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本郷新「三輪龍揚像」「小林篤一像」

2011年11月28日 21時56分18秒 | 街角と道端のアート

 北見といえばハッカが有名で、戦前は世界市場を席捲したことで知られるが、その後人造ハッカに押されて、いまは栽培している農家もごくわずかになってしまった。
 かつての栄光は、中心部に近い「ハッカ記念館」でうかがい知ることができる。
 ここは、ホクレンのハッカ工場だった土地であり、工場事務所がハッカ記念館として保存されている。

 その前庭に、道内を代表する彫刻家の本郷新の手になる胸像がふたつ設置されている。 

 ひとりは小林篤一とくいち(1890~1972)。
 
 例によって「北海道歴史人物事典」(北海道新聞社編)から引用する。

 北海道産業組合運動の草分け。ホクレンの創立者。兵庫県日高町生まれ。8歳の時北海道に渡り、美唄市峰延みねのぶ町で農業に従事、峰延産業組合長(のちに峰延農協組合長)となる。1936年(昭和11)推されて北聯(北海道信用購買販売組合聯合会、現在のホクレン農業協同組合連合会)の会長に就任。さらに第2次世界大戦後の経済混乱期にあった1954に再びホクレン会長となり、農産物の付加価値を高めるため農民自身も工場を持つべきだ、との信念からまずビート糖工場の建設に成功、米麦、畜産など他の加工事業の充実を図り、ホクレン今日の基礎を築き上げた。1962年参議院議員選挙の北海道地方区で無所属で当選、北海道開発政務次官などを務めた。農民系統運動の先駆者として生涯を働く農民のために捧げたが、晩年には共同募金会会長、報徳運動会長を務め、福祉活動にも功績を残した。北海道新聞文化賞、北海道開発功労賞を受賞。


 えっ、北見の人じゃないのか。




 もうひとりの三輪龍揚については、同事典に項目がない。
 ググるとここがヒットする。

http://www.ienohikari.net/data/kjinryaku/meisai/miwa.htm

 1932年に北聯会長に就任し、34年に北見のハッカ工場を建てた人のようだ。

 つまり、お二人とも、北見の地元の偉人というより、オール北海道の農業経済に尽くした人のようである。




 ハッカ記念館。
 北見市中心部の数少ない観光名所である。




・JR北見駅から約900メートル、徒歩12分


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