榛名南麓の「自衛隊駐屯地」で恒例の自衛隊祭り。今年は駐屯60周年
と云う事なので見学に出掛けたが、予備知識不足で渋滞に巻き込まれて
現地着が大幅に遅れ、予定の時間内には肝心の訓練展示などが見られず
人混みと桜見物で終わってしまった。
柏木沢でr-26に乗り換えて次の広馬場で広域農道の井戸尻に向かったら
驚いた事に既に大渋滞で車列は止まったままで動かない。現地までは
この先、葡萄郷を越えていくので未だ相当な距離があるのに。
暫く列に付いて待ったが駄目なので急遽反転して広場場に戻り
八ノ海道・新井を経て山子田から南野に出て北から回り込む
ことにしたが山子田・南野間が既に車で埋まりここでも大渋滞。
仕方なく畑地の中の細道をグルグル回って更に北の白子榛名工場の先で
漸く広域農道に達して近くの榛東村スポーツアリーナの駐車場着。
ここから駐屯地入口まで推定で1.2kmあるがウォーキングの積もりで
出発。
少し歩いて白子工場敷地の脇で渋滞の後尾に追いつく。時々僅かに
動いているようだが歩く方が遥かに速い感じ。
南野信号を過ぎて振り返ると車列がお気の毒の様に長く続いている。
約20分弱の歩行で駐屯地入口。多数の自衛隊員たちが歩行者・車両を
誘導している。南北双方からの車両は全て敷地内の駐車場を目指している
らしいから内部のスペースが相当駐車に割かれているらしい。
イベントの主会場はここから約1km程度先の駐屯地飛行場だから
緩い上り道を人の流れに付いて進むが、周囲は満開の桜並木が
続いているので結構な花見街道。
(サムネイル左クリックで拡大、元の画面に戻すには画面左上の左向き矢印クリック)
突然、前方に野外売店。道の両側にびっしりと並び観客が群がって
いるのでまるでお祭り気分。だが、子供連れが多いのでお父さん
たちの家族サービスが何とも微笑ましい。
(サムネイル左クリックで拡大、元の画面に戻すには画面左上の左向き矢印クリック)
喧騒の出店群を抜けると一時的に車道と重なる。渋滞の元になっている
車両は駐屯地の中でも続いている。ドライバーさんや同乗のご家族の
皆さんの忍耐力に脱帽。
(サムネイル左クリックで拡大、元の画面に戻すには画面左上の左向き矢印クリック)
前方からの隊員たちの隊列とすれ違い、飛行場も近いらしい。
やがて相馬原飛行場の表示板。戦中派の爺イは高崎に疎開していた時、
この飛行場が茨城方面からの米軍艦載機から攻撃されたのを覚えているし、
それにも増してここで起きた「ジラード事件」が忘れられない。
当時、この地は在日米軍の相馬が原実弾射撃訓練場で立ち入り
禁止措置になっていたが、近隣住民は薬莢や弾頭など金属類を拾って
換金するために演習地内に立ち入っていた。
1957年、演習地内へ立ち入った日本人主婦は背後から米兵ジラードに
撃たれ即死し犯人は軽微な量刑で済まされた事件である。
飛行場への立ち入りの前に厳重な身体検査かあるのでそこも
長蛇の列。
両手を広げ金属探知機による検査を受けるが二昔以上前の旅客機搭乗前を
思い出すし、ウバ車の赤ん坊も突然見知らぬオジサンに検査され吃驚して大泣き。
飛行場エプロン前は二ヶ所の大きな観覧席があるものの、そんなものは焼け石に水の
態で周辺は人垣で見えるのは人の後頭部だけ。
一寸後ろを見ると何と土手の上の金網に張り付くように観客多数。
高い所からでないと見られないことを良くご承知の常連さん?
