オホーツク管内滝上町を訪れた際の話は、こちらや、こちらで。
このエントリは、アートには関係ありません。
北見滝ノ上は、1985年の渚滑線廃止まで、滝上町市街地にあった駅です。
マチの名前と微妙に表記が異なります。
国鉄は、先に同名の駅名があった場合、混同を避けるために、頭に旧国名を付けることがよくありました。(例:武蔵小杉)
また、「ノ」を挿入する例もありました。たとえば、北見市内の「相内駅」は、国鉄時代は「相ノ内駅」と表記されていました。
渚滑線は、渚滑(いまは紋別市)と北見滝ノ上を結んでいたローカル線です。
名寄本線から内陸に30キロほど延びていた盲腸線でした。
おもに木材輸送に活躍し、上川方面への延伸構想もありましたが、廃止になりました。
構内には、貨車移動機が静態保存されています。
駅舎は、資料館になっているはずなのですが、筆者が訪れた時には、扉は閉まっていました。
裏手に回ってみますと、プラットフォームがなく、線路と駅舎の間に段差があまりないのが、どうも不自然です。
あとでネット検索してみたら、この駅舎は若干移設されているのだそうです。
マチを代表する駅の場合、路線廃止後は必ずと言っていいほど、駅の跡はバスターミナルになっています。
紋別、中湧別、興部、佐呂間などは、みなそうです。
滝上も例外ではなく、紋別行きの路線バスや、旭川・札幌と紋別をむすぶ長距離バスの停留所が旧駅舎前にありました。
待合所は、図書館などを兼ねた立派な施設です。
時代は変わっても、旅立ちや帰郷の場は移らない、ということなのかもしれません。
図書館の西側に駐車場がありますが、敷地の形状は、かつて貨物用の線路が何本も敷かれていた時代を思わせます。
シバザクラが満開の季節にまた訪れてみたい滝上です。
なお、滝上で野外彫刻2点を見ましたので、それについては別項で。
このエントリは、アートには関係ありません。
北見滝ノ上は、1985年の渚滑線廃止まで、滝上町市街地にあった駅です。
マチの名前と微妙に表記が異なります。
国鉄は、先に同名の駅名があった場合、混同を避けるために、頭に旧国名を付けることがよくありました。(例:武蔵小杉)
また、「ノ」を挿入する例もありました。たとえば、北見市内の「相内駅」は、国鉄時代は「相ノ内駅」と表記されていました。
渚滑線は、渚滑(いまは紋別市)と北見滝ノ上を結んでいたローカル線です。
名寄本線から内陸に30キロほど延びていた盲腸線でした。
おもに木材輸送に活躍し、上川方面への延伸構想もありましたが、廃止になりました。
構内には、貨車移動機が静態保存されています。
駅舎は、資料館になっているはずなのですが、筆者が訪れた時には、扉は閉まっていました。
裏手に回ってみますと、プラットフォームがなく、線路と駅舎の間に段差があまりないのが、どうも不自然です。
あとでネット検索してみたら、この駅舎は若干移設されているのだそうです。
マチを代表する駅の場合、路線廃止後は必ずと言っていいほど、駅の跡はバスターミナルになっています。
紋別、中湧別、興部、佐呂間などは、みなそうです。
滝上も例外ではなく、紋別行きの路線バスや、旭川・札幌と紋別をむすぶ長距離バスの停留所が旧駅舎前にありました。
待合所は、図書館などを兼ねた立派な施設です。
時代は変わっても、旅立ちや帰郷の場は移らない、ということなのかもしれません。
図書館の西側に駐車場がありますが、敷地の形状は、かつて貨物用の線路が何本も敷かれていた時代を思わせます。
シバザクラが満開の季節にまた訪れてみたい滝上です。
なお、滝上で野外彫刻2点を見ましたので、それについては別項で。