令和6年11月靖国神社社頭に掲示されました遺書 合掌
18歳の若きお方のご両親様への最期のお言葉をご覧頂きました皆様はどのような感想をおもちでお読みくださいましたでしょうか。ただただ残念でございますね。合掌
「戦争は間違っていた」と、後からはなんでも言えます。このような「遺書」を二度と書くことがありませんように恒久平和を祈る父戦死から80回忌を迎えた遺児の願いです。
上記は「日本遺族通信」に掲載されました「声なき声」をご紹介させて頂きます。戦争を知らない多くの皆様にご理解いただけましたら幸いに存じます。
「九段短歌」
いつも多くの皆様にご覧頂いておりますことに御礼を申し上げます。紙面の都合でしょうか?今号も8名のみの掲載でしたが20年前は15首程の作品が紹介されておりました。
われわれが父を偲ぶ気持ちは永遠です。遺児も高齢者になりました。このような歌を詠む遺児・遺族も後何年かでいなくなりますがお若い皆様に恒久平和を築いていってほしいと願っております。
選者がご逝去、ご高齢の為ご辞退などの理由で新しい選者決定まで1年以上の休載が続きます。
この度は昨年11月から約2年ぶりに再開されました九段短歌連続掲載は友人の田中恭子様
お一人に素晴らしいお歌を拝読させて頂いております。
千葉県 嘉子(私)は11月号で投稿から164首の掲載を頂くことができました。
警察官の心得として今も読み継がれているものです。
「声なき声」は、私の在職期間中、常に心に有りした言葉。
「物事を洞察する心構え」
この言葉は、『警察手眼』の中の「探索心得」の中にあります。
「警察官たるものは、声なき声に耳を傾け、表面的、外形的な現象のみにとらわれることなく、
奥に隠されたモノを見逃すことなく、真実を探索すことが必要である」
これが最初の教えでした。
「声なき声」懐かしい、思い出の言葉に巡り合いました。
* 人間は「声なき声に」耳をして
表よりをば深部を見抜く(縄)
これからもお励み下さい。
たった18歳でここまで高度な日本語が書けるとは
戦前の国語の教育がどんなに素晴らしかったかを
物語っています。
九段の桜紅葉も散りはてたころ護国神社参拝お疲れ様です。
洋上慰霊募集が載りましね,
11日間のようですがいよいよですね。
昨日午後新聞が届き先生の批評いただきおどろきました。
蚕は農家の副業で祖母がかっておりました。
生まれたては毛虫ですが脱皮して5つ寝たころは真っ白な蚕になり手のひらでころころあそびました。
まよ作りはうっすらと蛹がみえます。
時期に繭上げし茹でて絹糸とります。
蛹がかわいそうで仕方がありませんでした。
祖母が見せてくれたのは一つの繭の穴から生まれた蚕蛾でした。
口があっても食べれない花野も飛べない
ハネで二日ダンス踊って死んでしまいました。
祖母は蛹の希望は美しい織物になることだ教えてくれた幼日。
着物纏うたび50回忌迎えた祖母が浮かびます。
賢母、男性は武士として育て上げられた。
特に男子は武士階級に生まれ付かずとも、軍に
入れば武士扱いされる。飯も食えるし戦う為の
訓練も受けられる。優秀であれば士官学校へ
入り、更に選抜の結果次第で幹部候補事に。
大正時代が終わりつつある頃、戦争の暗い影が
色濃くなり、教育内容は当時の親世代が「何か
変だぞ?!」と恐ろしくなる程の刷り込みが
なされた。その結果が、齢18にしてこの辞世
の句である。
全てが悪いとは言えない。早く立派な大人に
なるべく養成された訳だ。そんな時代に生き、
戦争を生き残った方々が、私の小学校時代に
教員をやっていた。「これでも手加減してる」
というのが口癖だった。
1970年代辺りまでは、子供子供した18歳
なんて居なかった気がする。
そして2020年。18歳は立派な子供です。
30歳くらいまで子供みたいな人も見かける。
違う意味で「何か変だぞ?!」と恐ろしく
なる。そういう教育を受けた世代の時代です。
「私の在職期間中、常に心に有りした言葉。」「これが最初の教えでした。」↑
長い間、誠にありがとうございました。 心して拝読させて頂きました。
コメントの件、ヒキノ様が懐かしくお訪ねさせて頂きましたままに書き添えてしまいました。
「戦前の国語の教育が・・・」↑ ですね。本当に驚いております。
短歌が3ヶ月連続掲載に励みを頂いております。
今後とも頑張ってまいりたく思っております。
先生のお言葉でも理解が難しく、田中様のお祖母様をお慕いするお心に感動いたしました。
久しぶりに素晴らしいお歌に出会い学ばせて頂きました。ありがとうございました。
洋上慰霊は6月1日の出発に私の誕生日ですので、1歳年を重ねますことに健康が心配ですが、
何とか参加できますように頑張りたく思っております。
詳しく時代の流れをお書き添えいただきましたことに、頷きながら拝読させて頂きました。
「そして2020年。18歳は立派な子供です。」↑わが孫を見てそのように思います。
もっとしっかりさせなければと思いながら嫌われないようにの日々です。