の西端に位置する高さ約60mの断崖絶壁にあり、太平洋と九十九里浜を一望できます。
ここから眺める夜景は絶景で、街灯かりに「LOVE」の文字を見出したカップルは結ばれるという「うわさ」です。
また、この刑部岬からの景観は、「日本の朝日百選」「日本の夕陽百選」「日本夜景遺産」「日本の夜景100選」「関東の富士見百景」に選ばれています。
周辺は上永井公園として、整備されています。
飯岡刑部(ぎょうぶ)岬展望館 ~光と風~を見学 飯岡刑部(ぎょうぶ)岬展望館の位置
最大7.6メートルの津波が襲った千葉県旭市
千葉県の北東部にある旭市では、東日本大震災での死者・行方不明者があわせて16人、住宅も336棟が全壊するなど大きな被害を受けました。
2階パノラマ展示室には東日本大震災における飯岡漁港の被害状況の映像が展示されておりました。
3.11飯岡漁港に津波が押し寄せて来た頃の写真 3.11の飯岡漁港 15時10分44秒 と記され津波が荒れ狂う写真
飯岡灯台 飯岡刑部岬展望館の展望台より復興された飯岡漁港を望む
「飯岡灯台」について
飯岡灯台は60メートルの断崖絶壁の上に建つ「飯岡刑部岬展望館~光と風~」の脇にある小型の灯台。
隣接する展望デッキからは市内や九十九里浜が一望でき、朝夕の景色は特に圧倒される。
平成30年6月19日に一般社団法人日本ロマンチスト協会が行っている「恋する灯台プロジェクト」で飯岡灯台が「恋する灯台」に県内で初認定されました。
※灯台の上には登れません。
屏風ヶ浦・飯岡刑部岬展望館を見学後、帰路に眺めた美しい飯岡海岸 飯岡海岸を後にした町中の看板に「また来ますね」と
「飯岡刑部岬展望館」見学 → かんぽの宿「旭」に立ち寄り荷物受け取りる → 送迎バスにて → 旭駅へ12:12発千葉行き乗車 → 千葉へ
宿泊の歌会は過去ログ『輕雪』短歌教室「洸の会」吟行会に綴りました平成26年7月6日(日)~ 7日(月) に「国民宿舎 サンライズ 九十九里」 に於いて行いましてからこの度は5年ぶりの
宿泊歌会でした。に恵まれました2日間、綿密な計画から実施までご尽力を頂きました宮原様,登坂様のお二人様に心より御礼を申し上げます。
【歴史倶楽部の皆様へ】
ご一緒させて頂きました 歴史倶楽部 平成21年5月度定例会 千葉県 匝瑳市(そうさし)・旭市 の旅 に、素晴らしい友人に恵まれ、充実した旅の思い出は懐かしさと感謝の気持ちで
いっぱいです。
歴史倶楽部でご一緒されました渡辺様より
「10年前の5月13日ですね。 今、すべてを思い出しています。 当日着ていた洋服まで思い出して、懐かしさでいっぱいです。
これからもお元気でブログをお続けくださいませね。」と、嬉しいお言葉を頂きました。
旭市の旅に詠む『軽雪』2019年(令和元年)第61巻 第3号(5月号)に掲載
ラヂオから千葉死者一名発生と三・一一の洋上の記憶
七.六メートルの津波が襲つた旭市の甚大な被害をパネルになぞる
旭市への第三波は五時二十六分と破壊されたる時計が示す
想定の七メートルの津波向けに避難施設なる日の出山公園
「また来てね飯岡へ」の看板に描かるる名産は笊(ざる)の志ら魚
沢山の写真拝見させて頂きました。
oko様、可愛い!!とてもよく撮れて
いますね~
房総の静かな海も津波で荒れた様子が
思い出されます。
なんとか頑張って綴ってみました。
上手には綴れませんでしたが、津波に襲われた旭・飯岡の街の復興に
住民の皆様の努力に敬意を表しました。
可愛い!お方は友人と思います。
65歳~85歳までの皆様です。
内緒に私は後列左から2番目です。
とても羨ましいです。近くに素晴らしい名所が
あるのですね。
Wさんのフェイスブックにokoさまのお言葉を
伝えました。彼女はこの頃ラン、つまり走りより
俳句に夢中です。
Wさんへ有り難うございます。
俳句を、そうでございますか、いろいろとご活躍で素晴らしいですね。
ブログの整理が終わりましたのでこれから少し歌を学びます。
旭市のHPを見て初めて大変さを知りました。
市民の皆様のご尽力で復興も順調に進みました事と存じます。
しかし、市内見学に住宅街の空き地の多さに津波の激しさを感じました。
彼女は、震災の時からランを始めた
そうです。
海辺の方は被害は多かったようですが
内陸部ですので無事だったそうです。
tonaさまからも伝言がありますで
もう一度見て下さい。
彼女は私宅に宿泊されました。
東京都国分寺市の人です。
Wさんはご無事とのことにホットいたしました。
tona様にコメントさせて頂きました。
有り難うございました。
そしてご丁寧にお返事までいただき恐縮しております。
ブログも早速ご覧いただきお礼申し上げます。
学生時代屏風ヶ浦に行きましたが刑部岬は全く知りませんでした。心に残る歌会でしたね。
matsubaraさまもokoさまも和歌を詠まれて、もう住む世界が違うほど才能があると感じております。登山や歩きしか出来ない無能な自分を恥じてはいますが、その上病気になっていては本当に我ながら情けないですが、いろいろ本を読み悟ってもいます。でもそうはいいましてもすぐ忘れ、元の自分に逆戻りです。少しでも生きる姿勢を見習いたいと思いました。
matsubaraさまのブログでtonaさまのコメントに素敵な友情の絆を羨ましく拝見させて頂いております。
tonaさまのブログも東京近郊のご紹介に親しく拝見させて頂いております。
今後ともどうぞ宜しくお願い申し上げます。
私は戦争遺児として千葉市遺族会のお役の末席に席を置きながら
父を偲びたく短歌を始め、全国遺族通信に九段短歌の投稿に励みを頂いております。