千葉市立幸町小学校で「平和の語り部」授業を実施しました
令和7年2月25日(火)千葉市立幸町小学校(平澤典之 校長)の6年生を対象に、「平和の語り部」授業(テーマは「戦中の小学生と千葉空襲」)を実施しました。
当日は、千葉市遺族会から宍倉会長、石橋・横田副会長が訪問し、戦前、戦中、戦後の小学生の生活の様子や、平和の大切さを大型のディスプレイを使用して、講話を行いました。
これは、今年、戦後80年を迎え、戦争を直接体験した遺族の多くが高齢化し、戦時の記憶を継承することが難しい状況となっていることから、
(一財)日本遺族会の元、 戦争の悲惨さ、平和の尊さを次世代へしっかりと伝え、伝え引継ぐことを趣旨として「平和の語り部事業」を実施するものです。
この日の授業は、まず、千葉市遺族会宍倉会長が戦前、戦中、戦後の区分、小学校の移り変わり、小学生の生活などを、当時の社会情勢と千葉県内の状況を交えながら、視覚的に話をしました。
千葉市遺族会宍倉会長が授業の内容をスライドに示しながら説明しました
千葉空襲の状況をスライドに示しながら説明しました
そして、社会科の教科書にも掲載されている「対馬丸事件」や、東京大空襲について、学童疎開での悲しい出来事として、児童目線で熱弁しました。
そして、後半は横田副会長、石橋副会長が、昭和20年6月10日、7月7日の千葉空襲体験者の作文を朗読し、当時の状況を説明しました。
児童は、熱心に耳を傾けていました。
この平和の語り部を通して、児童たちが、戦争は過去のものではなく、平和を守るのは自分たちの手にあると考えるきっかけとなればいいと願っています。
遺族会は、いつまでも平和な時代が続くよう、これからも「平和の語り部事業」を継続して、命の大切さ・平和の大切さを伝えていきたいと思っています。
この度の「平和の語り部」授業につきまして千葉市立幸町小学校を初め各関係部局からブログ掲載のご了解を頂きましたので改めてご紹介させて頂きました。
岐阜にも空襲がありました。
1945.7.9でした。
岐阜市に夜11時に、
10000発爆弾があり、死者900人でした。
怪我は1000人。
20000戸焼失しました。
我家は郡部ですので、無事でした。
先日の記事はちょっと踏み込んでおり、宗教の違い、戦争に対する意見などから
一般的な説明に少し書き換えて再度ご紹介させて頂きました。
児童たちからは丁寧な感想文が寄せられ、有り難く拝読させて頂いております。
戦争を知らない子どもたちの心に
深く染みこんでいることでしょう。
こちらではそう言う活動はありません。
妻は戦争遺族ですが、遺族会の総会も高齢化して
参加者が年々減少していると嘆いています。
戦後80年を迎え、戦争の事実を語る方、知る方も少なくなりました。
このことに「語り部事業」に国も予算化して下さいましたので全国的に開催されることと期待しております。
ただ遺族会会長が高齢者が多く資料作成に問題もあるようです。
幸いに千葉市は母親の弟さんの戦死に尽力して下さっております方がまだ若く
精力的に活動して下さっておりますので助かります。
副会長とは名ばかりですが遺族間の融和を図りたく尽力しております。