少し下手の土手上にはこれも望遠カメラの放列、その脇には多くの
家族連れが座り込んで寛ぎながらの見物。これがこの場の常識なんだな。
(サムネイル左クリックで拡大、元の画面に戻すには画面左上の左向き矢印クリック)
それに反して不慣れな爺イは人波の隙間から僅かの時間に
観閲式の一部を見ただけで時間切れ。
(サムネイル左クリックで拡大、元の画面に戻すには画面左上の左向き矢印クリック)
結局、花見だけで終わってしまったが今日は帰路も2km歩くので
四時間の制限時間内では精いっぱい。次回の機会があれば
もっと下調べして失敗を重ねないようにしようーーと反省は政治家並み。
駐車場所から赤城を眺めて本日終わり。
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登山・キャンプランキング
と云う事なので見学に出掛けたが、予備知識不足で渋滞に巻き込まれて
現地着が大幅に遅れ、予定の時間内には肝心の訓練展示などが見られず
人混みと桜見物で終わってしまった。
柏木沢でr-26に乗り換えて次の広馬場で広域農道の井戸尻に向かったら
驚いた事に既に大渋滞で車列は止まったままで動かない。現地までは
この先、葡萄郷を越えていくので未だ相当な距離があるのに。
暫く列に付いて待ったが駄目なので急遽反転して広場場に戻り
八ノ海道・新井を経て山子田から南野に出て北から回り込む
ことにしたが山子田・南野間が既に車で埋まりここでも大渋滞。
仕方なく畑地の中の細道をグルグル回って更に北の白子榛名工場の先で
漸く広域農道に達して近くの榛東村スポーツアリーナの駐車場着。
ここから駐屯地入口まで推定で1.2kmあるがウォーキングの積もりで
出発。
少し歩いて白子工場敷地の脇で渋滞の後尾に追いつく。時々僅かに
動いているようだが歩く方が遥かに速い感じ。
南野信号を過ぎて振り返ると車列がお気の毒の様に長く続いている。
約20分弱の歩行で駐屯地入口。多数の自衛隊員たちが歩行者・車両を
誘導している。南北双方からの車両は全て敷地内の駐車場を目指している
らしいから内部のスペースが相当駐車に割かれているらしい。
イベントの主会場はここから約1km程度先の駐屯地飛行場だから
緩い上り道を人の流れに付いて進むが、周囲は満開の桜並木が
続いているので結構な花見街道。
(サムネイル左クリックで拡大、元の画面に戻すには画面左上の左向き矢印クリック)
突然、前方に野外売店。道の両側にびっしりと並び観客が群がって
いるのでまるでお祭り気分。だが、子供連れが多いのでお父さん
たちの家族サービスが何とも微笑ましい。
(サムネイル左クリックで拡大、元の画面に戻すには画面左上の左向き矢印クリック)
喧騒の出店群を抜けると一時的に車道と重なる。渋滞の元になっている
車両は駐屯地の中でも続いている。ドライバーさんや同乗のご家族の
皆さんの忍耐力に脱帽。
(サムネイル左クリックで拡大、元の画面に戻すには画面左上の左向き矢印クリック)
前方からの隊員たちの隊列とすれ違い、飛行場も近いらしい。
やがて相馬原飛行場の表示板。戦中派の爺イは高崎に疎開していた時、
この飛行場が茨城方面からの米軍艦載機から攻撃されたのを覚えているし、
それにも増してここで起きた「ジラード事件」が忘れられない。
当時、この地は在日米軍の相馬が原実弾射撃訓練場で立ち入り
禁止措置になっていたが、近隣住民は薬莢や弾頭など金属類を拾って
換金するために演習地内に立ち入っていた。
1957年、演習地内へ立ち入った日本人主婦は背後から米兵ジラードに
撃たれ即死し犯人は軽微な量刑で済まされた事件である。
飛行場への立ち入りの前に厳重な身体検査かあるのでそこも
長蛇の列。
両手を広げ金属探知機による検査を受けるが二昔以上前の旅客機搭乗前を
思い出すし、ウバ車の赤ん坊も突然見知らぬオジサンに検査され吃驚して大泣き。
飛行場エプロン前は二ヶ所の大きな観覧席があるものの、そんなものは焼け石に水の
態で周辺は人垣で見えるのは人の後頭部だけ。
一寸後ろを見ると何と土手の上の金網に張り付くように観客多数。
高い所からでないと見られないことを良くご承知の常連さん?
