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個人的な感懐■三原順の世界展 ~生涯と復活の軌跡~ (2021年7月22日~8月15日、札幌)

2021年08月24日 00時38分00秒 | 展覧会の紹介-複数ジャンル
(承前)

 以前も記したように、代表作「はみだしっ子」シリーズの最終話にして最大長篇「つれて行って」が「花とゆめ」に連載されていた当時、筆者は高校生で、学級ではこの漫画が大きな話題になっていた。
 筆者も何度となく読み返し、しかし他の作品についてはあまり良い読者ではないこともあり、とうてい三原順さんについてまとまった論述をなしうる立場でもないし能力もない。

 なので、以下、思いつくままに断章を並べていくことにしたい。
 最初の文章以外は、読んでもあまり役に立たないかもしれない。


 まず、今回の札幌初開催の展示について、新型コロナウイルスの感染のため見に行くのをあきらめたというつぶやきが、ツイッターに意外と多い。
 もちろん展示は見ないより見た方が良いが、実は、図録がすばらしい出来で、これさえ読めば、会場に足を運べなかったことを後悔する必要はないだろう。
 ふつうのマンガは印刷時に、ホワイトの塗り跡や、ネーム(吹き出し)の写植を貼り付けた跡などを目立たないようにするが、この図録ではそれを隠していないので、原画を目の当たりにしているような気分になる。
 会場にはなかった主催者のテキストも充実しており、展覧会に行った人も行けなかった人も入手する価値大の図録といえる。
 2500円(税込み)で、公式サイト( http://moonlighting.jp/sekaiten/ )から通信販売で購入できる。




 リアルタイムで読んでいたときは、少女漫画とは思えぬシリアスな展開と、作者の教養の広さ・深さに魅了されていたのだろうが、しかしあらためて、「はみだしっ子」が好きだというのは、どういうことかと考え始めると、なんだか落ち着かない気分になってくる。
 もしかしたら、両親に存分に愛されて、幸福で満ち足りた幼少期を過ごした人は、この4人、とりわけグレアムに感情移入することがむつかしいのかもしれず、そう思うと、グレアム好きを公言するということは、あるいは自分がかつて不幸だったと触れ回っているような気もするのだ。

 さいきんツイッターなどでは「毒親」という語が散見され、気持ちは分かるのだが、気軽に使われすぎているような思いも抱く。自分が親の立場になっているからなおさらである。
 もちろん
「良かれと思って」
信じられないほど事細かに口を挟んでくる親というものが存在していて、自分がいくら長じても、そういう親の味方になる気持ちになれないのも確かである。
 図録に、「はみだしっ子」の連載当時は現代と比べて児童虐待があまり問題になっていなかったという記述があった。確かにそうだ。しかし、それは児童虐待がなかったということではないだろう。
 かといって、昔の子どもはみな、乱暴な親にぶん殴られて育てられたのだ―というのも、雑にすぎるまとめ方であるのは言うまでもない(そういう人は、16世紀に日本に宣教にやって来たルイス・フロイスなどの著作を斜め読みすると良い。当時の来日西洋人は、日本の親たちが体罰をせず、子どもたちを大事にしていることを、驚きとともにつづっている)。

 子ども時代の不幸の原因をすべて親の育て方に帰してしまうのは誤りだろう。
 しかし、子も親も、感情を有する人間なので、どうしても「そりが合わない」部分が出てくる場合があるのも、いたしかたのないことだろう。




 「札幌の部屋から」の一部。
 文庫本は左から、カート・ヴォネガット・ジュニア(おそらく『ローズウォーターさん、あなたに神のお恵みを』。グレアムが養父ジャックに、何を読んでいるのかと尋ねられたときの本)、ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』、ヘッセ『デミアン』、ニーチェ『ツァラトゥストラかく語りき』、ルブラン『続813 ルパン傑作集』、カミュ『ペスト』、パスカル『パンセ』の順に並んでいる。
 この排列、とくにドストエフスキーとヘッセの並びには、立野昧さんの見方が反映しているのだろうと感じる。どちらも、おそらく10代の三原順さんに深刻な影響を与えた本だと推定されている。

 ただ、非常にアホな疑問のようにとらえられるかもしれないが、『カラマーゾフの兄弟』と『デミアン』は世界文学における名著中の名著で、それに魅了されることは特別個性的なことでもなんでもない。不思議なのは、そこまで文学に入れ込んでいた三原順さんが、なぜ文学を志さず、一貫してマンガ家を目指していたのかと言うことだ。
 もし文学として成功していたら、はるかに早く批評され、評価され、カノンの仲間入りを果たしていたかもしれないと思うのだ。

 「はみだしっ子」も原型はノートに書かれた小説だったらしい。
 もちろん、リアリズムの観点からすれば「はみだしっ子」はあまりにあり得ない設定になっている。8~11歳の子どもたちが、いくらグレアムの親類から仕送りがあったとはいえ、アルバイトで食いつなぎながらあちこちを放浪し、警察にも見つからず、それぞれの保護者に送り返されることもないということは、ちょっと考えにくく、筆者もそこをかっこにくくって読むまでいくばくかの心理的な抵抗があった。
 舞台設定について三原順さんは「架空の英語圏と考えてほしい」という趣旨のことをどこかで書いていたが、それも「少女マンガ」という約束事抜きにはなかなか読者にすんなりとは受け入れにくいことではある。
 このような設定を生かすには、小説だと作り事めきすぎて、少女マンガでしか展開ができなかったとはいえるかもしれない。
 ただし、少女マンガとしても異例すぎて、当時はあまり批評されなかったそうである。

 そもそも没後25年以上たっている少女マンガ家がほかにほとんど存在しないので、比較しようがないのだが、歿後25年の少女マンガ家が今なおこれほど読まれ、新たな読者を獲得しているというのは、異例のことだと思われる。それは少女マンガというフォーマットだから可能なのだろうか。




 「はみだしっ子」の最終話「つれて行って」のラストシーンは謎が多く、難解で、解釈が分かれるところである。
 筆者は、帰宅後に廃人のようになってしまったグレアムがジャックに雪山の事件を告げることと、サーニンが、振り返るクークーのほうに馬を走らせていることとが、対照的であると感じられた。
 乱暴にまとめてしまえば、グレアムはひたすら死に向かい、サーニンは生へ、人生を肯定する方へ向かっているのだ。
 そして、グレアムがなぜそんなに死に急ごうとするのかを思って、ひどく切なくなってしまう。
 ジャックをはじめあたたかな家族がいてもなお、自分がそこにいる資格がないと感じてしまうのだろうか。
 でも、だからといって、死ぬ必要があるのだろうか。

 グレアムはアンジーが寄せている思いに気がついていない。

 そして、4人のなかで唯一サーニンが雪山の事件に直接かかわっていないこと。
(サーニンは何が起きたのか、グレアムから聞いていないのではないだろうか)

 おそらくグレアムは、自分のことがどうしても好きになれないのだろう。
 筆者も自分が嫌いだから、そのあたりはなんとなくわかる。

 図録の冒頭にあった三原順さんの言葉、つまり、他の人が何を考えているのか分からないからマンガをかき始めた―というくだりに、思わずうなる。
 筆者もそうです。
 というか、みなさんは、分かるんでしょうか。
 
 これ以上だらだらと書いていても、なんの発展もなさそうなので、いったん打ち切ります。


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