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書家の馬場怜さん死去

2017年10月27日 11時11分11秒 | 情報・おしらせ
 けさ(2017年10月27日)の北海道新聞朝刊おくやみ面によると、後志管内余市町在住で道内を代表する書家の馬場怜さんが亡くなったようです。92歳でした。

 馬場さんは1925年(大正14年)、後志管内島野村(現岩内町)生まれ。
 戦時中准訓導講習をおえ、42年(昭和17年)に岩内の小学校で教鞭を執りますが、陸軍に志願し、戦闘機の整備塀として終戦を迎えます。
 戦後は小学校の教壇に復帰し、後志管内の各校で勤務。67年に寿都町立政泊小で校長となり、余市町立黒川小校長で定年を迎えます。

 一方、書では加藤翠柳や大澤雅休に師事。森田子竜や井上有一を擁して書の国際交流や前衛書の普及に役割を果たした「書道芸術院」に入賞を重ねました。54年に理事審査員となっています。
 また50年代後半から60年代後半にかけては毎日前衛書道展に出品を続けています。
 66年に書道芸術院を離れ、新たに旗揚げされた墨人会に参画。また、渋谷北象さん(旭川)らとともに北海道墨人を設立し、毎年出品していました。札幌のほか、地元余市でも開催を重ねています。

 また、余市町の文団協会長や後志管内文化団体連絡協議会の会長などを歴任。 
 2000年には北海道文化賞を受けています。
(以上については、響文社から出ている『北のアーティストファイル 馬場怜』を参考にしました)


 北海道書道展には第1回から出品し、その年に会員(審査員)に推挙されています。
 創立会員はすでに全員が鬼籍に入っていますから、道書道展では最長老というべき存在でした。

 1960年以来、個展も道内外で行い、昨秋にも札幌のギャラリーエッセで開いていました。

 以上の経歴からうかがえるように、馬場さんの書風は、以前は抽象画のような前衛的なものもあったようですが、70年代以降は「墨象」と呼ばれる、極太の筆で1ないし2文字の漢字を書いた作品が多くなっていきます。
 とりわけ「鬼」「死」などとしたためた一文字書は、切れ味のある線質とあいまって、まさに鬼気迫る印象を与えていました。

 このほか特筆したいのが「余市九条の会」の活動で、2005年発足以来、余市の護憲・平和運動の先頭に立って活躍していました。

 ご冥福をお祈りします。


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