福井県の大飯原発再稼働に反対する首相官邸周辺のデモが毎週金曜夜、盛り上がりを見せている。
参加者が広がりを見せているのは、twitterで情報が拡散していることが大きいようだ。
「どうしてマスコミは報道しないのか」という声ばかりがツイッターでは目立ち、気持ちはわからないでもないけれど、どうしてそんなことを気にするのか不思議に思ったが、6月29日夜のデモは、翌30日朝刊で毎日新聞や北海道新聞が1面に写真を掲載するほどになった。道新は7月6日の社説にまでとりあげたほどだ。
ただ、米紙ニューヨークタイムズや英国BBCがデモについて報じたことを、無批判に喜ぶ風潮についてはいろいろと疑問が残るが、そのこと自体は本筋と関係ないので、ここではこれ以上言及しない。
ところで、デモの中で目立ったのが、奈良美智さんの、「NO NUKES」という文字の入った絵をプラカードにしたものだ。絵は、奈良さんお得意の、小さな女の子である。
「奈良美智 No Nukes」で検索すると、大量に出てくる。
この絵の使用については、奈良さん自身が、自由に使って良いとtwitterで明言していた(6月18日)。
https://twitter.com/michinara3/status/214595613285814272
しかも(筆者は最近まで知らなかったのだが)、この絵は、セブン―イレブン各店にあるプリンターに、番号を打ち込むだけで、100円を払えば誰でも印刷し入手できたという。
すごい時代だなあと思った。ただし、期間限定であり、このエントリを書いている時点では、この方法は使えないようだ。
ところで、この話に筆者が感服するのは、昨年の3月11日以来、多くの美術家が
「大震災や原発事故に対して、自分には、画家やアーティストには、なにができるのだろう」
という問いに頭を悩ませてきたという背景があるからだ。
チャリティーで作品を販売して収益や売上金を寄附した人は多かった。
その行為はもちろん称賛すべきだが
「役に立っているのはアートじゃなくて、アートで得たお金なのでは」
という問いには答えられない。
ほかにも、被災地に出かけてボランティアをしたり公演を行ったり、岡本太郎の壁画に自作をつぎたしたり、いろいろなことが試みられた。筆者が実見していないだけで、重厚な作品を世に問うた人もいるだろう。
しかし、奈良さんは
「なにができるのだろう」
という問いを、すごくあっさりとクリアしてしまった感があるのだ。
こんなにシンプルなかたちで、震災後に、役目を果たしてしまったアートって、ほかにあんまりないんじゃないか。
奈良さんのくだんの作品の強みは、原発事故のずっと前に描かれたものであるということにもある。
プラカードというのは、案外、アートが発現する場として、可能性を秘めているのかもしれない。
主題主義、プロパガンダは、芸術を堕落させる。
しかし、社会の現実と接点のない芸術もまた、ありえない。
自分にいったい何ができるのか。
その問いは、たぶん、ずっと続く。
(あと、これは美術ではないが、とくに打楽器を中心とした音楽は、大飯原発前のデモではリズム隊として大活躍であった)
関連記事へのリンク
大震災から半月 第1章・第2章
大震災に思う 第2章以降
東日本大震災に思う・その3
参加者が広がりを見せているのは、twitterで情報が拡散していることが大きいようだ。
「どうしてマスコミは報道しないのか」という声ばかりがツイッターでは目立ち、気持ちはわからないでもないけれど、どうしてそんなことを気にするのか不思議に思ったが、6月29日夜のデモは、翌30日朝刊で毎日新聞や北海道新聞が1面に写真を掲載するほどになった。道新は7月6日の社説にまでとりあげたほどだ。
ただ、米紙ニューヨークタイムズや英国BBCがデモについて報じたことを、無批判に喜ぶ風潮についてはいろいろと疑問が残るが、そのこと自体は本筋と関係ないので、ここではこれ以上言及しない。
ところで、デモの中で目立ったのが、奈良美智さんの、「NO NUKES」という文字の入った絵をプラカードにしたものだ。絵は、奈良さんお得意の、小さな女の子である。
「奈良美智 No Nukes」で検索すると、大量に出てくる。
この絵の使用については、奈良さん自身が、自由に使って良いとtwitterで明言していた(6月18日)。
https://twitter.com/michinara3/status/214595613285814272
僕にはいくつかNO NUKESと描かれた絵があるけど、プラカードに使ってもらって構わない。Slash with a knifeに載ってるのとか、人気のようダス。
しかも(筆者は最近まで知らなかったのだが)、この絵は、セブン―イレブン各店にあるプリンターに、番号を打ち込むだけで、100円を払えば誰でも印刷し入手できたという。
すごい時代だなあと思った。ただし、期間限定であり、このエントリを書いている時点では、この方法は使えないようだ。
ところで、この話に筆者が感服するのは、昨年の3月11日以来、多くの美術家が
「大震災や原発事故に対して、自分には、画家やアーティストには、なにができるのだろう」
という問いに頭を悩ませてきたという背景があるからだ。
チャリティーで作品を販売して収益や売上金を寄附した人は多かった。
その行為はもちろん称賛すべきだが
「役に立っているのはアートじゃなくて、アートで得たお金なのでは」
という問いには答えられない。
ほかにも、被災地に出かけてボランティアをしたり公演を行ったり、岡本太郎の壁画に自作をつぎたしたり、いろいろなことが試みられた。筆者が実見していないだけで、重厚な作品を世に問うた人もいるだろう。
しかし、奈良さんは
「なにができるのだろう」
という問いを、すごくあっさりとクリアしてしまった感があるのだ。
こんなにシンプルなかたちで、震災後に、役目を果たしてしまったアートって、ほかにあんまりないんじゃないか。
奈良さんのくだんの作品の強みは、原発事故のずっと前に描かれたものであるということにもある。
プラカードというのは、案外、アートが発現する場として、可能性を秘めているのかもしれない。
主題主義、プロパガンダは、芸術を堕落させる。
しかし、社会の現実と接点のない芸術もまた、ありえない。
自分にいったい何ができるのか。
その問いは、たぶん、ずっと続く。
(あと、これは美術ではないが、とくに打楽器を中心とした音楽は、大飯原発前のデモではリズム隊として大活躍であった)
関連記事へのリンク
大震災から半月 第1章・第2章
大震災に思う 第2章以降
東日本大震災に思う・その3