少し下手の土手上にはこれも望遠カメラの放列、その脇には多くの
家族連れが座り込んで寛ぎながらの見物。これがこの場の常識なんだな。
(サムネイル左クリックで拡大、元の画面に戻すには画面左上の左向き矢印クリック)
それに反して不慣れな爺イは人波の隙間から僅かの時間に
観閲式の一部を見ただけで時間切れ。
(サムネイル左クリックで拡大、元の画面に戻すには画面左上の左向き矢印クリック)
結局、花見だけで終わってしまったが今日は帰路も2km歩くので
四時間の制限時間内では精いっぱい。次回の機会があれば
もっと下調べして失敗を重ねないようにしようーーと反省は政治家並み。
駐車場所から赤城を眺めて本日終わり。
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13日の相馬が原は凄いことになっていました。爺様とかなり近い距離であの光景を共有したようです。2日前に桜の咲き具合を見に出かけ、そこで式典準備で忙しく動き回る隊員からこの日の催し物を聞きました。当日は7時半に家を出ましたが、新井の信号の1km下から渋滞が発生していました。こんなに人気あるんだと感心する。おなじように畑の中の細道を使って演習場の駐車場がまだ空いている時間に滑り込みました。県道沿いの桜並木は期待通り。射爆場の土塁の東斜面が素晴らしかったです。隊員の行進は北朝鮮軍の一糸乱れぬものから比べるとルーズなもの。それでも平和の国の軍隊はあんなものでも構いません。
屋台で自衛隊ご用達の単眼7倍の手の平サイズの望遠鏡を買い求めました。前から欲しかったものです。ブログ先を越されてしまいました(笑)
すれ違いでしたか?小生は駐車場から歩く始めたのが
10時でしたので車の渋滞の真っ盛りに行ってしまったことになります。あの盛大さは地元民に愛される自衛隊と云う事ですかね!
それと隊員の隊列行進は大人しかったですが、あの某国の様な跳ね上がる様な足並みでなくて逆にホッとしましたし軍事パレードではないので重火器もなしに納得。
一度だけ行ったことがあります。
群馬町に住んでたことがあり、徒歩で行ってみました。
ジェット戦闘機が超低空で飛んでたことしか覚えてませんが。
当時は特別何も感じませんでしたが、後に沖縄県人になり、米軍を間近に感じるようになり、いろんな事案を知ることになりました。
その中に、爺様のコメントにあるジラード事件も知ることになりました。
薬莢を拾いに来た主婦を面白半分に狙撃したらしいですね。
で微罪で済まされたと。
私の住む沖縄でも枚挙にいとまがないくらい米軍絡みの事件がありますが、無罪だったり、除隊後行方不明だったり、今も続きます。
せめて日本の法律が適用できればなあと。
沖縄移住とはびっくりしました。現地は相変わらず
騒がしいですね。移転反対運動も本土の感覚では
全国から集まっている反戦グループを自称する
プロ集団の活動に見えてしまい、基地利権に関係のないホントの県民の気持ちがどうなのか?知りたい所です。
プロ集団の活動に見えてしまい、
ある種の団体がそう仕向けてますね。
そしてある程度成功してるのでしょう。
それらの根拠はただの一つも示されてないのにです。
沖縄にいらっしゃることがあれば、現地を少しでもいいのでご自身の目で見てほしいものです。
殆どは地元のオジイやオバアです。
私は遠くに住んでるので直接現場に行くことはめったにないですが、私の地元でも現職市長の得票数を上回る署名を集めたにもかかわらず直接投票をその市長に否定されてます。
日々いろんなことに腹立たしい限りです。
某サンケイなんか嘘記事を書いてまで地元マスコミ(とその後ろの県民)を貶めようとしたこともあります。
バレて平謝りしましたが、全国の方はそういうことが有った事自体知らないと思います。
これらの話は軽く流してください。
懐かしい西毛の今の情報にいつも感謝してます。