年末なのでーーと言う訳でもないが過去の爺イの記事にどうも
間違い臭いところがあるので修正をする。
問題の発端は上の写真「東宮殿下御手植之松」の石碑。何処に在るかといえば
乗附城址の近くでもあるし、三角点・乗附や東鉱標石のある場所に近い。
かって爺イは古城址探訪や三角点探しの記事で屡この石碑の写真を載せて
明治三十五年当時の東宮(皇太子)とは後の大正天皇の事だとか、ここに皇太子が
来たのは大演習でも . . . 本文を読む
今年の冬は少し高崎市内の石造物を訪ねる事にした。今までも史跡探訪と
称して相当廻った積りだが図書館で「高崎石仏研究会」の「高崎市の石造物」を
見つけたのでそれを参考にする。
手始めに乗附地区に数箇所あるという御嶽関連、先日藤岡の御嶽山を周回した
事との引っ掛かりである。この近辺でも御嶽信仰が盛んであった理由は
有名な秩父・御嶽山の麓にある「普寛神社」のこの説明板で良く分かる。
第一日目(1 . . . 本文を読む
今年のお祭り追っかけの最後は10/30の箕郷城まつり、生憎の曇天で今にも
降り出しそうな空模様を心配しながらも雨具持参で箕郷町へ。
何時も駐車場所の選択が悩みの種だが今回は中央図書館が移転休館の時、時々
利用していた箕郷図書館。
出陣式を行う箕郷支所までぶらぶらと歩くが、大勢がどっと詰め掛けている気配は
全く無くやや拍子抜け。
支所に隣接する箕郷公民館で当日のプログラムや宣伝ポスターを受領。
. . . 本文を読む
雨の土曜日、翌日に延期かと思った「かみつけの里・古墳祭り」が博物館ロビーで
催されると聞いて午後から雨の中を井出町へ出かける。
既に駐車場所は残り少なく、係員の指示に従って路傍に縦列駐車。
入り口では早くも「井出まつり太鼓保存会」が演奏中。
座り込んでいる子供達に張り合って最前列に陣取り場所確保。見たところ、
ロビーは狭いので上手くやれるのか? 一寸心配になる。
定刻になると秋本博物 . . . 本文を読む
旧群馬町保渡田の「はにわの里公園」のコスモスが満開と聞いたので一寸見物に。
序に国指定史跡の保渡田古墳群も一回り。
現地の「かみつけの里博物館」脇に古墳群案内図。
道路から南にみえるのが二子山古墳、北東に八幡塚古墳、北側で西光寺を
乗せるのが薬師塚古墳。
これらは、前方後円墳という形で、約1500年前の豪族が葬られた墓。いずれも
墳丘長約100メートルで、広大な二重の堀を巡らし、多量の埴輪を立て . . . 本文を読む
昨年に引き続き高崎・城南地区の「鎌倉街道武者行列」の見物。
出発点は城南小なので適当な駐車場所が無いので上信電鉄・南高崎駅に
駐車させて貰う。
定刻前に出発地点に着くと体育館を使って参加者が大童で準備中。
やがて参加者が全員整列して出発式、出陣式は市庁舎前なのでそこまでの行進。
城南小児童の隊列が先頭。
女武者の中には外国人の顔も。
堂々たる本格的武将連。統一された旗 . . . 本文を読む
今日は箕郷町の「きつねの嫁入り」行事の見物。
これに似た様な行事は全国に数多く存在すると思っていたが意外に
少ないらしい。
新潟・阿賀町津川城の「狐戻城」が特に有名と聞くが北関東では
2002年からの箕郷、南関東では東京北区の王子稲荷ぐらいらしいとの事。
箕郷のは昼間の行列を「華行列」、夕刻からメイン会場で野外劇に繋がるのが
「輿入れ行列」と言われているらしい。
駐車場所の確保のため早めに箕郷 . . . 本文を読む
上の写真は長野堰遊歩道の終点、「円筒分水堰」。
漸く天候が回復した。だが、山手の細道の道路事情が判らないし、一時保水された
山水が登山道や踏み跡を流れているだろうから数日の「山干し」を経ないと
