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(承前)
Kiiibooo a.k.a. Kiyoshi Takahashi and Makoto Murata works from Exhibition 'expresioning FANON'.
Takahashi inspired from Donald Jadd,Jenny Holzer and so on.
さて、前回のエントリが理屈っぽくて煮え切らない文章になってしまったので、ここでは、気になった作品を挙げる。
「キーボー」こと高橋喜代史さんの作品である。
匿名の、アートとして作られたわけではないものの展示が目立った今回の展覧会だが、このように、最初から現代美術の作家が現代美術作品として制作したものもふくまれている。
これがキュレーターの意図に沿うものかどうかはわからないが、結果としては、「非アート」と「アート」をつなぐ回路のような役割を果たすことになっており、おそらく、無かったら非常に物足りなさをおぼえたんじゃないかと思う。
彼の作品は、漫画の擬音「ドーン」を巨大な立体に仕立てた代表作などに見られるように、「一発芸の笑い」みたいな側面がかなり強い。
ただし、今回は、一発芸は一発芸でも、かなり、見る人を考えさせる一発芸になっている。
少なくても筆者は、いままでの彼の作品の中でいちばん好きだ。
「見る人を考えさせる」というのは、現代美術の大きな要素だと思うからだ。
というか、現代美術の名作を知らないと、なにがなんだか理解できない作品かもしれない。
言わずもがなだけど、冒頭の画像は、ドナルド・ジャッドのパロディである。
筆者は現物を見ているが、ミニマルアートというだけあって、とにかく「取り付く島の無い」という印象が強い。
それが、正面から見るとジャッドの名前になっている。
このように、笑える作品にすっきりと仕立てたのは、評価したい。
現代美術を知らない日本人にはわからなくても、現代美術を知っている世界中の人に通じる作品になっているのである。
右は、ジェニー・ホルツァーを踏まえた作品。
電光字幕が縦に流れるという、日本語を母語とする人にしか発想できないであろう形態なのが、おもしろい。
たしか、「THIS IS NOT A ART」っていう文字が流れていた。
(29日訂正。「THIS IS MEDIA ART」が正しいそうです。申し訳ありませんでした)
このほか、ジョセフ・コスースの「One and Three Chairs」のパロディーとして、いすの代わりにリンゴを用いたものもあった。
もっとも、このコスースの代表作にしてコンセプチュアルアートの古典については、誰かが似たようなパロディーをやっていたのを見た記憶がある。
□ハイブリッドアート http://ameblo.jp/hybridart2/
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さて、村田真さんの名前がフライヤーに記されているのを見て不思議に思っていたが、彼は作家としての活動もしているのだった。
今回の作品は、美術出版社から出ている泰西名画の画集シリーズを再制作したもの。
アングルやスルバラン、ドラクロワなど、一冊一冊、模写して、壁に掛けている。
このシリーズ、いまの時点で見れば、かさばって高額なわりに図版は多くなくて、西村出版やフェイドンの方がいいんじゃないかと思ってる人もいるかもしれないが、なにせ初版から40年以上もたっている古株で、美術館とか、大学の研究室などには、かならずそろっているものではないかと思う(筆者は、美術系の学校出身ではないので、そのへんの空気は断言できないが)。
昔(1970年代より前)は、そもそも、原色版というだけでも貴重であった。
筆者の記憶によれば、このシリーズの図版は、本からはがせるようになっている(額に入れても楽しめるという趣向)。
考えてみれば、「画集」というのは「本物」ではない。
ある種の二次制作である。
村田さんの作品は、二次制作の二次制作になっている。
ふたりの作品とも、今回の展覧会にぴったりな感じがするのは、どちらも「二次制作」だからなんだろう。
あと、これはすでにTwitterではつぶやいたんだけど、村田真さんに出品を依頼すると、必然的に彼が北海道まで見に来て、そしてartscapeなどにこの展覧会について書くことになるわけで、これはなかなか高等戦術ではないかと。
というのは、美術評論家でもアートライターでもなんでもいいけど、この人たちのほとんどは首都圏に住んでおり、まずめったなことでは札幌なんかには来ないんだよな。それで
「いまの日本の美術は…」
なんて言ってる。
こっちまで見にこないくせに何ぬかしてやがる、ゴルァ!
と、小一時間説教したいところだけど、まあ、そうは言っても、距離の壁はなかなか高いので、こういう小技を駆使して、なんとか物書きのみなさんを、北海道まで連れてくるというのも、作戦のひとつだよな。
えーと、まだかくことありそうだな。
□http://www.sapporo-biennale.jp/2011geimori/
札幌芸術の森美術館
2011年10月29日(土)~11月23日(水)午前9:45~午後5:00(入場は4:30まで) 月曜休館、ただし10月31日は開館
キーボー氏のブログで「5つのルール」を読んだ
■Sapporo II Project(2009年)
■500m美術館(2008年)
■高橋喜代史個展-現代アートと書道のハイブリッドアーティスト(2007年)
Kiiibooo a.k.a. Kiyoshi Takahashi and Makoto Murata works from Exhibition 'expresioning FANON'.
Takahashi inspired from Donald Jadd,Jenny Holzer and so on.
