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今年思ったことで、ひとつ書き残したことがある。
7月末に札幌に戻ってきて、思うようにギャラリーまわりもできなかったが、それでも、この時期から11月までの間で印象に残ったのは、おもに札幌時計台ギャラリーで開かれた道内画家・工芸家の個展の数々だった。
このブログでとりあげるつもりで、まだテキストを書いていない人もたくさんいるので、ちょっと恥ずかしいのだが、たとえば羽山雅愉、江川博、森弘志、大島龍、伏木田光夫、野本醇、中谷有逸、本間輝子、佐藤武、藤野千鶴子、櫻井マチ子、藤井高志…といった面々である。
このうち、本間さんだけは札幌の個展は初めての染色作家(帯広在住)だが、ほかはいずれも、同ギャラリーに限らないが、札幌での個展を何度もこなしてきて、またことしも、ここに至る何年かの間の成果を問うベテランの画家・版画家たちである。
もちろん、誰もが同様にというわけにはいかないが、それぞれこの数年の進境ぶりを語る良い展覧であったと感じた。
ところが、こういう展覧会については、地元の新聞にはまったく出ない。
北海道新聞に出るのは、道外在住の作家の展覧会が多い。
ツイッターなどのソーシャル・ネットワークサービスでも、少なくとも筆者の目に入るのは、CAI02やトオンカフェ、ギャラリー門馬といった会場で行われている若手の展示が多く、地道に活動しているベテランの、時計台ギャラリーをはじめとする都心の画廊(さいとう、スカイホール、たぴお、ギャラリー大通美術館、道新ぎゃらりーなど)での個展については、あまり流れてこない。若手の展示についていえば、おそらく、情報を流している人の友人も若手が多いのだろう。インターネットに接している層は、40~50代を境に、上は少なく、若い方は多いという印象がある。
そして、それよりも多くの人の耳目を集めるのは、美術館の展覧会であり、さらに、大型のプロジェクトや屋外イベントなのだ。
しかし、或る作家の作品を美術館が購入したり、また批評家が彼(彼女)の画業を振り返るテキストを書いたりする場合、かならず必要になるのは、「代表作は『●●』」という記述だろうと思う。
そこで、作家が、この数年やってきたことのすべてをぶつける展覧会を見ないで、どうするのだろう。『●●』は、そういう個展で発表されるものなのだ。
大型のイベントや展覧会が悪いといっているのでは、もちろんない。しかし、美術の歴史は、それらだけでつづられるわけではないはずだ。(そして、タブローの作家・画家は、屋外イベントなどに参加しづらいという事情も考慮する必要がある)
いや、見ている人は見ているのだと思いたい。少なくても、1990年代に比べると、地元美術館の学芸員が、ギャラリーに足を運ぶ機会は増えているようである。
もちろん、趣味で見ている人は、筆者のように「▲▲展は見なければ」という姿勢でいる必要はないのだし…。
これまた推測なので、事実と異なる場合は反論していただきたいのだが、同様の事態は東京でも進行していないだろうか。
1980年代あたりまでは、美術評論家らは毎週月曜日、新橋・銀座・京橋の画廊に絨毯爆撃と称して、とにかく足を運んで目を通すのを日課にしていたはずだ。
しかし、90年代以降、ギャラリーが都内各地に分散した上に、美術館も増えた。その一方で、団体公募展系の画家が多く利用する銀座界隈の貸し画廊は減少が続いている。なるべくすべてを見ようとする評論家・キュレーターは減っているのではないだろうか。
7月末に札幌に戻ってきて、思うようにギャラリーまわりもできなかったが、それでも、この時期から11月までの間で印象に残ったのは、おもに札幌時計台ギャラリーで開かれた道内画家・工芸家の個展の数々だった。
このブログでとりあげるつもりで、まだテキストを書いていない人もたくさんいるので、ちょっと恥ずかしいのだが、たとえば羽山雅愉、江川博、森弘志、大島龍、伏木田光夫、野本醇、中谷有逸、本間輝子、佐藤武、藤野千鶴子、櫻井マチ子、藤井高志…といった面々である。
このうち、本間さんだけは札幌の個展は初めての染色作家(帯広在住)だが、ほかはいずれも、同ギャラリーに限らないが、札幌での個展を何度もこなしてきて、またことしも、ここに至る何年かの間の成果を問うベテランの画家・版画家たちである。
もちろん、誰もが同様にというわけにはいかないが、それぞれこの数年の進境ぶりを語る良い展覧であったと感じた。
ところが、こういう展覧会については、地元の新聞にはまったく出ない。
北海道新聞に出るのは、道外在住の作家の展覧会が多い。
ツイッターなどのソーシャル・ネットワークサービスでも、少なくとも筆者の目に入るのは、CAI02やトオンカフェ、ギャラリー門馬といった会場で行われている若手の展示が多く、地道に活動しているベテランの、時計台ギャラリーをはじめとする都心の画廊(さいとう、スカイホール、たぴお、ギャラリー大通美術館、道新ぎゃらりーなど)での個展については、あまり流れてこない。若手の展示についていえば、おそらく、情報を流している人の友人も若手が多いのだろう。インターネットに接している層は、40~50代を境に、上は少なく、若い方は多いという印象がある。
そして、それよりも多くの人の耳目を集めるのは、美術館の展覧会であり、さらに、大型のプロジェクトや屋外イベントなのだ。
しかし、或る作家の作品を美術館が購入したり、また批評家が彼(彼女)の画業を振り返るテキストを書いたりする場合、かならず必要になるのは、「代表作は『●●』」という記述だろうと思う。
そこで、作家が、この数年やってきたことのすべてをぶつける展覧会を見ないで、どうするのだろう。『●●』は、そういう個展で発表されるものなのだ。
大型のイベントや展覧会が悪いといっているのでは、もちろんない。しかし、美術の歴史は、それらだけでつづられるわけではないはずだ。(そして、タブローの作家・画家は、屋外イベントなどに参加しづらいという事情も考慮する必要がある)
いや、見ている人は見ているのだと思いたい。少なくても、1990年代に比べると、地元美術館の学芸員が、ギャラリーに足を運ぶ機会は増えているようである。
もちろん、趣味で見ている人は、筆者のように「▲▲展は見なければ」という姿勢でいる必要はないのだし…。
これまた推測なので、事実と異なる場合は反論していただきたいのだが、同様の事態は東京でも進行していないだろうか。
1980年代あたりまでは、美術評論家らは毎週月曜日、新橋・銀座・京橋の画廊に絨毯爆撃と称して、とにかく足を運んで目を通すのを日課にしていたはずだ。
しかし、90年代以降、ギャラリーが都内各地に分散した上に、美術館も増えた。その一方で、団体公募展系の画家が多く利用する銀座界隈の貸し画廊は減少が続いている。なるべくすべてを見ようとする評論家・キュレーターは減っているのではないだろうか。
今年もお世話になりました。
私のギャラリー巡りは、週末がイベントでつぶれることも多く、年730か所で終了です。
札幌市内をカバーするのも辛くなってきましたね。
それにしてもすごいですね。私は年間の、ギャラリーを訪れた回数は勘定したことはありませんが…。
来年はもう少し頑張ります。
SHさんも、良いお年をお迎えください。