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(承前)
※名が「ヌプリ」になっていましたが「ヌブリ」が正しいと思われます。おわびして訂正いたします。2024年10月
このエントリで予告したとおり、釧路市民文化会館の内外にある彫刻の紹介をしようと思うのだが、この記事に先立つ(27)の「凍原」については、米坂ヒデノリ氏の最高傑作であることはどうも疑いないように思われる。
したがって、この作品については、もう少し腰を据えてじっくりと彼の彫刻の特質を探った上で書くこととし、それ以外の作品を順番に紹介していきたい。
なお、ロビーの作品の記事もあるので、厳密には、釧路の「野外」彫刻という通しタイトルは当てはまらないが、そこは、パブリックアートということで、大目にみていただければと思う。
さて、この作品は、阿寒湖畔に住むアイヌ民族の彫刻家、床ヌブリさんの手がけたもの。
うねり逆巻く波のような、異様な迫力あるかたちをしている。
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ところで、国民の歌「若い日本」がなにか、筆者はまったく知らなかったのだが、ネット検索したら、奈良県大和高田市のサイトがただちにヒットした。
以下、大和高田市で生まれた国民の歌という文章を、長くなるが引用する。文中の「本市」とは、大和高田市のこと。
以上、引用終わり。
上の引用部分で気になったのが
飯田三郎氏の出身地(根室市)に近い、釧路市
というくだり。
飯田三郎さんは「ここに幸あり」などで知られる名高い作曲家であるが…。
釧路と根室は、国道44号を通れば、124キロある。
近いか?
北海道民にとっては近いのかもしれない。
しかし、奈良県民にとっては、どうなのだろう。
大和高田市から120キロ走れば、どの方向でも、となりの府県に入ってしまう。
たとえば、京都市までは47キロなんだけど、「近い」からといって、京都に記念碑をたてるだろうか。
どうして、根室に作らなかったんだろう?
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譜面と歌詞が附されているが、摩耗寸前である。
なお、若い世代のために蛇足を記しておく。
学校現場で「君が代」を歌えと、やかましくなったのは、1980年代以降であって、それ以前はあまり歌う機会はなく、また「君が代」が国歌にふさわしくないから別の歌を-という議論も根強くあった。
この歌の背景にも、そういう事情があるのかもしれない。
※名が「ヌプリ」になっていましたが「ヌブリ」が正しいと思われます。おわびして訂正いたします。2024年10月
このエントリで予告したとおり、釧路市民文化会館の内外にある彫刻の紹介をしようと思うのだが、この記事に先立つ(27)の「凍原」については、米坂ヒデノリ氏の最高傑作であることはどうも疑いないように思われる。
したがって、この作品については、もう少し腰を据えてじっくりと彼の彫刻の特質を探った上で書くこととし、それ以外の作品を順番に紹介していきたい。
なお、ロビーの作品の記事もあるので、厳密には、釧路の「野外」彫刻という通しタイトルは当てはまらないが、そこは、パブリックアートということで、大目にみていただければと思う。
さて、この作品は、阿寒湖畔に住むアイヌ民族の彫刻家、床ヌブリさんの手がけたもの。
うねり逆巻く波のような、異様な迫力あるかたちをしている。
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ところで、国民の歌「若い日本」がなにか、筆者はまったく知らなかったのだが、ネット検索したら、奈良県大和高田市のサイトがただちにヒットした。
以下、大和高田市で生まれた国民の歌という文章を、長くなるが引用する。文中の「本市」とは、大和高田市のこと。
1962年(昭和37年)、内閣、総理府、電通、NHK、民放各社、新聞社、レコード会社などが協賛して、「私達の生まれ育った日本を愛するために、だれもが口ずさめる、文字通り、国民の歌をつくろう」との提案がなされました。
このよびかけに応じて、全国から2万数千点の作品が寄せられたのですが、当時、本市職員の橋本竹茂氏(42歳)は、「若い日本」を作詞し、応募したところ、西條八十、サトウハチロー、佐藤春夫の三氏が選者で、最終選考の三点に選ばれました。
これらの歌には、それぞれ曲をつけて、NHKがテレビ、ラジオを通じて全国に放送し、国民投票にゆだねられましたが、橋本竹茂作詞、飯田三郎作曲の「若い日本」は、16万2千票を獲得して、見事一位となり、「国民の歌」に選ばれました。
国民の歌決定とともに、ビクター、コロンビア、ポリドール、東芝、キング、テイチクの6社からレコードが発売され、東京の日比野公会堂では、当選者を招き、盛大な音楽会が催されて、その様子は、NHKによって、ナマ放送で、全国に報じられました。
こうして、国民の歌「若い日本」は、作詞家橋本竹茂の名とともに、全国に知られるところとなったのです。
作曲をされた飯田三郎氏の出身地(根室市)に近い、釧路市では、譜面入りの記念碑が建てられ、本市でも、1965年(昭和40年)、庁舎玄関近くに、「国民の歌・若い日本」の記念碑が建てられました。
以上、引用終わり。
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飯田三郎氏の出身地(根室市)に近い、釧路市
というくだり。
飯田三郎さんは「ここに幸あり」などで知られる名高い作曲家であるが…。
釧路と根室は、国道44号を通れば、124キロある。
近いか?
北海道民にとっては近いのかもしれない。
しかし、奈良県民にとっては、どうなのだろう。
大和高田市から120キロ走れば、どの方向でも、となりの府県に入ってしまう。
たとえば、京都市までは47キロなんだけど、「近い」からといって、京都に記念碑をたてるだろうか。
どうして、根室に作らなかったんだろう?
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譜面と歌詞が附されているが、摩耗寸前である。
なお、若い世代のために蛇足を記しておく。
学校現場で「君が代」を歌えと、やかましくなったのは、1980年代以降であって、それ以前はあまり歌う機会はなく、また「君が代」が国歌にふさわしくないから別の歌を-という議論も根強くあった。
この歌の背景にも、そういう事情があるのかもしれない。
(この項続く)
大和高田市からは、歌詞とあわせて丁寧な回答がありました。
根室市や作曲者飯田三郎氏の資料館、NHKからは、詳しい資料がないとの回答があり、楽譜を手に入れることはできませんでした。残念です。
どんな歌なのか、聴いてみたい気は、たしかにします。
一度聞いてみたいですね。
いちばん簡単で、誰にでも聴いてもらえる手段は、YouTube のアカウントを取得し(簡単にできます)、そこに流すことです。
https://www.youtube.com/?gl=JP&hl=ja
うまくいったら教えてください。