踏ん張りの弱い年寄りは暫く様子見。で、足慣らしで長野堰を歩くことにした。
伝説によると長野堰の発祥は長野氏が浜川にいた一千年前と言われるが長野氏の
活動歴史の資料に現われるのは1440年の結城合戦あたり . . . 本文を読む
とうとう今年の八月は一回も山に行かないうちに終わってしまう。台風も
近づいているらしいが今日は未だ大丈夫らしいので、午後から山名丘陵散策。
寺尾からR-30で南進、途中で一寸山名八幡に寄り道のため、山名駅の少し手前で
右折してこの鳥居の下を潜る。正面が神社の駐車場。
その脇に大きな石碑、これが「石碑の路」の第一号で揮毫は昭和三筆の手島右郷
(てしま ゆうけい1901年-1987年)。
. . . 本文を読む
今夕は高崎観音山万灯会、つまり「ろうそく祭り」なのだ。
宗教性を重んじつつも、娯楽性や観光性を加味して、変化拡大できる柔軟なお祭り。
夏の夜を飾る荘厳で、幻想的な、美しいお祭りであるとも。
天気予報ではこのところ、毎日の癖になっている雷雨も無さそうなので観音山に。
駐車場所の情報が得られないので少し早めに観音様裏の野鳥の森に
向かったが、正月には黙認されている路傍駐車場所はコーンが置かれてい . . . 本文を読む
天候不順を言い訳にしてもう長いこと、山に御無沙汰。
毎日クーラーの中で高校野球ばかりでは体がおかしくなりそう。
少々、暑さに馴れるために高崎祭りに行くことに。
高崎の名前の起源は、箕輪城主・井伊直政が「赤坂の庄」、「和田宿」を合わせて
「高崎」と名付けた1598年。勿論、和田城としては1428年、和田義信の築城だが。
そして、それから119年後の1717年、高崎藩主大河内松平家を祀った頼政神社 . . . 本文を読む
絶好の好天なのに投票やその他の雑事で時間はドンドン過ぎて
用意していた南牧行きは断念してネットで評判の長瀞・岩根山へ。
R-13を南進して諏訪信号でR-462と分かれて直進、
「出牛(ジュウシ)」から長い峠道、漸く「中野上」でR-140に合流の
四つ角。左は児玉方面、右は長瀞だがここは直進でR-287、高砂橋で
左折すると「井戸」でR-82にぶつかる丁字路。
信号待ちしていると、野上駅から歩 . . . 本文を読む
旧群馬町足門へ所用で出掛けた序にR-25を北上して渋川の有馬地区と行幸田地区
の史跡探訪。
(1)有馬の左剣不動
切っ掛けは渋川史跡の紹介の中に「左剣不動」というのを見つけたから。
わざわざ、「左」と云うからには普通の不動様の像は右手に剣を持っているのか?
記憶が定かではないので、早速、数多い爺イのブログの中から「史跡探訪」を
再チェックして不動さまの画像を探す。
数枚は出てきたが古いものばか . . . 本文を読む
高崎・新町の「雛祭り」も終盤に来たので家族連れで一寸覗きに
行って見た。この祭りは何か由緒があるとか、古くからの慣わしという類ではない。
今年で五回目、家庭で飾らなくなったひな人形を集め町内の施設や店舗に飾る類で
三月三日まで。町興し?
町内約60カ所に約100基のひな飾りが飾り付けられ、江戸時代
末期から昭和、現代のそれぞれの時代の趣向や流行がうかがえるー
との触れ込み。
高崎との合併時、人 . . . 本文を読む
長閑な日和、午後から一寸散歩に榛東村まで。
今月の初めに探索が中途半端に終わっている榛東・吾妻神社跡の
第二弾だ。
前回同様に水沢・足門線の霞山C.C入り口看板のある四つ角に
路傍駐車。参道に入る前にこれも引っかかっている榛東・南十二社
の探索。ゴルフ場への軽い傾斜の舗装路を西へ。
ごく簡単と思ったら何と約1Kも歩かされ、ゴルフ場の生垣の
切れ目で発見。S-61年建設の「十二大権現」となって . . . 本文を読む