11月靖国神社社頭に掲示された遺書
君のためいのち死すともしきしまのやまとしまねをとはに護らん
みくにいまたゞならんときつはものと召されて出でゆく何ぞうれしき
昭和18年9月8日出発の際に伯父上様にあてた遺書(写真上)に詠まれておりました歌をご紹介させていただきました。
この遺書をお書きになられたお方は 熊本県出身 21歳 海軍中尉 和多山 儀平様ですが、残念にも昭和19年11月17日東支那海にて戦死と記されております。合掌
時代とは言え、お若い立派なお方が覚悟の死を冷静に詠めます事に涙で文字がかすみます。
戦後62年、戦争の記憶も薄れゆく中にも、私たち遺族は深い悲しみ、苦しみを生涯忘れる事が出来ません。
親が子を、子を親がの昨今の悲しい報道に又、文明の利器による心ない人の行為などはとても残念に思っております。
我々遺族は今尚、多くの皆さんが悲しみ、苦しみを歌に託し亡き親族を偲んでおります。
月一回掲載の九段短歌ですのでお目を通していただけますれば幸いに存じます。
暑くても戦の事を想い出し汗となみだで洗ひ流して 米子市 女性
そろそろと迎へに来てるか亡き夫は体の不調に日々悩む吾 紀の川市 女性
終戦を迎へしもなほ闘ひを続けし母のいよゞ病み臥す 大阪市 女性
夏雲を押し上げなびく日章旗出征せし日の父蘇る 青森県 女性
降りたてば浜茄子の咲けるふるさとの無人駅より潮騒聞こゆ 青森市 男性
やすくにのみ霊も嘉みし給ふらむみたま祭りのこの賑はひは 江南市 男性
祖国とは死を覚悟せる兵の心が帰る父母の国なり 篠山市 男性
父の顔知らぬわれにも父ありき古きアルバム軍服のまま うきは市 男性
万歳と兵を送りし京都駅手を振る兄の笑顔は消えぬ 京都市 男性
記憶無き戦死の父を偲ふれば仏間の写真浮かび来たりし 千葉市 女性
ソロモンのいづこに見しやこの月を遺骨なき兄米寿となれり 香芝市 女性
ひとつぶの形見の真珠に偲びをり征きて還らぬわれ知らぬ父 千葉市 私
私は「ひとつぶの真珠」に寄せる想いを詠みました。
母は軍人の妻として父から の真珠の指輪の僅かな金をはずしてお国の為に捧げたのでした。
結婚が決まった折に母から初めて、その話を聞きました。
誕生月が6月と言うこともあって、母は大切に保存してありました一粒の真珠をバラの花びらで囲んだ素敵な指輪に加工して、
父の形見の一粒の真珠を改めて してくれましたので歌に詠み記念といたしました。
この度の「千葉県戦没者追悼式」に於いて「追悼のことば」を述べました折の歌
わが指の形見の真珠に父偲び声のかぎりに追悼の辞述ぶ