さて、前回のエントリが理屈っぽくて煮え切らない文章になってしまったので、ここでは、気になった作品を挙げる。
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匿名の、アートとして作られたわけではないものの展示が目立った今回の展覧会だが、このように、最初から現代美術の作家が現代美術作品として制作したものもふくまれている。
これがキュレーターの意図に沿うものかどうかはわからないが、結果としては、「非アート」と「アート」をつなぐ回路のような役割を果たすことになっており、おそらく、無かったら非常に物足りなさをおぼえたんじゃないかと思う。
彼の作品は、漫画の擬音「ドーン」を巨大な立体に仕立てた代表作などに見られるように、「一発芸の笑い」みたいな側面がかなり強い。
ただし、今回は、一発芸は一発芸でも、かなり、見る人を考えさせる一発芸になっている。
少なくても筆者は、いままでの彼の作品の中でいちばん好きだ。
「見る人を考えさせる」というのは、現代美術の大きな要素だと思うからだ。
というか、現代美術の名作を知らないと、なにがなんだか理解できない作品かもしれない。
言わずもがなだけど、冒頭の画像は、ドナルド・ジャッドのパロディである。
筆者は現物を見ているが、ミニマルアートというだけあって、とにかく「取り付く島の無い」という印象が強い。
それが、正面から見るとジャッドの名前になっている。
このように、笑える作品にすっきりと仕立てたのは、評価したい。
現代美術を知らない日本人にはわからなくても、現代美術を知っている世界中の人に通じる作品になっているのである。
右は、ジェニー・ホルツァーを踏まえた作品。
電光字幕が縦に流れるという、日本語を母語とする人にしか発想できないであろう形態なのが、おもしろい。
たしか、「THIS IS NOT A ART」っていう文字が流れていた。
(29日訂正。「THIS IS MEDIA ART」が正しいそうです。申し訳ありませんでした)
このほか、ジョセフ・コスースの「One and Three Chairs」のパロディーとして、いすの代わりにリンゴを用いたものもあった。
もっとも、このコスースの代表作にしてコンセプチュアルアートの古典については、誰かが似たようなパロディーをやっていたのを見た記憶がある。
□ハイブリッドアート http://ameblo.jp/hybridart2/

さて、村田真さんの名前がフライヤーに記されているのを見て不思議に思っていたが、彼は作家としての活動もしているのだった。
今回の作品は、美術出版社から出ている泰西名画の画集シリーズを再制作したもの。
アングルやスルバラン、ドラクロワなど、一冊一冊、模写して、壁に掛けている。
このシリーズ、いまの時点で見れば、かさばって高額なわりに図版は多くなくて、西村出版やフェイドンの方がいいんじゃないかと思ってる人もいるかもしれないが、なにせ初版から40年以上もたっている古株で、美術館とか、大学の研究室などには、かならずそろっているものではないかと思う(筆者は、美術系の学校出身ではないので、そのへんの空気は断言できないが)。
昔(1970年代より前)は、そもそも、原色版というだけでも貴重であった。
筆者の記憶によれば、このシリーズの図版は、本からはがせるようになっている(額に入れても楽しめるという趣向)。
考えてみれば、「画集」というのは「本物」ではない。
ある種の二次制作である。
村田さんの作品は、二次制作の二次制作になっている。
ふたりの作品とも、今回の展覧会にぴったりな感じがするのは、どちらも「二次制作」だからなんだろう。
あと、これはすでにTwitterではつぶやいたんだけど、村田真さんに出品を依頼すると、必然的に彼が北海道まで見に来て、そしてartscapeなどにこの展覧会について書くことになるわけで、これはなかなか高等戦術ではないかと。
というのは、美術評論家でもアートライターでもなんでもいいけど、この人たちのほとんどは首都圏に住んでおり、まずめったなことでは札幌なんかには来ないんだよな。それで
「いまの日本の美術は…」
なんて言ってる。
こっちまで見にこないくせに何ぬかしてやがる、ゴルァ!
と、小一時間説教したいところだけど、まあ、そうは言っても、距離の壁はなかなか高いので、こういう小技を駆使して、なんとか物書きのみなさんを、北海道まで連れてくるというのも、作戦のひとつだよな。
えーと、まだかくことありそうだな。
□http://www.sapporo-biennale.jp/2011geimori/
札幌芸術の森美術館
2011年10月29日(土)~11月23日(水)午前9:45~午後5:00(入場は4:30まで) 月曜休館、ただし10月31日は開館
キーボー氏のブログで「5つのルール」を読んだ
■Sapporo II Project(2009年)
■500m美術館(2008年)
■高橋喜代史個展-現代アートと書道のハイブリッドアーティスト(2007年)
帯広といえば、版画ですか?
まあ、ほめても何も出ないです(笑)。
ほかに特技もないしね。
いま読むと、いろいろ書き直したくなってきました(苦笑)。
覚悟の上ではありましたが、子供にはバスケットボールの作品がウケていたようなので、相殺ということでw
遠くから見にきていただきありがとうございます。
梁井さんの文章は内容や説明が難しくても本当に判りやすくスルッと入ってきます。
流石だなぁ~と改めて思いました。